スミレの花

私は数学なんかをして人類にどういう利益があるのだと問う人に対しては、スミレはただスミレのように咲けばよいのであって、そのことが春の野にどのような影響があろうとなかろうと、スミレのあずかり知らないことだと答えて来た。
私についていえば、ただ数学を学ぶ喜びを食べて生きているだけである。
数学者、岡潔の言葉。
私は岡潔も好きで、天然な天才のような彼も、30年以上認められず発狂したところに共感を持っている。シモーヌヴェイユの兄のアンドレヴェイユも彼を認めた。彼の数学理論は長年認められなかったが、今ではまだ彼を超える人が居ないと言う。クラウドやら、人工知能やらと時代が進む中、岡潔は今でも最先端なのである。30年でここまでたどり着けたのだから彼は天才ということなのである。
 私はカトリック除籍した後に、街中でもイスラム教徒の男性何人かに口説かれ半分神の話をされて、応援され、励まされ、ますます何が正しいのか分からなくなった。イスラム教徒から見れば、私達はアッラーの一部であり祝福されているということだった。イエスもアッラーの一部で歓迎されていると、彼等は、自分の思想や信仰を押し付けることなく私を元キリスト者として紳士的に立ててくれた。彼等は日本人に声かけるだけあって穏健派のイスラム教徒だった。ただ残った事実は、カトリックでの神父に良い人に会えなくて、罵られて除籍したが、外は可能性に包まれていて、私を受け入れていたということだけだった。私は私であればよく、ただ咲いていればいいということ。五枚の花びらとフィボナッチ数列の意味を持ちながら、秩序を持ちながらただ咲いていればいいということ。

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