なぜ世界は存在しないのか(3-2)

キルスティン・ダンスト


なぜ世界は存在しないのか(3-2)
「存在するということはどのようなことか」二章の続き。
仮にGというものがあったとしましょう。
人々が尋ねます。
Gは食べ物ですか? 答えは「いいえ」
Gはディスプレイですか?答えは「いいえ」
Gは赤い色をしていますか? 答えは「いいえ」
Gは数ですか?       答えは「いいえ」
Gを知る人はGが何であるかではなく、
Gがそれではないということだけしか教えてくれません。
これではGは具体的な本質が無いことになります。
Gは具体的に何も知ることが出来ないのです。
それはこうとも言いかえられます。
Gについて何も積極的に知ることが出来ないということです。
Gが何ではないかということ以外のことを知らなければならないのです。(92
更に頭をシンプルに全ての対象について何知らないということにしましょう。
これをGのように人々に尋ねても、最小限の情報でさえ得ることが出来ないでしょう。
とはいえ、対象の同一性を確定するのに、他の対象との区別に着眼するのは決して不適切なことではないとマルクス氏は語っています。
「絶対的区別」とは、ある対象とすべての対象との区別のことです。
絶対的区別が意味をしているのは、ある対象がほかのいかなる対象とも違うということ、
ただ当の対象それ自身と同一であるということである。(93
色々な対象を区別するには、内容的な情報に即した基準がなければなりません。ある対象をほかの対象から区別するのは何なのか、それを知るには当の対象に対しての知識が必要になる。でないと、Gを質問するような人々のようになってしまうということである。
次に、対象的になっているのが
「相対的区別」です。ある対象とほかのいくつかの対象の区別のことです。
相対的区別は、対照関係の情報によって得られます。そのさいの対照関係それ自身も、
様々なグラデーションの中に現れます。
コカ・コーラやペプシ、ビール、ワイン、アイス、キャンディ、その他、いろんなものと対照関係である。しかし、*ネコとは対照関係ではない。(書籍ではサイ)
「コカ・コーラをください、コカ・コーラがなければ、ペプシでもいいです」
ならあえりえますが
「コカ・コーラをください。コカ・コーラがなければでもいいです」とは言いません。
今欲しいのはコーラなのか、猫なのか、ということを考える人はいません。
それはコカコーラが猫と対照関係にないからです。
ここでマルクス氏がデリダの「テクストの外部など存在しない」と例に出しているが
非常にここは説明が難しいところである。今から私が簡単に説明するが、自信がない。
これはデリダの脱構築的アプローチの特徴を見ておく必要があるからである。デリダはテクスト(文章や文献のような文のまとまりのこと)について深く追求している。テクストの外部が存在しないということは、では「一切はテクストの内部に存在する」ということなのだろうか? 私達は無自覚にいろんな物に囲まれていることを意識してもらえるといい。例えば私は常に「パソコン」と唱えたりはしないが、黙ってパソコンを開いて今、この原稿を書いている。書いているものですら、原稿というテクストの内部である。右を向けば、本棚があり、左を向けばクローゼットがある。全て、私が立って歩き、フラフラ部屋をうろつくと一見、何の文章に例えようがないような行動でも、文章に起こすことができ、私の行動は「テクストの内部に入る」
元々、「テクストの外部など存在しない」というのはデリダの「差延」を短くまとめるために出されたものだが、差延「différance」とはデリダの造語である。語でもなく概念でもないという意味だが、異なることと、遅らせることを掛け合わせたものだ。
デリダは、なにを書くかによって、書くだけでテクストの内部で意味の遅延に繋がると
考えていたようだ。
これを裏付ける意味として、マルクス氏の解説に戻ると、
猫はテクストであるわけではなく、何らかの状況に置かれている猫を、世界のなかにある当の猫以外のすべてから区別することができるのではないか、こう問うてみても、やはり何のプラスにもならない、そのような区別をしようとすれば、問題になっている状況を位置づけるべき、さらなる状況が必要となる……と、言語に猫について置かれている状況を説明するだけでテクストが、本来の猫の存在の意味を言い表すのに遅らせているということになります。
これが「差延」です。
しかし、マルクス氏にとって重要なのは今のところ差延でなく、絶対的価値と相対的価値です。ですのでこの話に戻したいと思います。
◎これは人間による認識の限界を告げる事実であるにとどまりません。(95
世界それ自体は、わたしたちに色々な情報を与えてくれます。たとえば、地球の周りをまわる月はたったひとつだけ存在します。この情報は人間が天体を区別することによって世界にもたらされたのではありません。太陽、地球、月、の区別は人間によるはかりごとではなく、そもそも認識能力をもつ存在と知的な生命とが、この惑星上に存在するための条件に他なりません。
◎したがって、絶対的区別は存在しません(95
Gはなんですか?という質問では区別されることが無いからです。
あるのは相対的区別です。
次は「意味の場」です。すみません、長くなるので3つに分けることにしました。
次で「存在するとはどのようなことか」は終わりにします。
なぜ世界は存在しないのか(1)
(2)
(2.5)
(3-1)


アマンダサイフリッド
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司祭は人を愛することが難しい


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