Icon o graph 2

セガンティーニ・悪しき母たち

家族が連れ去られた後、私は平然としてセガンティーニの絵画を見に行った。

本当に平然としていたのだろうか。遺体が見つからないまま、テレビでやっていたこの絵画展の紹介に吸い寄せられた。――――雪の降る町だったから――――。そんな私が目を閉じると繊細で冷たい布が自分を包むようだった。優しくはない布。纏わりつくようで、水を吸ったように重たい。それはまるでこの二枚の『悪しき母たち』の衣装のようだ。まずは青の章、そのブルーは闇のようで、闇になりきれていなかった。太陽の光を失っても青の色に留まり続け、表情を失いながらも女という形を浮かび上がらせる。

女であるということ、その死にきれない光が灯っているように思えた。夜明けの章、ブルーの闇が終わり、日が昇ろうとしている光景、曇り空の雪景色、あの足を降ろしたらどんなに冷たいだろうと私の足を凍らせる。悪しき母は枯れ木に吊るされ、樹形に歪さを与えている。淡い濃淡の中、樹影という移ろう存在に逃げることが出来ず、夜の闇に暈されることもなく露骨に肉体が現れ出る。日が昇ろうとしているのは嬰児殺しの女が赤ん坊に乳を与え、母になったことに対しての赦しだと聞いた。


それでも、この瞬間はまだ、完全に赦されたわけではない。見せしめから、赦される存在になろうとする瞬間、魂が昇天する寸前、天の光が空遠のことではなく、近くまで来ているということ。

赦しとは哀婉――――


Icon o graph 白夜の章)

本の紹介

http://chriskyogetu.blogspot.jp/2016/07/icon-o-gprah.html

販売https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-02-9781976279713




3/11

イコノグラフの舞衣の親が亡くなった震災というのは、時制が近しいのですけれどもモデルは 3/11じゃないとは前にも話したことがある。元々、そういう設定で書いてたまたま被りました。だからこの世界全体がフィクションですね。

モデルはヘルマン ヘッセの
「別な星の奇妙なたより」(メルヒェン)

身のよだつような不幸、恐ろしい雷、
雨と嵐と大水を伴う地震が三つの村に起きたが、

死者をおおい、その墓地を適当に飾るために必要な花が全くなくなった。
というところ。セガンティーニの絵が来たタイミングも一緒だった。(2011年)
けれども、悪しき母たちは来ていないようだ。現実に近いようでやはり虚構。

コメントは受け付けていません。

Blog at WordPress.com.

ページ先頭へ ↑

%d