「アンティゴネーのような古い神話を何故哲学は使うの?例えばデリダの贈与のように」
これは説明するのにシェリング哲学のような古いドイツ哲学まで遡ります。哲学の世界では化学のような化学式のような各物質の構成の様子、元素の組み合わせを示すようなものはありません。哲学や文学のような思惟や思索の世界では一番それに近いものは「神話」になります。人間の性や本質をよく表していると思われています。ヴォルテールは「歴史哲学」で神話を取り上げていますが、カトリックの権威主義と対立化をさせています。Catholicのような宗教は権威がありますが、神話には存在しません。それこそ純粋な
化学式のような存在です。勿論、神話の引用を好まないグループ、例えば啓蒙主義のウェーバーもいます。シェリングは真理への道と、神々を定立する運動の循環という二つの側面からプロセスを進めており、ヘーゲル哲学「精神の現象学」の例え話と繋がっていきます。
恐らく、デリダのアンティゴネーの説明を読んでいるということはヘーゲル読解ということになります。現在の研究ではデリダのヘーゲル研究はまだ充分ではないとは言われています。仰っている著作はデリダ『弔鐘 (Glas)』だと思われますが、この死者をいたみ、冥福を鳴らす鐘は西洋ならではのキリスト教という権威のある体系、絶対宗教下にあるからこそ出来た哲学です。家族の主題は「宗教の止揚」の問題から、つまりこれまで見てきた哲学の始源への問いがデリダのこの弔鐘を読み解く鍵だと思われます。ただ難しいのが読者がどの程度の信仰心を持ち、どの宗派に属しているかによって三位一体の意味、イエスキリストと神との和解を捉えているかで全くデリダの読み方は変わってしまいます。もしかすれば同じカトリックでも、教皇や神学者によってとらえ方が様々で困難かと思います。シンプルにまとめてしまえば、アンティゴネーは兄への宗教的義務と埋葬という習慣と掟(法律)の対立から成るものです。それはヘーゲル的解釈からすれば、現象学への目標であり「絶対知」です。デリダのこの著作は更にイエスの死という悲劇から哲学が始まり、ヘーゲル的弁証法を試みていると思います。それによって、アンティゴネーのは誰に該当したのか、そういう話になっているかと思います。
※アンティゴネーとアンティゴーネと両方表記可