なぜ世界は存在しないのか(2.5)

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 今日は(3)に行く前に雑談を挟みたいと思います。

「なぜ世界は存在しないのか」2.5版

 
「わたしたちのような存在者がこの美しい惑星上に存在することには何の
感心ももっていません。わたしたちが存在するかどうかも、わたしたちが自身の
存在を誇りに思っていることも、この世界全体を見ればほとんどどうでもよいことです」

「存在するものは、すべての意味の場に現象します。存在とは意味の場の性質にほかなりません」

 キリスト者はこのマルクス・ガブリエルの哲学は怖いと言う。イエス様に守られて
いるという意識の中でいると、この虚無のような羅列には耐えられないのか、何故怖いのかという本当の気持ちは分からない。今の私は彼等のことを理解しようとしていない。
イコノグラフを書いていた私は怖がったのだろうか? もう過去のことで考えるだけ
無駄である。

私は、もっとも愛した司祭に裏切られたので、ほんとうに「存在」とはこの通りだなと、
死と生の狭間でイエスの夢を見ておきながら、第三作でこの光を書かなかった。
自殺しようとした私に、イエス様は目覚める私に「赦す」と仰った。これだけの啓示を受けておきながら、私は、別の哲学に目覚めてしまったのである。教会の集まりでイエス様が現れて信者になったという人もいるというのに、なんと、私は真逆の人生を定められているのだろう。

私は、

「イエス様ありがとう」とならなかったのである。なので、作中後半からは敢えて私はイエスを消したのである。それはあくまでも文章上の中でである。イエスは私の力で消そうが消えるものではない。それだけは知っている。それに読者はどう感じるかは分からない。読者は私が書かなかったイエスを見つけるかもしれない。
ともかく私はクライマックスでイエスという単語を消した。

何故ならば、生き残った私は「悲しき存在者」という感情のほうが強く残ったからである。今度の作品はカミュの異邦人のようなものを書いたと我ながら思う。

これが私の本音であり、文学に昇華させる必要があると思った。
誰もまだやってないようなのでマルクス・ガブリエル本に
一章ごとに要約を自分なりにまとめて
発表することにした。

2章の忘備録は次書きます。

ユーチューブ4千回回数突破しました。ありがとうございます。(二週間)

類稀なる誠実な病の紹介(アクセス数、1万超えました)
彼のことをは恨んでいません。

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