バタイユのフランス語翻訳

 

La poésie est une flèche tirée: si j’ai bien visé, ce qui compte – que je veux – n’est ni la flèche ni le but mais le moment où la flèche se perd, se dissout dans l’air de la nuit: jusqu’à la mémoire de la flèche est perdue.
Le Coupable (1943) de Georges Bataille
詩は矢を射ることである: もしも私はうまく
狙いを定めるのであれば、何が大切で、私が
冀望ものは、的を刺すことでなく、矢が喪失する瞬間、夜の情緒に溶けていくことである。
矢の記憶が喪失するまで。
(私の訳)
ジョルジュ バタイユ
解釈
ここでいう弓の矢とは思弁的に結果を
残すものでなく、心で射る矢のことである。
バタイユは詩をこのように捉えている。
夜に溶けるのであって必ず的を射る、エモーショナルなスピードをもって。

コメントは受け付けていません。

WordPress.com Blog.

ページ先頭へ ↑

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。