夜と霧

収容所におけるすべての人間は、我々が悩んだことを償ってくれるいかなる幸福も地上にはないことを知っていたし、またお互いに云い合ったものだった。

ヴィクトール・フランクル「夜と霧」


 アウシュビッツ収容所の地下18牢はコルベ神父がいた牢獄だった。どうして其処に小さな窓があるのか、日差しは何を意味したのか。そこは例えるのなら画家が貧しい小屋に安息を描けるほどの凡庸な部屋、それほどの凡庸な空間だった。空間は使い方次第で死の部屋となる。窓、それは私にとって捉えきれない思惑の逃避先だった。空間は印象でいえば青みがかっていた。実際の色がどんな色だったのか、青だけがやけに覚えている。鼻についたのは埃のような、錆のような香りで、その日の気温がどうだったのか記憶にない。痛々しいというのは四季を奪うのだと思った。浮いている私の肌の色と、母国語ではない説明を聞き続け、相槌の言葉だけ気を付ける。多くの人が死んだ場所、というのは特別でもなく日本にも存在する。例えば、地下鉄サリン事件があった駅。そこは何度も学生時代に通った。残酷に奪い取られた魂の重さというものは、いつも形容しがたい。

それだけでなく、アウシュビッツ収容所は神、イエス・キリストが救いにこなかった場所だった。その証拠に他の牢のいたるところに十字架を爪で掘られた跡もある。彼等は懇願しただろうに救いが来なかった。それは見えない魂の絶望を知らせている。

2

 ナチスが用意した強制収容所ではガス室や毒で死んだ人だけではなかった。自殺や餓死、病気もあった。施設内での死、それらをまとめて収容所の死者数とし、強制収容所は悪の根源とする。独裁政権は他の国もあったが、これほど明確に語り継がれて残されているのも選ばれた場所のようだ。他の国の独裁政権を安易に現地の人に聞くことは出来ない。比較的、アウシュビッツのように見学可能なポーランドの収容所が貴重な資料だといえる。民主主義だったものがこのような惨劇を生み出すのだろうか、ドイツの歴史は此処では遡らない。ただ、ナチスドイツが生まれたのも当時にとって民主主義だった。日本の場合は、真っ先に思い浮かぶのは国民審査である。国民審査がどれほどの効果を持つのか(日本国憲法79条)国民審査で罷免された裁判官は現時点ではまだ存在していないので、仕組みを知っていても実感が湧く人は少ない。

実感は常に「事後」に湧き上がる。「民主主義」や民主政治への妄信もあるが、残酷なことがあるとすれば、マクロではなくミクロに隠れるようになった。個人の体験による感情は問題がないが、対岸に起きている事件の感情は突き詰めてもただの「興奮」である。例えば、有名人の誰かが自殺をしたとして、それを自分の身内のように感情を抱いたとする。しかし現代ではそれを遺族にとって迷惑な話になる。

テレビの向こうでは「理解してほしい」と遺族に泣かれても、同情しても言葉に間違えがあれば名誉棄損と訴えられる。それが現代になった。より一層私達はメタ化された現象に触れることは危うくなった。

このように現代の言論の中では「収容所」のせいではないというような見解も自然になってくる。医療過誤や、学校の問題、それら一つの空間で起きたことについて。それは自殺だったので自業自得――それは餓死だったので関係がない――死因は病気。「同じ空間で皆、同じ死に方をしていない。だから科学的根拠がない」それが現代である。

私は小学校の頃に湾岸戦争をテレビで見せられた。授業を中断し私達は速報を見続けたが、瓦礫の下に人間が転がっているのが映っていた。暗視装置の技術がこの当時は話題で、イラク側の油田に放火して煙を撒く作戦でも、簡単に的中するところを見せられた。殺されただろうという後に「恐らく、親子だった」とコメントがあった。それは米兵だったのか、記憶は定かではない。本当に、この瞬間に人が死んだのだろうかと思うほどの呆気無さだった。当時の担任から「今、戦争があるとすれば火垂るの墓のようなものでは済まない」と、暗視装置のように兵器は進化していると説明があった。

