アウグストゥス

Mein Söhnlein, ich wünsche dir – ich wünsche dir –Ich wünsche dir, daß alle Menschen dich liebhaben müssen.
「わたしはお前のためにお願いするよ、皆がお前を愛さずにいられないように」


アウグストゥスーーヘルマン・ヘッセ

隣人は美しい音楽が流れる家に住んでいた。小さなオルゴールが鳴る頃に、母親は洗礼前の我が子に、皆に愛される子になるようにと祈った。それはその隣人である老人の計らいだった。母親はオルゴールが鳴り止んだ途端に自分が言った願い事が過ちだったのではないかと不安になった。何故、願い事を唱えた後に母親が不安になってしまったのか。それは異端である「魔術」という過ちを後悔したのか、それとも母親が社会悪の本質を知っていたからなのか。母親も既に魔法にかかってしまったのか、母は息子に一番自分が貴方を愛していると言ってしまう。やがて母親の不安は見事に的中し、息子は愛される冷酷な人間になった。

作者のヘルマン・ヘッセの作品は、時々自身の「記録」が言葉の奥底に存在するように思う。ヘッセの生い立ちを簡単に説明すると、まず牧師の神学校の厳しさに耐え兼ねて退学する。両親が悪魔祓いを依頼するが失敗し、その後に自殺未遂をする。精神科病棟の入院の後にギムナジウムに入るものの挫折、時計工の修行も挫折、それらの時代の内観と自戒が込められているのか、彼は書店員を一度は脱走したが、ヘッケンハウワー書店の店員で満足する。彼の「車輪の下」は神学校時代での生い立ちが顕著に反映されているが、「デミアン」や、「少年の日の思い出」等もヘッセの心の記録が現れているように思える。ヘッセの肉声が登場人物に移ろいで語っているように私は思うことがあるのだ。そこには破壊と創造、壊されたもの、過ぎ去ったもの、死を仏教徒のように見つめる作風に特徴があるせいだろう。彼自身も仏教徒なのかと当時はよく聞かれたようだが、インドに渡ったことがあるが専門的に取り組んではいないとされている。「アウグストゥス」の書かれた1913年は第一次世界大戦前の作品であり、戦争による破壊ではなく、どの時代や人生にも当てはまるようにとどまっている。

アウグストゥスは「メルヒェン」に収録されている作品の一つで、子供の頃に少し読んだことがあったが、印象に残った話は弔う花をすべて失った「別の星の奇妙なたより」だった。生まれてから10年程度の経験と想像力ではアウグストゥスは困難なものがあった。まず、誰からも愛される、というものが特に難しかった。当時は愛というものすらもよく理解してはいなかったし、両親以外の愛を受けた記憶がない。キリスト教圏では自分と関わってくれるもの、育んでくれるものが愛だと教わったが、私はそれは理解できなかった。「感謝」という言葉すらも本心からなのか、もしくは社会性を考えて合わせて感じるのか分からなかった。仏教の学校では「死」について、人間は生まれたときから死に向かっていくという話から始まっては聞き入っていた。宗教行事が嫌いではなかった私は、キリスト教でいえば侍者のような係をしていた。宗教教育がない学校の同級生からは宗教行事があることを同情される。恐らくそのころも誰から愛されているか、なんて考えなかったのだろう。愛してくれる人も愛せる人も相称してしまえば、常に自分の居場所だった。いつからだったのか、生きていることが嫌になった。生きている事への疑問から、成功した自分に希望を持つこともあれば、どうせ何にもなれないので生きて意味があるのかと思う。それは皆、少なからずあると思っていたので気に留めなかった。大学は宗教と関係のないところに行った。そこでドイツ語のヘッセを訳した。

それでも、まだアウグストゥスの意味までは分からなかった。マタイの福音書5章「心の貧しいものは幸いなる」を体現した話、とは恐らく大学か、解説で知ったのだろう。生きるということが平均台を歩くようにふらついている、そんな若い日にとって金銭的貧しさもそうだが、心の貧しさは到底受け入れ難いものがあった。どんなに気を付けていても落下する、そのように生を保っている自分にとって、貧しさとはバランスを崩してしまうように思えた。アウグストゥスの母親は、何故子育てに魔術を使ってしまったのか、その落ち度が私にとっては疎ましかった。彼女は夫である父親をすぐに亡くし、将来は子供が大学教授か、王様にならないと生きていけない、それぐらい貧しかったとうかがえる。

