The Goldfinch

The Goldfinch:Carel Pieterszoon Fabritius
もっと純粋なものを反射しなければならない
ジッド「日記」第一巻

1654年10月12日に爆薬庫の爆発事故は大規模な範囲の犠牲を生んだ。多くの死者を出し、アトリエも巻き込まれ多くのオランダ絵画が焼失した。その中の一人の、レンブラントの弟子のカレル・ファブリティウスも事故に巻き込まれて帰らぬ人となった。この捕らわれの鳥は飼い主を失っても今も生きている。

この絵画の再評価の多くの理由は「運命」に惹かれた、という人は少なくないだろう。

 カレル・ファブリティウスはレンブラントの弟子であり、光の描き方がレンブラントの

影響があるだろう。レンブラントは初期の作品は多彩な色使いが見られるが、次第に茶とグレーの階調を基礎とし、一番光が当たるものに明るい色を置く。レンブラントはキアロスクーロという明暗を明確にする構図に惹かれていく。

この影響は弟子のファブリティウスにも見られる。全体的に鈍色で仕上げられているが、対比によって壁に強い光が当たっているように考察出来る。餌箱と鳥の背後の影が濃い。天然色の影響なのか分からないが、くすんでいる黄色が心的な光と影を作り出している。レンブラントとの違いは、宗教的な題材ではなく、鳥を選んだこと、固めの塗料を使用していることである。それは、ゴッホや印象派を連想させる。

鳥の背景は無地の壁であるが、この光の当たり方で鳥が見上げているものは日の光だと想像出来る。イタリア語でCardellinという名前のこの鳥は、カズラの実を好んで食し、イエスの受難を意味している。人間につけられた象徴、想像をよそに、もっとも純粋なものをこの鳥は見つめている。目に光が映りこんで、一瞬という瞬間に想像力が宿る。

Amor fati(運命愛)に纏われたこの絵画は、飛翔することを知らない鳥だった。

それなのに、長い時を経て生きている。

 この絵を現代で一気に有名にしたのは映画「The Goldfinch」(2019)だった。美術館に母親と二人で訪れた少年は爆発事故に巻き込まれる。少年は、逃げる際に生き残ったGoldfinchを盗みだしてしまう。元々の実在の絵画の運命をモチーフとして作られた映画だが、2021年、私はこの映画を前情報無しで見ていた。そこで使われている絵画に既視感を覚えた。映画用の小道具、という短命の運命にしては生命力があった。たかが鳥の絵ではあるが、背景の色が現代の発想で描いたわりには古典的な描写だった。光を理解していて、余計な思想が無い。絵画一枚として存在するにしては構図が右に寄っている、それにやはり見たことがあった。映画の話が頭に入って来ないほど、この絵のことばかり考えていて、登場人物達がオランダ絵画と言いだしたので、もしかしたら一度見たことがあるかもしれないと、別室の本棚から図録を探した。

2012年、私はこの絵をやはり見ていた。

マウリッツハイツ美術展(2012)の図録に付箋を貼っていた。そのページが「The Goldfinch」だった。オランダ絵画は顕微鏡等で観察がブームだった時代のものもあり、基本は精密な絵画が多い。レンブラントの「シメオンの賛歌」は圧倒的な異才を放っていた。フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」目当てに美術館のコースが決まっている。人間の笑った顔、笑った顔の作品を素通りしながら、静物画のエリアで「The Goldfinch」を見つけた。

その絵画は未完成のようだった。この展示会のテーマは「笑い」だったので、様々な人間の笑みの後に見ると動物の持つ邪の無さ、純粋な光を反射している羽は余計に輝いて見えた。探求心の欲しいがままに観察された静物画の並ぶところに、一枚の不完全が存在している。顕微鏡で覗けない距離に、その鳥は空を見上げていた。この絵は額に入る予定ではなかった。トロンプ・ルイユ(だまし絵)の一枚か、もしくはケースの蓋だったのか、正体は不明である。正直、この絵画展の評価は低かったが、この鳥の絵とレンブラントの「シメオンの賛歌」だけ良かったと感想を残している。

音を持たない絵画に、鳥の足音、鎖の当たる音の想像が混ざる。この鳥は運命のいかなる試練や誘惑にも消されることがなかった。不完全、飛べる可能性 繋がれた鎖、この3点は不自由な人間の心を打つのかもしれない。名作と思いながら、この絵画を語る機会がなかった。

まず、この絵画の作者を誰も知らないというのは不自由さ、語りだすことが難しい。

自分で秘めて持続するとしても、留めておく経験と情報が少なかった。

この鳥は私の記憶の死角に潜んでいたが、運命に愛されているのでまた生還する。

 図録を開いた瞬間に、挟まっていった館内マップと、当時の美術館の広告が本から落ちていく。それが鳥の羽ばたきの音を連想させた。消えていた記憶が蘇るとは、時間の動きを感じさせる。特に、それが希望に繋がる場合は、神の啓示にすら思えた。光を享受する力がある生き物の、その瞳の向こうには美しい世界が広がっている。

鎖で繋がれた鳥は、自由の代わりに特定の誰かの愛を受ける。この鳥を愛している人間の眼差しを想像すると、外も悪いものではないのかもしれない。この鳥に餌を与えていたのは誰だったのか、この鳥は多くの時間と空間を超えて、いつも光を見ている。爆発事故によって生き残った絵画の生命力、それが私の記憶でも意図せず蘇った。大切にしたわけでもない記憶だったが不意に蘇ること、フェルメールの「真珠の耳飾り」の列の案内を目にしながら、一瞬でも影のように潜んでいるこの「鳥」に目に留まったことすらも今は必然だったと思う。当時、確かに良い絵だと思った。でもそれほど記憶に残るものだとは当時気づかなかった。図録は買わないで帰ろうと思ったが、買っておいてよかったと思う。この展示会の頃はそこから人生が転落するなんて思っていなかった。2014年、カトリック洗礼後、

私は天国も見たけれども長い地獄にいた。死の淵で見たことをどうするか、一つのこの優しい奇跡に私の善意は保たれた。この記憶の黄泉がえりは無駄に生きていなかったという確証だったからだ。

 運命に愛されたこのトロンプ・ルイユ(騙し絵)、何を欺いているのか、生命力の強さに圧倒される。もう一度騙されてもいいので、光を受けてみたいと思わせた。

The Goldfinch(2019)
原作あり

***

ごしきひわは、「いばらの鳥」とも言われ、ごしきひわがキリストの茨の冠から棘を引き抜いて、その羽に血が飛び散ったと言われている。

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