「プルーストの失われた時を求めての夢解釈について」の質問を頂きました。
一言でいえばle reve d’un reve(夢の夢)ですが。
プルーストの「失われた時を求めて」の夢の捉え方は多様性に富んでいて短く説明することは難しいです。しかし、敢えて言うのであればフランスのプルーストはオーストリアの「フロイト」を知っていたのかどうかが論点となっていて、未だに明確な証明が取れないそうです。現段階での研究ではフロイトの事は恐らく知らなかっただろうという事にはなっています。
夢を科学的、医学として明確に最初に捉えたのはフロイトという位置づけになっています。
ですので、プルーストの失われた時を求めての夢世界は、各々の夢というナンセンスなものから、レミニッセンスの組み合わせで成り立っている、無意識的記憶世界と言えるというのが現段階での見解として有力かと思われます。
失われた時を求めてでは沢山の夢物語が出てきますが、特に意味がないような夢や、
レミニッセンスがあり、特にこのレミニッセンスがこの作品の魅力となります。レミニッセンスとは、記憶は忘却曲線を辿って減少していきますが、心理的条件によっては想起する際に膨大な情報として現れることです。彼は夢と現実の世界を行ったり来たりして、文章によってレミニッセンスの美しい世界を描きだしています。この作品の最大の魅力と言えるでしょう。旧約聖書の神のお告げの夢、中世のように物語が夢物語になっている作品、英文学のようにmethinks ,methoughtという決まり文句で始まる等、様々な夢の形式がありますが、プルーストはそういった形式全部を取り入れ、尚且つレミニッセンスに重点を置いているかと。プルーストが書いたContre Sainte-Beuveという本の作家ネルヴァルを熱く語っている章であるle reve d’un reve(夢の夢)というのでしょうか、そういった現実世界で生きていく上で眠るときに見る夢を無価値と捉える一面もあったり、記憶の想起を芳しく、そして芳醇にさせるために夢物語として語ったりと、この話は夢について、多様性に満ちています。
ただ、これもノヴァーリスの青い花同様に未完ということもお忘れなく。
旧約聖書では夢は神のお告げになり、新約では神は天使に、人間は天使を通して夢で囁くようになり、イエス処刑前夜のときには天使も神も沈黙されました。夢を巡っては紀元前から様々な哲学者や作家が挑んでいて、未だに解明されていません。トマス・アクィナスも夢を分類しました。
ユングはフロイトより更に夢を集合的無意識として、アーキタイプを通して現実世界と結びつけようと解釈しましたが、オカルト的な要素が強いために学問的というより、サブカル的な扱いになっています。私、個人的にはチョーサーの「とても美しく、私の気に入る夢」というのが好きですね。
チョーサーの詩、お勧めです。