忘却の河と福永武彦

「忘却の河」と福永武彦

 「私がこれを書くのは私がこの部屋にいるからであり、ここにいて私が何かを発見したからである。その発見したものが何であるか、私の過去であるか、私の生き方であるか、私の運命であるか、それは私には分からない。ひょっとしたら私は物語を発見したのかもしれないが、物語というものは人がそれを書くことによってのみ完成するのだろう。ひょっとしたら私はまだ何ひとつ発見せず、ただ何かを発見したい、私という一個の微小な生き物が何を忘れ何を覚えているか、もし忘れたとしたらそこに何の意味があり、もしおぼえているとしたらそこに何の発見があるかを知りたいと望んでいるだけのことかもしれない。

それはつまりこの部屋のせいなのだ。」

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  未分化された自我から、次第に浮き上がってくる部屋。この巧妙な描写こそ福永武彦だと私は思う。自我が未分化されているということは何という孤独だろうか。せめて人は鏡像ぐらいは友にするものである。この独白はまるで闇そのものである。独白だからこそ男の姿形は朧気で、まるで病床で寝たきりの妻の視点そのもののようだ。男が朧気だから、抱かれる女や、自分の自我と向き合う娘たちの艶や色気が浮き出てくる。

この続きはPDFで→https://drive.google.com/file/d/1HmLnsYBluFxE9PYzqLY61DOaCGhem-Iu/view?usp=sharing

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Attrap’Rêves










すっかり香水好きと覚えられて 自分で買ったり、 贈り物でもらったりで、今の私には香水が沢山ある。私にとって香水、調香師が現代稀に見る誤魔化しの無い芸術家なので、インスピレーションに愛用している。文章も映画も駄作を広告で良作と偽るようになってから、何が真か偽か分からなくなってから、香水だけは、技術もセンスも、そしてトップ、ミドル、ラストと抜かり無いストーリー性を融和している香水に惚れ惚れする。香水は香りを変化させつづも全く違う香りになってもダメなんだそうだ。言語の無いこのストーリーは、人の体温に息づいて空間に香りを放つ。このルイヴィトンのアトラップ・レーヴは「夢を包むお守り」という意味で70年ぶりに香水を作り出したルイヴィトンの旅シリーズの一つの場所だ。トランクに全種類入れたくなるような色んな香りは、アンデルセンの「絵のない絵本」のようだ。現実にない香りを想像し、月が語るように具現化する。イヴ・サンローランのモンパリが夜の恋なら、アトラップレーヴは朝の恋人、保証された夢。ふんだんに使われた花には砂糖菓子のような仕上げ。まるでメルヒェンのような香り。ミューズであるエマストーンも美しい。旅の途中で月の声を聞こう。沢山の花々のメッセージを甘い砂糖菓子を溶かして、自分に自信がついたら太陽の光にキスをするんだ。足で歩いてね。


アトラップレーヴ トラベルサイズは
ボトルも洗練されていて美しかった。

(これは贈り物)

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まとめ2018/03/23

最近、香水、調香師のことについて勉強している。

    アクセス数(週間)の多かった順に並べてみました。今回は10位までです。
ブログの端にあるランキングは(月間)のものです。

1位 心の中を流れる河

2位 諸行無常

3位 朗報④(松本准平監督様からの感想)

4位 Icon o graph

5位 桜桃

6位 Icon o graph 2

7位 残酷な話を書くということ

8位 異邦人(PDF)

9位 La misa de las ánimas

10位 ポーの一族

近況報告として言えることは、
最近、髪を今までに無いぐらい短く切りました。長かった頃と
短くなった頃と。

長い頃

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メタファーはなぜ殺される











私が学生のときに買って読んでいた本。「なぜ殺される」と言っている間はまだ生存が確認出来ていたからこそ言えたことであり、今となっては「文学」によるメタファーは既に死んでしまったように思えるし、長い月日を経て殺され方も見た気がする。メタファーとは本文に限らず、本文が組み立てた構造から脱構築し、本文の内容を汲み取ることでもある。現代日本では、ほぼ直喩とマスメディアのみで、脱構築をし、本文の旨味を引き出そうとする術は減ったし、皆無に等しい。残っているのは社会行動学に関する隠喩であるが、それだけだと面白みがない。とまで言ってみるが、この決定には曖昧性がある。けれども虚妄とも思えず、誰でも思い当たる節はあるだろう。これは「現実的」であるし、規範定義にもなり得る。但し、常に決定と曖昧は連れそうのである。

