買った本

自分のまわりを過ぎていく
知的な世界の片影でもいい
手もとにとどめたくて
魂をすりへらしてきたが
それが誤りだということに
ようやくきづいた。
世のひとがなんと言おうと
美はつねにわたしたちと
ともにある――
その捉えがたさにもかかわらず。
ガメイリアル・ブラッドフォード(1863~1932)

今日買った本

お気に入りのDiorの時計(70年代ぐらい)

今日もスペイン語ミサに行きました。

ノヴァーリス・花粉

  

すべての愛する対象は、それぞれ天国の中心点である。
ノヴァーリス・花粉
婚約者ゾフィーの死後、彼はフロイトの言うところの「悲哀の仕事」を塞いだ。
彼は愛するゾフィーを断念することをせず、現実に帰らなかったのだ。彼は夜の色を愛し、
ゾフィーとの魂との霊的融合を目指していた。そんな彼の日記の断片、
「すべての愛する対象は、それぞれ天国の中心点である」
これは彼が現実に帰らず、ゾフィーのいる天国を素晴らしいものだと信じた結果であろう。最愛の人が行った天国だから、幸せな場所だと信じた結果であろう。
この言葉が妙に印象に残った。そんな一か月だった。この「すべての愛する対象は、それぞれ天国の中心点である」という言葉は他の映画の批評に繋げたいと思う。
******

酒井司教、女子パウロ会、瀬戸内寂聴からも楽しんで読んでもらえた
イコノグラフはこちらで買えます。

瀬戸内寂聴様より

 私の出版作「イコノグラフ」をあの仏教で有名な瀬戸内寂聴様に読んで頂けることになりました。感謝感激とはこのこと。とても嬉しいです。

出版作紹介
http://chriskyogetu.blogspot.com/2016/07/icon-o-gprah.html

あと私事ですが体調が良くなってきました。動画をGIFにかえないと載せられないので
すが、少し面倒なので静止画と動画のリンクを。自分なりに目に生気が戻ってきたなと
思います。

動画→https://www.instagram.com/p/BnvDNMGjoEg/

女子パウロ会

女子パウロ会の金井照子様より、
出版作イコノグラフについて
酒井司教様の素晴らしい書評通りに万華鏡のような世界で、哲学やら色々と幅広い視点を広げられていて、とても私達のレベルでは書評が書けません。何処か新しい世界へ飛びだっていきそうな話でしたとの評価を頂きました。
女子パウロ会はカトリックでも大きな出版社です。Chris Kyogetu

酒井司教様(当時は神父)の書評

https://drive.google.com/file/d/1IWf3mKShI53901pN2mijLoOATJsu77CH/view

EL SUR

「たとえ、予言する賜物を持ち、あらゆる神秘に通じていようとも、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも愛がなければ無に等しい」(コリント人への手紙13章2節)
この話にはこの聖書の引用がよく似合うと思った。

 「明日夜が明けたら、お父さん、すぐに墓参りにいきます」と冒頭に放たれた言葉からは、「人は死んだら何が残るの?」と聞かれ「その人がやったことだよ」と答えたキェシロフスキデカローグを思い出させる。エル・スールの主人公、アリアドナの存在は死んだ父親の残した娘であり、父親への想いを語る独白は、アリアドネの糸を手繰り寄せるかのようだ。アリアドナとアリアドネという音は偶然にも近しい。迷宮から出るための道しるべとなったアリアドネが渡した糸。聞けば、迷宮とは道が重なることがなく、振り子状に回転するというではないか。
 自殺をした父親は魔術的な振り子を愛用していた。それで、まず生まれてくる主人公が男の子か女の子か当てたことがある。振り子は何のために揺れているのか、未来を知るためなのか、奥深く埋められているものを見つけるためなのか、アリアドナは父親の死後、残された振り子を揺らす。振り子は父親の「やってきた」事なのだ。そこには本当にあった事実と、そう想いたいと無自覚に振り子を揺らしてしまう不安定さがある。一人の人生こそ、知ろうと思えば迷宮である。
父親の真相についてわかるのは彼女にとっても一部であり、その頼りない独白がより謎が多かった父親像、父親が本当に愛した女性、それらが影を濃くさせていく。「死」と「墓」から始まる原作は映画とは違った時間軸を持っている。映画は父親の死の予感から始まり、過去の回想によって父親の生きている姿が生き生きとしているのに対して、原作はどんなに思い返しても、父が墓にいるところから始まり、死が常に生き続けている。
そんな中で主人公アリアドナは思い返すことによって父親の魂を救出していると私は思う。母でさえも父の墓を見捨てた。誰もが父親の墓を見捨てた。そんな中で父親が生きた証となるのは、この娘の愛ではないのではないのだろうか。
物語全体が恋しがっているような、EL SUR(南へ)、そこにはスペインの分離独立時代の背景がある。
映画では旅立つ直前で終わり、原作では主人公は南に行くことが出来る。
南についても謎が残った本作は、きっと最後はプロローグになっている「私たちは影でないものなど愛せるのだろうか?」に繋がる。
*(映画では、主人公の名前はエストレリャ)
*同じ、映画のビクトル・エリセの「ミツバチのささやき」は南の話である。
原作者の名前はアデライダ・ガルシア・モラレス
*画像の権利はdvd販売元の紀伊国屋書店、及びブルーレイの販売元のアイ・ヴィーシー社にあります。

酒井司教、女子パウロ会、瀬戸内寂聴からも楽しんで読んでもらえた
イコノグラフはこちらで買えます。

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