Die Liebende‐Rainer Maria Rilke

凡庸で一見、外観から想像できない思惑を、時間と思考を刻むように言葉で浮かべながら、何気ない眼差しが、窓を差し込む光が、移ろう感動が、全て意味を持つことが出来るのなら、私は幸せだと思う。そうやって、私は美しいと思うものも、そして生まれてきた意味も実感していた。私は全てを愛している。憎みながらも、愛している。

ChrisKyogetu「意識について」

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リルケの「愛する人」、Das ist mein Fenster「これは私の窓」という始まりは、自分の内部の目覚めと共に、意識出来ない外部への視線が必然となる。それはEben bin ich so sanft erwacht.「たった今、目覚めたばかり」と、白粉が舞うような、甘くてゆったりとした時間を感じさせます。「窓」のような人間の生活に関わっている日常を通して「Bis wohin reicht mein Leben」私の人生は何処へと届くのかと、到達しえない眼路の限界と、その限界を補うための夢想、「und wo beginnt die Nacht?」そして夜は何処から始まるのだろうと、更に夜と宇宙の無限、そして夢と誘います。

「私」はIch könnte meinen, alleswäre noch Ich ringsum;(私の周りぐるりと全てが未だ私のような気がする) と、それによって内と外との境界線を失います。

私の窓、「 eben、たった今」この窓とは、この詩の中では外の世界と繋げる存在でもあり、隔たりにもなっている。恋する彼女は外の世界を通して彼への想いや気づきを「窓の外という客観性」として具象化します。けれどもこれは彼女の内省だった。

 彼女の存在は窓の「内」にあります。期待を抱こうが、不安を抱こうが目覚めた「今」とは、ただ自分が開かれた窓の内側にいることです。

―Eindruck―

「私」と、こ の相手との関係の詳細は分かりませんが、想う相手が心の中に居るということは、愛する人とは、自分の意識の下で自分の認識している範囲の記憶を形成するが、

佇立している静かな存在では無い。この詩は 「私」と、「想い人」二人の間に何らか しらの干渉者、管理者(例えば神)を置かずに、外の世界を窓だけで表現しているというのが私の分析です。

本来の現実とはこの詩が終わった余白へと向かうことでしょう。何も書かれていない余白世界、それは詩にとっては自分の心とは関係無く存在していて、詩人が人の心の中に入るということは、読者の視界に変化を与えるということです。その日から窓が特別な存在になれば、成功なのです。内面が育つ、内面が繊細になった視界は美しい。

 美しい詩とは余白まで美しいものだと私は思います。 

2015年の推敲版

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リルケ:「愛する人」Die Liebende ( Rainer Maria Rilke )

これは私の窓、たった今、おもむろに目覚めたばかり。

私は宙に浮いているようだが、私の人生は何処へ向かい、

夜は何処から始まるのだろうか。

私を取り囲む全てが私のままだと思えた。

それは結晶のように深く、透明で、暗くて、無言で、

私はまだ私の中の星をつかめそうだった。私の心は広くなり、

私の心は、彼を再び手放せそうだった。

私が愛し始めたかもしれない、抱きしめたいと思ったかもしれない人だから。

私の運命は、説明のつかない、謎めいた眼差しで私を見ている。

この途切れなく続く私とは何なのだろう。

草原のように香り高く、行き交いながらゆらめいている。呼び声を聞くと恐れてしまうことは、誰かにとっては、別の場所で別れを意味することだから。

(朗読しやすいように翻訳しました)

(原文)

Die Liebende ( Rainer Maria Rilke ) 訳・Chris

Das ist mein Fenster. Ebenbin ich so sanft erwacht.

Ich dachte, ich würde schweben.

Bis wohin reicht mein Leben,und wo beginnt die Nacht?

Ich könnte meinen, alleswäre noch Ich ringsum;

durchsichtig wie eines Kristalles Tiefe, verdunkelt, stumm.

Ich könnte auch noch die Sterne fassen in mir, so groß

scheint mir mein Herz; so gerne ließ es ihn wieder los

den ich vielleicht zu lieben,vielleicht zu halten begann.

Fremd, wie niebeschrieben sieht mich mein Schicksal an.

Was bin ich unter diese Unendlichkeit gelegt,

duftend wie eine Wiese, hin und her bewegt,

rufend zugleich und bange, daß einer den Ruf vernimmt,

und zum Untergange in einem Andern bestimmt.

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