この決定が出来ないために、実は徐々にメタファーは死んでいるように
思える。本来なら必要がない決定なような気がするのだが。

この本を久しぶり開くと感じたのは「時代」だった。過ぎ去った抵抗。
そして受け入れてしまった死。


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残酷な話を書くということ

The Cement Garden(セメントガーデン)映画

読んだのは英訳版

セメントガーデンとは、イアン・マキューアンの小説で、


父親が発作で死に、そして母親も病気で死んでしまうと、両親を失い養護施設に入れられると思った子ども達は、父親が趣味で買いだめしてあったセメントに目をつけ母親をコンクリート漬けにし、子ども達だけの楽園にした。隠された腐敗、遠ざけた社会、近親相姦、閉ざされた楽園・・・・・・



 この作品に関しては、まだ大した分析は出来ていないし、今まではこれが上手いのかどうかも分からなかった。(2017年12月)

実際に最近、日本でセメントに母親が我が子を乳児期に埋めて何十年も共に暮らしてきて自首をしたニュースがあった。(あまりこういうのを書くことは好まないが)話を聞くだけで、ストーリー性で言ってしまえば、この事件はイアン・マキューアンを超えている。こういうことが起きるからこそ、フィクションは別の旨味を求められる。それはノンフィクションとは比較されないものを作り上げることだ

それでも、この現実の事件を分析していく間に、マキューアンはやっぱり上手いのだなと気づくようになる。

現実の事件では、以下の点が気になった。

① 殺された乳児達には、生きている兄弟もいて、もう既に成人している。母親がお腹が膨らんで
無くなって戻ってきても、赤ちゃんが来なかったという現実をどう理解していたのだろうか。何を聞かされていたのだろうか。

②母親の収入源は何だったのだろうか。

などなど。

こういった現実での疑問が、マキューアンの小説の法則が少し読めるようにさせた。


小説の話に戻ろう。

  姉が母親が死ぬ前から何処か狂気めいているということだ。イノセントと言えばそれまでだが。何故か、母親が病気だったことは姉のジュリーしか知らない。主人公の長男は14歳。それぐらいの年だというのに母親の病気に気づかなかったとうのも変な話だ。そして、兄弟に母は死んだと告げたのもジュリーだ。

 姉のジュリーが今日は死体を見てはダメと指示をしたので、兄弟が母親の死体を見るまでにも空白はあるし、 コンクリート詰めするのもジュリーが指揮を取る。兄弟で揉めるのはセメントに混ぜる水を運ぶことだ。

残酷なものには他人から見れば、何故そんなの信じたのだろうというのがある。けれども当人達にはその世界が全てになる。

このバランスと緊張感が マキューアンは上手いということに漸く気づいた。



   私は、人を殺したことも埋めたことがない。なので、やっぱり読んだだけじゃよく分からないこともある。単に狂気っぽく書いただけなのかなとか、批判的な見方もあった。

フィクションは現実と比較されない何かを作らなければならない。
それこそフィクションへの追求である。

例えばカミュの異邦人も、ストーリーだけなら
もっと残酷な現実がある。実際はゾディアック事件や、アイリーン・ウォーノスのほうがストーリーとして見れば、面白さが格別だろう。けれども決定的に文学としてたらしめたのは、

最後の死刑執行前に、赦しを与えようとした司祭への反発だ。

「僕は僕自身のためにやった!」

この瞬間を作ることだ。

主人公が人を殺した理由が

「太陽がそうさせたのだ」

というセリフが有名だが、私はそこだけではないと思う。

「俺は俺の意思でやった!」 と言う主人公に司祭は涙を流す。
これには司祭(イエス)は常に赦しを与えようとするという隠喩がある。

   文学は、ただ残酷なものを書くのは好きではない。バッドエンドでも、人を何人殺そうとも小説世界の外での秩序の視線を予測しておくことであり、それを見つけておくことだ。それは神の視線を意識することと似ている。現実は役に立つのはFBIや心理捜査官、法廷かもしれない。 けれども作家は神を探さなければならない。

現代でも現実でどんな残酷なことがあっても、カミュの異邦人は色んな考察によって何度も読める旨味は、形骸化扱いされてしまった司祭が握っている。儀式を形骸化として捉えるのは、それは人々が理屈無き儀式への神秘を忘却しつつある証拠であり、本当に無意味かもしれないという現実が付き纏うことである。