残されたアウグストゥスは未亡人と付き合ってはすぐに冷め、夫がいる人に恋に落ちたが、その女性は「貴方を愛して仕方がないけれども、夫といるほうを選ぶ」と妙なことを言った。まるで本当は夫が大切なのにアウグストゥスにかけられた魔法のせいで、愛情が歪んでしまっているかのようだった。

やがて彼は、愛される力を消すように隣人に頼んだのである。その後、アウグストゥスを見る大衆の目は一転してしまう。今までの恨みや、罪が一気に押し寄せて彼は刑務所に入れられる。刑務所から出た彼は病を経て、世界をさすらい、自分の愛が生きる場所を探した。

それでも今度は人は彼を誰も愛さなかった。彼を虐げ、手を振り払う。その中でも彼は人々を愛して尽くした。

彼はありとあらゆる貧しさから心の豊かさを得て最後は死んだ。その話は若い頃の私には考えたくない話だった。貧しければ生きていけない、そう考えなければいけなかったのである。貧しさとは金銭的なものとは限らず、心についての貧しさすらも認めたくないものがあった。確かに童話としては貧しさとは美しいものがある。しかしグリム童話等は「星の銀貨」のように貧しい人に施しが与えられるもので、庶民にとっての希望とは「恵み」だった。しかし、宗教は時折、恵みという見返りを求めず何も持たないものを幸福だと説くことがある。

それはキリスト教に限らず、仏教でもそうだった。その考えは精神が負けてしまうと思ったし、それが間違えだったとは思わない。それが如何に大切なことか認識はあったけれども心には刻まなかった。それから何年も経ったけれども、この話を拾うことも思い出すこともなかった。職業柄、ヘッセの話はすることがあっても、これ以外の話を拾う。元々、マタイの福音書5章すら意味は理解していても拾うことはしなかった。この話は所謂「盲点」だったのだ。

仏教の八つの詩句の章に、聖者は分別を受けることはなく、妄想分別に陥らないとあった。妄想分別――理解したことに捕らわれること、それを無明とする。それは、マタイ伝*の「貧しいものは幸いなる」に通ずるものがあった。ここでいう聖者とは、釈迦のことであるが、自身を優れたものとも、劣っているものとも、分別しないことを安らかである戒律として弟子に説いている。そして別の項では戒律を守っていることに驕らないことも覚悟の一つとして挙げられている。マタイ伝の「幸いなる」とは、イエスの山上の説教の一つである。旧約聖書のモーセの十戒は神聖なる戒律だった。しかし、多くの人が誤解をして律法さえ守れば幸福になれると思っていた。そしてそれを守れない人間を虐げ、迫害することを覚えた。貧しい民はイエスの御業を聞きつけてイエスについて山上まで辿り着いた。別視点で書かれたルカの福音書では「貧しい者は幸いなる」としていてギリシャ語で金銭的な貧しさだけを指しているのに対して、マタイの福音書は「心の貧しい者は」と内面、霊的なものも明確に意味している。世に疎まれ、虐げられ、罪人と位置付けられる人々をイエスは愛をもって解放し続けてきた。

それは人々が期待するような絶対的な力ではなく、地味なものもあった。イエスは「心の貧しい人」、「悲しむ人」、「柔和な人」、「義に飢え乾く人」らを天の国はあなたがたのものである、幸いである人だと語った。律法で一番重要なのは何かと弟子に聞かれたイエスは、「愛」だと旧約聖書の申命記等を引用した。愛とは善悪が明確になるものではなかった。だからこそイエスのたとえ話、その光も多くの感動と誤解を生んだ。それでもこの「心貧しいものは幸いである」とは長い歴史の中で核心として受け継がれている。この箇所を忌み嫌っても、いずれは信仰生活を続けていたらこの箇所を理解する。