人類、皆平等と疑わないのと同時に、私達は憲法9条と共に平和を手にしていると漠然と信じる。それにしても、平和に対する思いを子供に書かせるというのは、子供の頃しか書けないというとでもいうかのようだった。どうして大人は子供に書かせるのか、大人はどうして言わなくなるのか。親も担任も何故、子供に「指導」することで終わるのか。どうして平和を教える人は来客なのだろうか。教師や身近な人は詳細は教えなかった。私生活に影響がない人が戦争体験を語って帰る。

やがて大人になると、自分たちが受けてきたのは左翼的教育だったと目覚める友人達が出てくる。どうして9条は世界に賞賛されているとされながら、世界は真似しないのか。他の国は軍隊を普通に持っている。それを「私達」が疑問に言い出すと世界から右傾化と非難される。けれども、世界はその目覚めを「悪」と言う。でも、それは世界の断片に過ぎない。私達は世界の本質なんか知らない。憲法9条なんか片隅にしか無い。日本という国は左程「知られていない」。ただこれもまた、私が渡り歩いた世界に過ぎない。世界は広い。正解も恐らく同じぐらい複合的に広い。

あの時に見た湾岸戦争の映像だって本物だったのか定かではない。遡れる確かな事実は「株価」だけになった。株価の記録は世界共通言語とでもいうかのようだ。分析は解釈によって分かれるが、数値に嘘はない。1990年8月2日にイラクがクウェート侵攻によって、その後の株価は垂直に下落。10月、11月に低迷するが、12月に少し反発する。1991年1月17日、多国籍軍イラク空爆によって湾岸戦争が始まる。その後にクウェート侵攻前と同水準まで回復する。あの時、教室で見た悲劇はなんだったのか、本当にあの時に親子は死んだのだろうか。幼い頃の恐怖を克服するように大人になってから株価等を見る。戦争という有事も確かなものになれば、マーケットとしては期待値が上がる。怖いという感情がまるで無知だと云うかのように株は回復する。

 私は記憶を遡ってみると実存主義の体感が強かった。恐らく子供のころに湾岸戦争を見た世代はそのような傾向が強いと思う。そして私達を教育した世代は構造主義を傾倒していた。(厳密にいえば、大人には実存主義で溜まる不満を変えれるという理想があった)ヨハネパウロ2世も構造主義のレヴィストロースを優れた哲学者だと賞賛した。サルトルやフッサール現象学の影は薄れていたが、隠されれば隠されるほど、感じた体験に答えている存在が身近にいないものだから、「不確かな確信」を追うようになる。自分の心に映し出されるものは、世界と繋がっているものなのか。それは意識の外でも、存在している。眠っている間にも、現実世界が意識の外で蠢いている。戦争の知らせは、現実の一部に過ぎない。勿論、世界から渡されるものについて、自分が何故そのように感じたのかというのを構造か実存か明確に分けることは難しい。どれにも共感と実感するものがある。

しかし、私達の世代はバブル崩壊後であったが、バブルの恩恵を受けられなかった人達から教育を受けたので世の中が皮肉めいてみえた。それと同時に「人は平等」とありもしない夢も多く与えられた。それに加えて2001年の911のような有事があっても、必ず経済は回復していた。10%の下落の後にすぐ反発。実際、下落の要因になったのは2001年12月のエンロン破綻、6月のワールドコム会計不正だった。戦争で世界が終わる、その認識は薄らぐのは当然だった。

5

アウシュビッツはどうだったのか。そう問われても戦争を基準に日常を考えない私達にとって存在そのものは壁一枚隔てている。重要なのは平時の世界だった。「夜と霧」は2003年に新訳が出版され、911に当てはめて解釈されなおした。旧訳にあった収容所であった残酷な写真は消されている中、現実のイラク戦争は平和スローガンの打ち上げ花火だけしか私達は見ていない。(日本)骨肉の痛みを知らない若者を嘆くが、私達も子供のころはそれを想像で補っていた。けれども、それを理解したところで意味なんてなかった。本当はそうさせたかったのではないのか。「人の痛みが分からない」というメタ化された人格がそのように形成された。それは紛れもない事実だろう。

