(はじめに)
この映画のスポンサーでもあり、映像プロデューサーでもあるAさんの紹介からマスコミ試写会(9/6)に招待してもらいました。この映画の監督でもある松本准平さんとも友達になれまして、とても充実した時間が過ごせました。
ミツは大好きなクマに「あなたと私みたいな不完全なもの同士が幸せになれたら」と、自分達を不完全なものとするわけですが、本来ならどんな者でも不完全者であり試練がある。但し、彼等の試練を引き受けようとする人は少ない。
この映画の主人公、クマ(リリー・フランキー)は幼少期に重度の脳性麻痺を患い、車椅子生活を送りながら障がい者への誤解を解くための活動をしている。その活動とは他の障がい者とは少し変わったもので、「障がい者は聖人ではない」と性的な内容のユーモアを交えて講演をする。それは障がい者の代表でもあり、アイディンティティの主張でもあった。そんな彼を見たピンクヘアーのミツ(清野菜名)は彼のことを好きになり、積極的にアピールするようになるが、そんなミツも実は心に障がいある女性だった。
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恋は盲目とはよく言いますが、一人の他者に対して最も純粋な目を持つことがあります。その対象こそ愛する人です。恋は相手に与えるという純粋なものも、嫉妬や祝福を受けないような不純なものも抱えることになります。それでも純粋なものを優先にしていくと次第に人は「愛」に居心地の良さを覚え、不純なものに気づくと愛の重さを知り、愛が遠のくこともあるでしょう。「好き」とか「結婚して」と浮かれているような二人の言葉の裏には不安があることが分かっているのです。ミツは二人が一緒になることを困難と認識していたからこそ、一緒になることを「革命」と言ったのでしょう。
クマは過去に受けた手術が原因で、障がい者の子どもが出来る確率が高くなってしまいましたが、ミツはそれでも生みたい、クマとの子どもが欲しいと何度も言います。
この発言は本来なら歓迎されるべきことです。けれども現実は受け入れようとはしません。結婚や出産は当人同士で決めることですが、完全なる二人の世界というのは存在しないからです。二人が生きていくには周囲の理解が必要となります。それが達成出来ないことが二人の障害になるという事は珍しいことではありません。
講演会に出かけながらも身体の自由が利かないクマと、自由に動き回れるけれども心のブレーキが利かない病を持っているミツ、不安定な二人は周囲に反対されたり、支えられたりしながら愛を成長させようとします。
そんな二人を見て勇気づけられるという人は少なくないでしょう。
他者から勇気づけられるというのは、新しい特別なことを知ることじゃなくて、自分でも出来ることをやらなかったことに気づかされる時なのかもしれない。
(最後に)
話の本筋から外れそうなのでここで書かせてもらいますが、食事会のときに松本監督とAさんに何度もヘルパー役だった小池栄子の演技がすばらしいと連発してしまって、今思い出すと笑ってしまいます。清野さん演じるミツも映像で見るとかなり愛くるしいです。あと、私はリリー・フランキーの見方が変わりました。身体が自由に動かない身でありながら、ハイテクな車椅子で動き回ってはユーモアを言う姿に味を感じました。一人一人の生き様がぶつかりあっているところが生々しいところも、松本監督の魅力でもあります。
彼の映画を見ると、役者のイメージが変わることがあって面白いです。映像も他の邦画には見られない深みと透明感があって、これからの作品も楽しみな監督です。試写会、食事会と共に楽しい時間を過ごせました。松本監督、Aさん、カフェと映画まで一緒に過ごした字幕翻訳者の小川正弘さんに出会えたことに感謝します! ありがとうございました!
(公式ページ)
http://perfect-revolution.jp/sp/
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*クマは熊篠 慶彦さんという人がモデルとなっています。熊篠さんは、この映画の企画・原案も担当していて、障がい者のセクシュアリティに関する支援、啓発、情報発信等をしています。
*facebookにも同じ記事をあげています。松本監督からもコメントを頂きました。
ありがとうございます。