諸行無常

画像元:Wikipedia
「諸行無常」
金閣寺放火事件(1950年)
三島由紀夫「金閣寺」と水上勉の「五番町夕霧楼」がこれをモチーフとして小説となっている。
犯人、林承賢と接触があったのは水上のほうらしいが有名なのは三島のほうである。
●自身の障がいと生い立ちに対して光輝く金閣寺に怒りを感じて燃やしたというのが三島。
●仏教(臨済宗相国寺派)として堕落した鹿苑寺(金閣寺)に相反して輝く金閣寺に怒りを感じて燃やしたというのが水上。
事実は両方だったりする。 障がいが故に、鹿苑寺では苛められ、ヒエラルキー構造から出世が見込めないことに絶望して燃やしたという。
今まであんまり金閣寺炎上っていうのに興味を持ったことがなかったけれども、確かにこの時代とタイミングで金閣寺を燃やすというのは、まさしく
「事実は小説よりも奇なり」であり、小説オリジナルだったら凄いなと思った。恐らく現代で同じ障がいがある人が似たような怒りで燃やしても話としてはもう面白くもないのかもしれないし、現代人を使って炎で怒りを表現というのも、単なる迷惑行為であり稚拙になりやすい。
吃音症の人が声をあげたように思われる金閣寺炎上は、現代人の私にとっては「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きなり」を意図的ではなくても表したように思えてしまう。
この時代とは違って、飢えも知らず裕福だからなのか、それとも別の貧しさを知っているからか。
祇園精舎とはインドにある寺院のことで、その鐘の音なんてものは日本には聞こえないが、この炎上は教えに沿ったように声となり、諸行無常となって響いている。
(私は平家物語とか、三島あたりは不案内ですけれどもね。犯罪を肯定しているわけじゃありません)

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