 ハンナ・アーレントはアウシュビッツに収容された人間が忘れ去られることを警告していた。彼女はアウシュビッツに収監された人達は拷問による死、そして時間の経過によって忘れ去れる死二重の死とした。これが私が訪れたアウシュビッツ収容所そのものだろう。空間に歴史上としての記録が染みついているわけではない。コルベ神父がいた18牢には中には誰もいない空間があるだけだった。有事を基準に考えずに生きていたそれが証である。もしも観光客用の英語翻訳も、前情報無しに来たら此処は一体何に見えるのだろうか。事象が言語を超えて語ることはない。「実存は本質に先立つ」とは建物のことである。なんとなく感じる鎮圧、それは果てしも無く無言を貫いている。その建物の存在する意味を人間が表し続けている。爪で刻まれた十字架の跡は筆跡者を名乗らない。神が来なかった証はやはり絶望でしかない。祈ることは無駄だったのか、サルトルは無神論主義だともいわれているが、実際にアウシュビッツに収容されたフランクルは、心理学者として「希望」を残していた。

アウシュビッツという創造的な自由がない場所で、彼は内面だけは奪われないと強い気持ちを持ち続けた。そこには逃避も当然あるだろう。クリスマスまでに解放されると信じた人達は、クリスマス当日に鉄格子の電流で自殺をした。だからこそ、フランクルは安易な希望を危惧した。収容所では、自分が苦しくても人に施しを与える人もいたが、発狂した悪魔のようになった人もいた。魂が営むような経験も存在しない中で、神が来るかどうか分からない場所でも、態度による価値だけは奪われないとした。そこには「祈り」も含まれる。

2003年の「夜と霧」(新訳)の出版の際は、アウシュビッツほど酷い経験をしていない私達は、 当然ながら「希望」を持たなければならないと紹介されていた。私は、当時にそれは少し違うと思っていた。フランクルが何故、アウシュビッツの「残酷」さよりも、残酷の中でも抱いた「希望」を書いたのか意味を考えた。アウシュビッツという歴史的事実は、形を変えて訪れる。それは人間は不幸が避けられないからだ。私がサルトル的な「自由の刑」だったと振り返っても思う。私達は平和なのだから幸福に感じろと常に強いられてきた。けれども実際、そうではない。それは不幸を知っている人だけが気づけることだ。戦争という有事が無くても、両腕がなかった「中村久子」のように不幸は誰にもある。病気で両腕を失った久子は、母親に厳しく育てられた。彼女のように、「家庭」そのものが収容所のように誰しもが陥る。両腕がなかった久子は、母親に裁縫道具を渡された。腕が無ければ、縫うということは口を使う。当然、唾液がつくが、母親はそれを許さなかった。久子は、縫えるようになって、母親を恨んだまま見世物小屋で「だるま娘」として裁縫しているところを観客に見せた。

中村久子

それでも、久子は母親を最後は許したうえに感謝した。それは彼女の浄土真宗の教えに基づいているが、教えられた事を鵜呑みにしたわけではなかった。彼女が自立出来たことは、母親の厳しさがあったからだと彼女は悟った。現代において日本でもこの考えは美談ではあるが、母親の位置づけは「虐待」となる。このようにならないように、社会は福祉等で「包括的」に支援しなければならない。人間の最も辛い苦悩をフランクルはニーチェの引用をした。「苦悩そのものが問題なのではない。『何のために苦悩するのか』という叫びに対する 答えのないことが問題なのである」

この考えは、与えられた「存在」に対して異議を唱え、主観が抱いた「自由」である。フランクルも死にゆくユダヤ人という「運命」を与えられた。しかし、彼は希望を抱いた。それは自由であるが苦悩である。自由が如何に責任を問われ、そして重たいのか。久子も同じである。両腕が無いという位置づけから、不可能に近い偉業を成し遂げた。それは苦悩であり、「自由」である。全て、それらは語らない歴史として、生活に溶け込んでいる。アウシュビッツはメタ化された存在になった。18牢にいたコルベ神父は、他のユダヤ人の死にゆく運命を代わった。それらを世界が語ることはない。残すのは「人間」である。それにしても、人が残せるものは何年なのだろうか。何世紀も前の絵画の苦悩の顔が、現代でも通じるのは何故なのだろうか。シェークスピアはあと100年後も残っているのだろうか? 何故、コルベ神父がしたことが現代でも凄いことなのか。残すようにしているのは人間だが、残せるような運命を創っているのは、誰なのだろうか。