現実との比較でしか読めない人はこの旨味を見つけられない。

   セメントガーデンは何処に秩序が存在していたのか。 私は、幼い兄弟だったと思う。部屋に閉じこもり、終始日記を書き続けていた妹、女装が趣味となり、次第に乳児へと退行してしまった最も幼い弟。この2人の非力な存在がこの楽園を地獄へと認識させる、唯一の秩序だった。コンクリートの隙間に生える草、

上の兄弟は残酷な背景を隠してしまうのだから。

セメントガーデンとは、固められた子ども達ではなく、固められたセメントの隙間に咲く草花のことだ。その小さなガーデンを楽園と言えるか、狭いとするか。その筋を見つけるとこの話が読めた。


******

(私は イアン・マキューアンだったら「贖罪」が1番好きですね)


カミュの異邦人についての書評もあります。
それこそフィクションへの追求である。についてもこちら。

http://chriskyogetu.blogspot.jp/2018/02/letranger.html



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鳥の巣

 鳥の巣を拾った。これでコレクションがまた増えた。
鳥の巣は前作でも詩情、哲学、宗教性を込めたモチーフ。
少しづつ世界の一部を摘んで形成していく世界、けれども
鳥の巣の本当の作り方は未だに分からない。それほど精密に
複雑に紡がれている。

そうなのだ。世界の核は未だに分からない。神がかり的だとも言えるし
未知なるものとも言える。

今回のものは、ビニールテープも巣の一部になっていた。

→本の紹介。

http://chriskyogetu.blogspot.jp/2016/07/icon-o-gprah.html

bible

 英訳版は、一応カトリック教会でお勧めになっていた
christian community bible
を使っている。私は英語ミサしか受けないけど、
英語ミサの英語は東京で翻訳されたもののようで
少し違う。
後はドイツ語版もカトリック推薦だったかな?
今度、新しい新共同訳聖書出るみたいですね。

The Lord’s Prayer

Our Father, who art in heaven,

hallowed be thy Name, 

thy kingdom come, 

thy will be done, 

on earth as it is in heaven. 


Give us this day our daily bread. 

And forgive us our trespasses, 

as we forgive those

who trespass against us. 


And lead us not into temptation, 

but deliver us from evil. 


For thine is the kingdom, 

and the power, and the glory, 

for ever and ever. Amen.

好きなお祈りの言葉2
Favorite words of prayer2

(my design)


The secret garden

「天の国とはからし種に似ている。人がこれを取って畑に蒔けば、どんな種よりも小さいのに、成長するとどの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て枝に巣を作るほどの木になる。」マタイの福音書13章31-32節



   主人公、メアリーレノックスは孤独な少女だった。父親は仕事人間、母親は子ども嫌いでパーティに明け暮れる毎日。召使いはメアリーの言いなりで、彼女は我儘に育った。
彼女の両親や召使いたちはコレラにより死んでしまった。(映画では地震)それによってメアリーは遠い親戚にあたる、イギリスの屋敷に住むことになる。主人はあまり帰らないと聞かされ、メアリーはここでもあまり相手にされない。
けれども違ったのは、年が近く優しいメイドのマーサーやマーサーの弟のディコンと仲良くなれたこと、そして最もメアリーの話し相手になったのは「コマドリ」だった。コマドリとの対話によって、メアリーは次第に年相応の笑顔を取り戻していく。
そんなコマドリに導かれて偶然にもメアリーは
主人が閉じてしまった花園の鍵を見つける。

この鍵こそ、ここの主人が妻との思い出の庭を土に埋め、封印した鍵だった。
ディコンとメアリーは、秘密の巣作りと称して荒れた花園を復活させようとする。そして、この屋敷の主人の息子であり、病弱で車椅子が無いと生活が出来ないコリンも仲間に加わる。主人は失った妻を思い出させるコリンを可愛がったことがない。
そんな、からし種のような弱き、小さな存在達が、荒れた庭に花々を咲かせ、コリンは歩けるようになった。長らく我が子に心を開けなかった父親は、この庭で歩けるようになった息子を受け入れる。

大切なものを失い、自分の一部を無くし、
笑顔を忘れていた三人が庭で復活を遂げる。
聖書でも人々は天国というものをもっと立派で壮大なものだと思っていたが、
イエスは「からし種」のような小さなもので大きく育つと言った。

私は メアリー・レノックス達が行ったことは、
天の国の「生長」ではないだろうかと感動した。
そしてやはり、天の国では子供が一番偉いのだろう。
(マタイによる福音書18章1~5節) 

