「少年は残酷な弓を射る」



We Need to Talk About Kevin(2011)
「愛情」というものは他者を喜ばせたいと思うことでもある。子どもにとっては、その対象は初めは親だとよく言われる。愛情とは親から与えられるものだけではなく、子も親に対して芽生えてくるものなのかもしれない。親子にとって愛情の印は、お互いの期待でもある。
母親が喜ぶと嬉しい、母親が悲しむと悲しい。
子どもは自然にそれが身について当然のようなことのように思えるが、この少年は母親のことを”mammy”と呼ぶことを拒んだ。

スペインのトマティーナでトマトまみれの女性が浮かび上がる。赤という液体が大量の血と連想させる映像と共に、液体という制御不可能性や、この女性の息子は大勢の人を殺したことを序盤から匂わせている。その血の量や、現場が学校ということからコロバイン高校銃乱撃事件と重ねてしまう。
 息子によって家族を失い、社会的信用を失った母親が就職面接を受けるのと同時に、過去の映像としては、この少年の父親であり、彼女にとって夫となる人と愛し合うところまで遡る。映像は過去と現在の流れを交互に映し出し、その中には内的表現がほとんど描かれていない。あるのは、息子が赤ん坊の頃から母親だけに懐かない日々と、出産後のほうが栄養を吸い取られているような母親のやつれた顔。
父親や周囲は日常を満喫し笑っているが、息子が母親には笑わない、嫌がらせをするという日々によって、この空間に幸福や安堵があるようには思わせない。息子の本心や、計画性はまるで見えず、広い家に反して過ごす日々は常に圧迫であり、目を向けるべきはずの事実が、息子という立場と共に飽和してしまい、母親の心が休まらない日々を見せた。
ロビンフッドが好きな息子に父親が玩具の弓を与える。それが次第に玩具から本物の弓となり、高校生となった息子が残酷な事件を起こす。
 この話は映画としては凡庸なのかもしれないが、それでも魅せるのは母親役のティルダ・スウィントンの演技の上手さだろう。本当に何か精神を鬱にさせる薬でも飲んだのではないかと思わせる。母親は常にやつれていてはいたが、本来の日常としては息子に愛情を持ったり、夫と愛し合ったり、妹を出産したり、息子が一度だけ自分を庇ってくれたりと、些細な日々の幸福はあったのかもしれないが、映像の構成が絶妙で不幸としか言いようがなく重たかった。
終盤での刑務所での母親と息子のやり取り、ハグをどう感じるか、何故母親だけ殺さなかったのかが、一番意見が分かれそうだ。
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ビョルン・アンドレセン(ベニスに死す・ヴィスコンティ)

息子役のエズラ・ミラーは、ビョルン・アンドレセンの再来かと思う人は少なくはないはずだ。

母親がやつれていく分、彼の透明感のある肌は不謹慎な美でもあり、残酷さを表していた。母親に顔を似せたのもその効果があるかもしれない。
それでも、印象に本当に残ったのは物語中盤ぐらいに出てくる、事件の被害者の一人で息子と同じ学校に通っている青年が、車椅子を押しながらもこの母親に対して許したように気遣いをしたことだった。ほんの一瞬の登場なのに、彼が一番印象的だ。
We Need to Talk About Kevinというタイトルが一応は鍵を握る。
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