天才だったサルトルは、第二次世界大戦前に、「ドイツは戦争しない」と予想を外した。民主主義だったはずのドイツに、どうして独裁政権が生まれたのか。その問いは、現代でも通じることがある。言論や暴力はどうしても尽きることがない。そこには、人に「意思」があるからである。意思を統一することは出来ない。Covid19の流行は収まらず、ロシアとウクライナの戦争、日本では2022年7月8日の安倍晋三元首相の暗殺後も論争が絶えない。私は、このような争いを簡単に拒めた子供時代の言葉を思い出すことは出来ない。今の子供はもっと賢いのかもしれないが、子供の言葉というものは、世の中を渡ってはいけない。だからこそ、天の国に行けるのは子供なのかもしれない。(マタイによる福音書 19章13節~15節)人間の善意の追求が必ずしも美しいわけではない。魂を薄汚しながら、穢れながら、争いながら、少しずつ天国から遠ざかっていく。それを放棄することが出来ないのは、「意思」を持って生きなければならないからである。今日の課題に終止符を打ったとしても歴史に溶けて忘れ去れるものなのか、個々の魂に刻み込まれるものなのか。

嘗ての大人たちのように沈黙することは確かに、悪のように思える。しかし、運命の要求に答えなければ、大切な存在を守れないとすればどうだろうか。大人が争うということは子供の居場所を失うことに繋がる。教師が逸脱した発言をしたとなれば、子供達は不安になる。だから、彼等はあの当時は黙っていたのかもしれない。それは大人の自己欺瞞か? それとも、「配慮」だったのか。人間の複雑さを知れるのは、天の国では叶わない。それが生きる闘争への意志ではないのだろうか。死者が安らかに眠るのなら、生きているものは目覚めなければならない。それは、黙っていても必ず訪れる。

私達は成長の過程でそれぞれ辛いことや残酷なことは経験したはずなのだ。不幸を人と比較してはならない。その中でも、些細な愛が残っている。フランクルが書籍を残した原動力は「愛」とも言える。人間の善意の信仰とはそれを忘れないことだろう。たとえ、今後どんな状況になっても。地下から出てくるとアウシュビッツには雑草が綺麗に咲いていた。

……イエスの足元に座っていたマリアのように。

飛翔点(1)





 

「カトリックをまだ哲学的に整理する人はいなかった」
シモーヌ・ヴェイユ

 小説というものも現代では数多くのジャンルがあるが、私の愛する「文学」というものの一つの魅力は、現実にとっては記録に過ぎないものを活かしてくれることだった。ただの失恋が言葉一つで綺麗になったり、忘れ去られる死が意味を持ったりもする。人から忘れろと言われた孤独も、平凡のように見える幸福も、全てが自分の感性次第で、人生をただの忘却を伴う記録か、輝いた人生だったのかがを受け取ることが出来る。

誰しもが拾わない世界から消え去られる瞬間の連続を、言語化して残せるものは作家の感性に委ねられている。恐らくそういう視点を持った者は、瞬間がそのまま消えてしまうことに恐怖を覚えた人であると思う。忘れるほうが幸せという人もいれば、不幸をどう語るか、それによって自分の孤独が独白によってカタルシス生み出す者もいる。

そういう人にとって、己の言語能力は重要なのである。

私の場合は、現実世界に生きなかった熱量を虚構世界に作る。社会性を重視して殺してしまった感情も多くあるかもしれないが、殺せなかった感情や、信仰が生きる場所は虚構世界だった。それは内向的であるが、世界に挑む外向性だった。 私は一度もそれに悲観的になったことはない。

芸術家はただの狂気か、天才か二択しか残されていない。ゴッホやカラヴァッジョ等良い例だと思う。エミリーブロンテも内面世界は計り知れない闇を持っていて「嵐が丘」に書き出した。真の芸術家は、他者からの称賛を得られる「天才」は求めていない。自分が捨てられなかった詩情や物事の捉え方が、神から与えられた賜物であると、キリスト教の中ではそういうことになる。社会性を促されて何度も殺されそうになった感性は、生きていて社会的に不利になったことはなかった。次は本当にこれが神の賜物だったのかどうか、