アウグストゥスが与えられた「愛」に関する才能は賜物であったのか、それとも呪いであったのか、それはヘルマン・ヘッセの賜物、才能に対する価値観が表れているのかもしれない。「詩人になりたい、そうでなければ何にもなりたくない」と言った有名なヘッセだが、自殺未遂までした彼ならわかっていたのだと思う。才能とは足枷のようでもあるからだ。賜物とは神が与えたタラントであるが、増やし方が分からない。恩寵を受けている、それを理解しながらも安らぐことが出来ない。人の心とは物理法則のように法則通りに動くわけではないからだ。絶望とは物理的な絶望なのか、それとも無明というものなのか、生き方というものや居場所というものは常に困難である。

アウグストゥスという話は、社会の持ち合わせている両面性を「愛」に例えた。神の試練(摂理)と言ってしまえば苦難と恵みは平凡に混ざっていて容易く識別出来ない。それがアウグストゥスが受け続けた世界からの愛である。他者は彼を愛しては、彼にとっては価値のないものを与える。彼が冷酷になっていったのは、神の愛を感じなくなった人間の寓意である。それは死を自ら選んだヘッセ自身の投影のように思えた。死を選ぶということがどのような事だったのか、振り返った時に彼はそのように考えたのかもしれない。生き返った後にすぐに幸せが訪れるわけでもない、彼の脱走癖と作風に現れている。それでもアウグストゥスは、世界をさすらい何かの形で人々の役に立ち、自分の愛を示すことのできる場所を探すことが出来るように、世の中は素晴らしく、愛すべきだと知った。

この旅路の間に、アウグストゥスは自分が圧迫を受けて歪んでいった心を幸福で満たしていく。キリスト教の教えでは地上のものに期待をした者が、神に希望を見出すように

とある。しかし神という崇高な存在が、幸福をもたらすということはどういうことなのか、それを言葉で説明されても理解できないこともある。神は日常的ではないと言わんばかりに壁一枚隔てている。哲学者シモーヌ・ヴェイユは神を一旦括弧に入れる(エポケー)ことを試みているが、アウグストゥスも、他者から見れば幸福なんて何一つ無い、疎まれて愛されない旅路で心を満たしていった。幸か不幸か従来の価値観で判断しないこと、仏教的「分別」を持たないというものはこれに近しい。

Er wunderte sich täglich, wieviel Elend es auf der Welt gäbe und wie vergnügt doch die Menschen sein können,

この世はどんなに不幸が多いか、しかも人々がどんなに幸福なのか考えていた。

Das Menschenleben schien ihm vorzüglich eingerichtet.

彼は人間の生活はよく出来ていると思えた。

so daß ihm schien, er habe die Welt niemals anders gesehen als heute; aber er war zufrieden und fand die Welt durchaus herrlich und liebenswert.

彼は満足を知り、世の中は全く素晴らしく、愛すべきだと思った。

――彼は以前のように愛されていたわけでも、高価な贈り物を貰えるわけでもないのに世界を愛することを覚えた。その上、敢えて自ら進んで空腹や苦しみを選んだ。ここまでなら仏教的で終わるが、違いを説明するとすれば、「天の国はあなたがたのものである」というところに、このメルヒェンは辿り着いている点である。アウグストゥスは唯一親切で、自分に賜物と障害を与えた隣人のところへ辿り着いていた。よく音楽が流れていた家だったが、最期は亡き母の声が聞こえたような気がして、彼は天に昇ったのである。

これは人生の敗北であり厭世的なのだろうか? 嘗ての私はそう思っていた。しかし違うのである。メルヒェンの死は本当の死とは違う。実際に彼は死んだが、寓意となって人々の心に入り込んでいく。イエスがたとえ話をしたように、心貧しくなったとしても幸福だと思えることがどういうことか、それは物理法則では説明が出来ないことである。けれども、誰しもがこの寓意溢れる世界に身を置いて自分に照らし合わせたら、そんなに異国の話でもないことに気づく。どのように心を動かせるのか説明は出来ない。しかし神とイエスをつなぐとき、それを私達は「聖霊」という。これは最も説明がつかない聖霊なのかもしれない。