*******
子どもの頃は、クラスメイトの誰もがこの話を平凡だと思った。「小公子」で有名となったバーネットだが、たかだか庭いじりをして奇跡が起きたというのは、当時も流行らなく、エンターテイメントにあふれた日本では平凡な作品だった。そう感じたのは私もその一人だ。けれども何処か惹かれるものがあり、時々思い出しては読み返してみるものになった。その影響で古い鍵が売ってるのであれば買ってしまう。鍵がすきな女性がいるのなら、何らかしらその女性は児童文学の影響が強いだろう。この話については、聖書を意識したのかは分からないが、土いじりに意味があるように思えるし、子どもながらに、真似をしてみたくなった。きっとそこに、自分でも計り知れない神の御言葉が育っていたからかもしれない。気付かない間に触っていて、物語からイエスを見つけた。

物語は、神について沢山の例え話を生みだす力がある。だから私は物語が好きですね。
*マタイの福音書13章の前半部分は前回の私の作品でも軸です。「からし種」のたとえは、引用箇所の次の部分ですね。

*映像はイメージで、1993年度に公開された「秘密の花園」1993年、アニエスカ・ ホランド監督で「秘密の花園」を映画化された。制作総指揮はフランシス・フォード・ コッポラ。メアリー役はケイト・メイバリー。
この感想は主に原作から。The Secret Garden is a children’s novel by Frances Hodgson Burnett first published as a book in 1911. from wikipadia 

*画像の著作権はワーナーホームビデオに帰属します。

Confession

私が孤独を書く事で誰かが孤独が癒えるのであれば、
私は惜しみなく孤独を書きましょう。
私が期待を書くことによって、誰かが夢を見られるのであれば、
私は消えたくなっても光を見つけましょう。
私が愛を書くことによって、誰かが愛について深く感じてくれるのであれば、
私は幾らでも告白をしましょう。
常にあなたに隠すことなく
何度も何度も 虚構に混ぜて
あなたに告白しましょう。
*********
円卓を囲って笑っているような信者は私のところに来ないが、外れてしまった信者はよく来る。そして私を知ると、また考え直したいと言われる。私の居場所は其処のようで。教会で笑わないことも、一人でいることも、このように意味があるのだなと思った。
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L’intuition De L’instant.






私の想像力は上書きされては捨て去って行く。それを忘却と人は言うのかもしれないが、私は瞬間と呼ぶ。残された過去情景はまるで永遠を夢見ているようだ。撮影は10年前、私が現象学を選ぶ写真となった。レンズとフィルム設定だけで偶然撮れたこの写真は、こうなると予見をせずに、香りが奮い立つように、花々が私の目の前に現れた。私が接近しないと、世界というものは私の意識内に形成されることがないのに、出来上がりは私の意識を超越していた。
まるでカメラが感覚質を持ったように、心を持ったようになったのだ。
此処には私自身の記録が無い。私がどんな格好をしていたのか、何を考えていたのか、どんな表情をしていたのか。覚えているのは杖をついていたことだけだ。杖が煩わしく、視線が今よりも低い。私が居ないことによって、私らしさとなった。人は瞬間に嘘をつくから、無理して笑うから、本当に記録を残したかったら、自身を消してしまうべきだ。
虚飾の無い純粋さが其処に生まれる。
L’intuition De L’instant.
I didn’t edit the photo these.




2018/02/17

It was love at first sight. At last sight. At ever and ever sight.


一目見 たときから愛していた、最後に見たときも、そしていつ見るときも、永遠に

ナボコフ「ロリータ」
香水のような描写。


恋の絶頂を表現した香水、香りで恋をどう表現したのだろうと作家として気になり、イブサンローランのモン・パリを試してみた。甘くて シャネルと違って女性を美しくするというより、空間を演出する、ムードを演出する香りだった。夜につけるのがお勧めかもしれない。イブサンローランのスモーキングジャケットがイメージのボトル。

香水は頂き物

L’Étranger(異邦人) 

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Et c’était comme quatre coups brefs que je frappais sur la porte du malheur.

(そしてそれは、僕が手荒く四回、不幸の扉を叩いた音でもあった)

Camus, Albert. ” L’Étranger ” (French Edition)  異邦人より。

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内容は今回はPDFです。

異邦人の批評。
宗教(キリスト教・カトリック)
哲学(サルトル)
文学と三方向から書いたので、
PDFになりました。暇なときにでもどうぞ。

PDF

https://drive.google.com/file/d/174d_Vxm6IBzaQMoUcsI37_WXIUea5zjI/view?usp=sharing

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