本当にそうであったのか、その答えが知りたいのだ。ウラジミール・ナボコフの「賜物」もそのような話であり、ロシアからアメリカへ亡命したナボコフの分身のような話である。

一つの私の造語で「飛翔点」がある。この自分の理論を理解まで詰めるのに何年もかかった。

今回は不定期にシリーズ化してそれについて書いていく。

 虚構世界は陸というものの基準となる高さが存在しないが、言語世界でありながらも、

光や体温、色や空間を書こうとしていく。それは平素な文で冷静にようで、詩情を孕んでいて、韻を踏み、日本語の場合は言語から見える概念、外国語の場合は言語が作り出す空間、

語感は音楽のように、文字と文字の空白すらも意味があるように、それらを操りながら、主人公は私が作った世界を歩いていく。

 第一作品目の「パンゲアドール」はイギリスの研究室にいた実在した患者をモデルに書いている。奇異でありながらも、現実世界では何処へ行ったのかも分からない患者だった。夢と現実の交差点は心理学的であり、科学的には存在しうる妄想だった。しかし、病名は私が作ったものだった。それが私の初めての虚構世界である。

 第二作品目の「イコノグラフ」は目立つ虚構らしきものが存在しないが、機械式時計の時計台が想像のものとなる。要となった「鳥の巣」の現象学がマタイの福音書13章を元に広げられている。

イエスは海にいて、植物が育つはずもない船の上にいた。そこで神の御言葉を種に例えた。ある場所に神の御言葉を蒔いても鳥がきて食べてしまう。ほかの種は土の薄い石地に落ちたが、そこは土が深くなく、すぐ芽を出したが、日が上ると焼けて、根がないために枯れてしまった。神の御言葉という植物が育つことは難しい。耳があるものは聞くが良い。この言葉を聞き取った少年と、主人公、川村光音は神の祝福を聞く思想の旅に出る。日本では、好きではないと疎まれるキリスト教、登場人物達は信仰への憧れから忘却、嫌悪感、そして再び祝福へと渡り歩いていく。これだけを説明すると人々は、この小説には恋愛がないと勘違いする。それが厄介だ。この話にも恋愛と死は存在する。

 しかし第一に言わないのは、凡庸な恋愛や死の評価を待つというのは感情の査定に過ぎないと思っているからだ。現実世界もそうであるのが哀しいところである。死は平等であるが、特別な死は特別な墓、無縁仏と肉体の死は階級がある。けれども魂は平等であり、文学世界は無縁仏のような存在も救い上げることがある。文学は、大衆が言葉にしなくなった事を突出して出す熱量が必要である。愛と死は、例え事実でも同情のみで乞うても伝わらないのである。世界がどのように現象し、神の働きがあるのかを隠喩を込めれば感情の共感が得られなくても、その魂は生きるのかもしれない。外界世界というのは捉えられることは少ない。しかし内面世界を豊にすることは、虚しい人生さえも脚色する。

私は文学に、何度も哲学を添えることも、宗教を添えることも反対されたが、譲らなかった。恐らく、他者の感情の査定がどれほど残酷か知っているからだと思う。己の言葉が育たない、それは神も同じことであり、信徒はそれに続くのである。

神の御言葉が植物だとすれば、見事に育った先にそれを紡ぎだすのが鳥であり、鳥の巣である。鳥の巣というものは、それだけではなく人間世界の一部をつまみとって巣を作っていく。

私の虚構世界とはそのような現象学である。志向性の成立、志向性が作り出した世界を表しながら、存在の分析を待っている。私の文学にはこのように、紡ぎだしたものの集合体であり、完全な嘘は存在しない。この世に生きなかった熱量が虚構になっていく。

鳥の巣が未だに厳密にどのように精密に巣を作るのか分からないように、私もそのように、経験や空想という経験も紡いでいく。どのように完成されたのか不透明なまま、精密な巣という虚構の「陸」から、私の物語は飛翔する。そして、その空想の鳥達が落とした種は育つこともあれば、消えてしまう。読者の理解は育った植物として第三の世界を構築する。そのイマージュは切なくもあり希望でもある。

必ず物語は飛翔しなければならない。

私はそれを「飛翔点」とした。

(2)に続く。(不定期)

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