私達は時々、見えるものや感じることだけで心を閉ざすことがある。死の鐘の隣で、生命の誕生があるということ、見えない喜びを誰が知らせるのだろうか。このように希望とは隔てているものを越えなければならない。幼い頃に自我が何度も目覚めたように、慣れ親しんだ作品が死角に埋もれたかと思えば、また現れるように。喜びがある日も哀しみで消えてしまいたい日でも魂に響くことを人は常に待っている。目の前の存在の名前を知ったように、見慣れた光景に感動する。

アウグストゥスは自分も貧しくなったが、他者の貧しさを知った。彼はもう愛されない存在になっていたので、彼の優しさや愛が人に伝わらないことを知っていた。「心貧しいもの」それは自分だけではなく世界にも向けていた。最も伝えたい貧しさには届かないことを、人の心を動かせる聖霊を自由自在に操ることは不可能なことを、それでも愛するということがどういうことなのか、世界がそれでも美しいと言える何かを彼は知った。

美しい音楽とは、愛する人の声だった。彼にとっては、それは母であった。生前から流れ続けた最も美しい音楽が、愛する人の声になっていく。天の使いと愛する人の声と重なることは願望であり幸福である。何故この箇所がマタイの福音書を体現していると言われるのか、どんなに時代が変化しても普遍的である貧しさを、そして何故この箇所がキリスト教徒として核となると教えられるのか、私は漸く知れたような気がする。

与えられた寓意や知る由もないことに心を馳せ、自戒すべきところが浮かび上がり、貧しさを知る。愛による魂の視線で世界を見渡すと、この世に生まれてよかったと歓喜を挙げることがあるのかもしれない。

喜びなさい 大いに喜びなさい 

マタイの福音書5:12

あとがき

ヘルマン・ヘッセのアウグストゥスはマタイ伝5章の「心の貧しいものは幸いなる」を

体現した話として有名である。私にとってこの話は学生時代は何者かになるのに必死で、人生の敗北のように思えた。実際にこの貧しさが分かるようになりたくなかった。今でも、この貧しさを理解することが正しいとは言えない。しかし、イエスの言葉や愛が三位一体の聖霊のように、心で理解する必要性があるものだとするのなら、この話の貧しさとは魂の視線で見つめるべきである。これを人に伝えるとするのなら、力づくでは伝えられない苦しみを知ることでもある。ヘッセの自殺未遂の後と自分の経験によってアウグストゥスに共感した。愛を受けていても、愛とは思えず冷酷になっていた。生き返った後も愛を理解できなかったことも、気が付いたらアウグストゥスに私はなっていた。子供のころは愛が分からないので相手にしなかった話、次は貧しさが疎ましくて無視した話が、最も近しい話になる時。ヘッセは作中でこのように書いている。「幼い頃に慣れ親しんだ作品は彼の魂に過去の響きを呼び覚ました」――イエスが賢い人や権威がある人だけではなく、伝えた愛について。

常にこうあるべきだと言い続ける現代に、休息を。それこそ希望なのかもしれない。お経を読みなれた仏教徒の彼の聖書朗読の「喜びなさい 大いに喜びなさい」があまりにも美しかったので、アウグストゥスを偶然思い出した。

このサイトのマタイの13章、シモーヌ・ヴェイユ労働者のための詩、に続く。

「少年の日の思い出」


盗みを犯してしまったという気持ちよりも、自分が壊してしまった美しい蛾の姿に苦しめられていた。
そうそう、君はそういう人なの

ヘルマン・ヘッセ「少年の日の思い出」

 蝶のように生物の標本とは、生の実体ではないが本質として残る。研究としての資料でもあり、嗜好品としても存在する。ハインリッヒにとっては嗜好品だったといえるだろう。この話は日本の教科書にも載っているほど有名な話だが、ヘルマン・ヘッセSchmetterlinge「蝶」の短編集Das Nachtpfauenauge(クジャクヤママユ)」(1911年)の章である。邦題は「少年の日の思い出」となっている。一人称「私」のお客さんがハインリッヒ・モーアであり、物語の殆どがその男の思い出話である。ヘルマン・ヘッセの蝶と蛾を主題とした散文九編、詩十一編、編者Volker Michelesのあとがきによって構成されている。

