Restrictions in faith should not be suppressed by clerical injustice. This time, the comparison and criticism of contemporary canon law and the reality of the Catholic Church with Franz Kafka's The Judgement and Michael Haneke's The White Ribbon is a step towards promoting the values and moral principles common to Japanese society in this country, which is not a state religion, and that the teachings of Jesus Christ are not misunderstood in a distorted way, as a step towards not being afraid to fight for peace rather than superficial peace.
信仰と法の狭間:教会法違反という現実を見ること。
信仰においての制約が聖職者の不正によって抑圧されたものであってはならない。今回、 カフカの「審判」やミヒャエル・ハネケの「白いリボン」と比較し、現代の教会法及び、カトリック教会の実態を比較し批判することは、国教でないこの国で、日本社会に共通する価値観や道徳の理念を促進すること、イエス・キリストの教えが歪んだ形で誤解を受けないことへの一歩となること、表面的な平和ではなく平和のために闘争することを恐れないことを期待する。高校世界史の教科書を使用した分かりやすい論文(academia.edu)
The Lord’s Prayer and Monadology
Love simply cannot live in a divided world. It is as easy as possible to say that even injustice is love. Love must live in contradiction with justice.
主の祈りとモナドロジー
ベネディクト16世の危篤状態の時に、購入していなかった残り一冊を買った。12月31日に届いて黙示録の、人は神しか知らない名前で呼ばれるという箇所を読んでいるときに彼は帰天された。博識の彼でも知らなかった自身の名前、これこそ #モナド そのものだと思った。哲学を嫌う信者も多いが、数々の不祥事に目を背けないためにも、神秘そのものだけで書くことが出来ず、モナドロジーは 事実を隠すことなく、誰かを高めることも低めることもなく、自己への問いと神のみを肯定できる哲学として相応しいと判断した。それこそ当時の カトリックとプロテスタント対立時の不安定な時代だった #ライプニッツ にように。
Sacred and Secular phenomenology.
Why is it beautiful? While I keep on chasing it, My hea... 続きを読む →
聖と俗の現象学
聖と俗は完全に離れているわけではない。聖と俗はA∩Bの関係であって交わるとろに芸術‐人間の神聖部分がある。
聖職者の違法行為と身分の喪失
「実際、このような犯罪の性質を考えると、その結果として科せられる刑罰とは別に、 司牧上の任務遂行に対して客観的... 続きを読む →
Augustus-English
When the soul's gaze by love looks out over the world, probably it raises the joy of being born into this world.
Simone Weil-For laborer English
Simone Weil in Marseilles, early 1940s ・People who are ... 続きを読む →
シモーヌ・ヴェイユ 「労働者への美と詩」
Simone Weil in Marseilles, early 1940s ①「見えない存在」とされている人... 続きを読む →
Casilda of Toledo – English
Cuando Casilda desplegó el manto, cayeronmuchas rosas. ... 続きを読む →
Casilda of Toledo – Japanese
the miracle of the Roses Cuando Casilda desplegó el man... 続きを読む →
Matthew 13 English
And that [same] day Jesus went out from the house and s... 続きを読む →
The Tree of Life (English)
“Where were you when I laid the earth’s foundation? Tel... 続きを読む →
「ツリーオブライフ」
2011年公開の映画「ツリーオブライフ」 キリスト教的映画と評されながらも、この映画を聖職者が評価したのは見たことがなかった。 ヨブ記の引用によって、同級生の死、父親の失業、弟の死と色々奪われていくが、ヨブ記最後の神からの賞賛に値するシーンがなかった。キリスト教特有を愛は痛み、と自己犠牲的でペイシズム的な映画だと思われていたが、あるきっかけで再び見ると、神の象徴である父親、マリアのような母親、に続いてイエス的な存在がいないことに気づいた。マルコの福音書の主人が旅に出るが、 一人に「門番」として待つようにという。それによって「イエスの不在」に気づかされた。 実話では戦死した弟は自死だったそうだ。「イエスの不在」とは私にも長らくそうだった。しかし、最近になって不在について希望(救世主)が旅を出ている、と思えるようになった。世俗(自然)に生きるか、神の恵みに生きるのか、自然ー神の恵みとするのなら、あの自然の映像美はイエスの旅なのかもしれない、そう思えた。「目を覚ましていなさい」その意味を