なぜ世界は存在しないのか(2)

メラニー・ロラン(イメージ画像)

「なぜ世界は存在しないのか2」マルクス・ガブリエル著

「なぜ世界は存在しないのか1」→http://chriskyogetu.blogspot.com/2019/01/blog-post_12.html

「今日は哲学を新たに考える」と、1章の「これはそもそも何なのか、この世界とは」の
忘備録です。


「今日は哲学を新たに考える」

まず著者は、ルートヴィッヒ・ヴィトゲンシュタインの「およそ語りうることは、明晰に語ることが出来る」という理念を共有しています。これにより、触れない未知の宇宙のようなものまで考えを広げることになります。そして哲学の基本中の基本の「問いをやめないこと」を強く勧めています。

◎「これはそもそも何なのか、この世界とは」

我々は乾杯して、グラスをあおった。

「じゃぁ 地球はどこにある?」
「宇宙にです」
「宇宙はどこだ?」
僕は一瞬考えこんだ。

「宇宙は宇宙にあるんですよ」
「その宇宙がある宇宙は何処にある?」
「僕の意識にです」
「どういうことだ、ピョートル。それじゃお前の意識は、お前の意識にあるってことになるぞ」
「まぁ そうなりますね」
「なるほど」
チャパーエフは口ひげをしごいた。
「じゃぁ、大事なことを訊くぞ。つまり、それはいったいどこにある?」
「ご質問がよくわかりません、ワシーリィ・イワーノヴィチ。場所の概念は意識のカテゴリーの一つなわけですから」

「どこなんだ、それは。その場所の概念はいったいどこにある?」
「じゃぁ、こう言いましょう。それは場所だとかそういうものじゃないんです。
言うなればそれは、現……」

僕は口籠った。そうだ、これこそ彼が言わせようとしている言葉にちがいない。もし僕が「現実」という言葉を使ったら、彼はまたすべてを概念に帰するつもりなのだ。そしてそれはどこにあるかと訊く。すると僕は頭の中にあると答える……。ひっかけだ。

このような対話を通じて、ピョートルは、世界など存在しないという目眩のするとうな考えを理解するように至ります。

この小説のタイトルは「チャパーエフと空虚」です。本著の34ページに記されています。
デカルト的で下手をするとニヒリズムに陥ります。「僕」というのはしっかりと意見を持っているが(コギトエルゴスム)、問いかける人間が概念に引きずり込もうとしている、という構造ですね。

これらを総称し、著者マルクス・ガブリエルはこうまとめています。

1宇宙は物理学の対象領域である
2対象領域は数多く存在している。
3宇宙は、数多くある対象領域のひとつにすぎず、したがって存在論的な限定領域に他ならない。

4多くの対象領域は、話の領域全体でもある。さらにいくつかの対象領域は、話の領域でしかない。
5世界は、対象ないし物の総体でもなければ、事実の総体でもない。世界とはすべての領域の領域にほかならない。

次回は他の話題を挟んで第二章のまとめを忘備録がてらに書きだすことにします。
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