 蝶の採集を始めたハインリッヒは、二年目の十歳で虜となる。蝶を見るだけで恍惚状態となり、採集をするが彼は古いボール箱に保管するしかなかった。しかし、友人達は標本用の綺麗なガラスケースに入れてくるので、彼は次第に友人らに見せるのを止めて、妹だけに見せるようになる。彼は珍しい「コムラサキ」を捕ることに成功する。展翅し、ボール箱の標本を完成させる。彼は隣の少年、エーミールに見せたいと思った。その少年は、庭を隔てたところに住んでいる学校の先生の息子だった。標本の数自体は少ないが、ハインリッヒとは違って、彼の標本は美しかった。そして彼は標本作りや修復の高度な技術を持っていて、ハインリッヒは彼を妬ましいと思いながらも、感嘆としていた。

ハインリッヒは、エーミールにコムラサキを見せたら、最初は褒めてくれた。しかし、色々と管理が杜撰なことを指摘される。それ以降、彼はエーミールに標本を見せなくなった。やがてエーミールが二年後、「クジャクヤママユ」を採取したと、耳に入る。それはハインリッヒが恋焦がれていたものだった。彼は隣の家に行ってノックをしたが、エーミールの返事がなかった。そしてあの蛾を見たいと勝手に部屋に入って、「クジャクヤママユ」の美しさに忘我し、盗んでしまった。すぐに良心に目覚めて、引き返して蛾を戻したが、蛾は形を失ってしまった。壊れてしまったのだ。

 家に帰り、母親に打ち明けると怒鳴って怒ることはなかったが、エーミールに謝罪するように言われる。ハインリッヒはエーミールの家に戻ったら、エーミールはクジャクヤママユが何者かによって壊されたと騒いでいた。彼はクジャクヤママユを最善の修復を施そうとしていたがダメだった様子が伺えた。

ハインリッヒは謝罪をするが、エーミールは彼を許すとも怒ることもなく、

「そうそう、君ってそういう人なの」

と言って軽蔑的な目で見る。

エーミールは、ハインリッヒの杜撰な蝶の管理が彼の本質かのように語った。

帰宅後、ハインリッヒは母親に優しくはされたが、今まで集めて来た蝶や蛾の標本を指で潰していくのだった。

蝶や蛾の標本は、形がある間は本質として存在していたが、壊してしまうことで本質と現象が渾然とする。概念、思惑の中に蛾の面影が溶けていった。標本のようなものは、存在でしか意味がない。エーミールの指摘は本質観取だった。気持ちや、情熱だけで保存された蝶の標本は存在価値が無かった。「美しくなければならない」ハインリッヒはまざまざとその意味を理解する。何故なら、蝶と蛾は二度死ぬのだ。標本のための死、それからハインリッヒのエゴによる死、ハインリッヒは一度目の死を生かすことすら出来なかった。それが収集家であった彼の自尊心が削られる。

観念連合の集まりが寄生という形で精神に住み着いては、成長しても精神の中で切り離されて孤立する。ハインリッヒは蝶の収集は恐らくそれ以降することはなかったようだ。エーミールの標本を壊す前、家に勝手に入る前、エーミールに声かけなかったとすれば、少年の心には純粋に蝶を採集する姿があった。あの当時の情熱に純粋に返ることも抽出することも出来ない。一度壊したものは戻らない。蝶・蛾への情熱、ハインリッヒにとっては、本来なら愛される人格の一つだった。けれども愛される少年の人格は、エーミールの軽蔑によって罪深いものとなる。誰かの許しがないという状態は、失ったのは形だけではなかった。潰された蝶や蛾は、何処へ行ったのか。鱗粉の感触を残しながら、現象は羽ばたいて、一人の人間に語られる形無き存在、形而上学になった。

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哲学のテーマ 「本質」と「現象」

コンプレックスへの参照:ジャンマルタンシャルコー

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