(前半は削除しました)
今回の人生のテーマは「詐欺」のようで、カミュの「誤解」という作品に出合った。この本はカミュ全集の2巻で、カリギュラとシーシュポスの神話だけ読んで、「誤解」は読んでいなかった。家の本棚にあるくせに、他所の本屋で見つけたかのようにタイトルだけで惹かれて読んでみた。そしたら偶然にもまた「詐欺」の話だった。
この話は旅行者を泊めては殺して川に流して賃金を得るという阿漕な事を繰り返しているマルタと母親の話。将来的には阿漕なことから足を洗い、金を貯めたら太陽の当たる国へと行きたがる。しかしこの家族には、もう一人家族がいて、マルタの兄に当たる人がいる。彼は真面目で外で成功し大金を得るが家族を驚かせようと他人に成りすましたばかりに、この親子の餌食とされてしまう。
「ええ、もうこの心を持ち歩くのはいや。いろいろな疑問も太陽が焼き尽くしてくれる、そんな国に早く行きたい。ここは私の住むところじゃないわ」
「私だって自分の家があると思っていたわ。罪こそわが家だ、この罪こそ母と私を永久に結びつけてくれるんだと思っていたわ。私がこの世でほかにいったいだれを味方にできて? 一緒に人殺しをやったものでなくて?」
「聞きたいとおっしゃるなら言いましょう。誤解があったんです。世の中のことを少しでもご存知なら、驚くこともないでしょう」
人はありとあらゆる詐欺を働き、色んな嘘をついて近づいてくる。
それを想像出来ることが社会人経験であり、
そんな不条理な中に自分はどんな立場に置かれているかどうかを知ることが
「社会性」である。
―――私ごと―――
薬を飲んでいないと、鈍らされていた感性が戻っていく。無理して明るくならないから、形がない印象でも言葉で拾い上げることが出来る。例えば「不幸」とか、印象に過ぎないものも拾い上げることが出来る。薬は飲まないほうがいいようだ。しばらく飲んでるフリをして、捨てていこう。(薬を絶った理由はfacebookにあります)
薬を飲んでいないと、鈍らされていた感性が戻っていく。無理して明るくならないから、形がない印象でも言葉で拾い上げることが出来る。例えば「不幸」とか、印象に過ぎないものも拾い上げることが出来る。薬は飲まないほうがいいようだ。しばらく飲んでるフリをして、捨てていこう。(薬を絶った理由はfacebookにあります)