類稀なる誠実な病(4)
愛にはいつも目覚めさせられ、翻弄され、傷つけられて、麻痺させられる。
二人の間に果たしてイエスは存在したと言えたのだろうか?
酒井司教、女子パウロ会、松本准平監督、瀬戸内寂聴からも楽しんで読んでもらえた イコノグラフはこちらで買えます。 アマゾン→https://www.amazon.co.jp/Icon-graph-Chris-Kyogetu/dp/153493037X/ref=sr_1_2?s=books&ie=UTF8&qid=1512118298&sr=1-2 紀伊国屋→https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-02-9781976279713 |
なぜ世界は存在しないのか(4-1)
このアドレスで直接購入してください!
https://www.amazon.co.jp/gp/product/B07PF63GN9?pf_rd_p=7b903293-68b0-4a33-9b7c-65c76866a371&pf_rd_r=0QN3392EB598WXA805XA
酒井司教、女子パウロ会、松本准平監督、瀬戸内寂聴からも楽しんで読んでもらえた イコノグラフはこちらで買えます。 アマゾン→https://www.amazon.co.jp/Icon-graph-Chris-Kyogetu/dp/153493037X/ref=sr_1_2?s=books&ie=UTF8&qid=1512118298&sr=1-2 紀伊国屋→https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-02-9781976279713 |
カイエについて(1)
酒井司教、女子パウロ会、松本准平監督、瀬戸内寂聴からも楽しんで読んでもらえた イコノグラフはこちらで買えます。 アマゾン→https://www.amazon.co.jp/Icon-graph-Chris-Kyogetu/dp/153493037X/ref=sr_1_2?s=books&ie=UTF8&qid=1512118298&sr=1-2 紀伊国屋→https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-02-9781976279713 |
なぜ世界は存在しないのか(3-2)
![]() |
キルスティン・ダンスト
|
![]() |
アマンダサイフリッド |
酒井司教、女子パウロ会、松本准平監督、瀬戸内寂聴からも楽しんで読んでもらえた イコノグラフはこちらで買えます。 アマゾン→https://www.amazon.co.jp/Icon-graph-Chris-Kyogetu/dp/153493037X/ref=sr_1_2?s=books&ie=UTF8&qid=1512118298&sr=1-2 紀伊国屋→https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-02-9781976279713 |
「青い花」ノヴァーリス(1)哲学編
![]() |
本当は一本の青い花 |
追記:「類稀なる誠実な病」の音声予告が4060回超えました(2・28)
表示では98いいねとなってますが、管理画面では119いいねになっています。
イコノグラフはこちらで買えます。
アマゾン→https://www.amazon.co.jp/Icon-graph-Chris-Kyogetu/dp/153493037X/ref=sr_1_2?s=books&ie=UTF8&qid=1512118298&sr=1-2
紀伊国屋→https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-02-9781976279713
なぜ世界は存在しないのか(2)
![]() |
メラニー・ロラン(イメージ画像)
「なぜ世界は存在しないのか2」マルクス・ガブリエル著
「なぜ世界は存在しないのか1」→http://chriskyogetu.blogspot.com/2019/01/blog-post_12.html
「今日は哲学を新たに考える」と、1章の「これはそもそも何なのか、この世界とは」の
忘備録です。
「今日は哲学を新たに考える」
まず著者は、ルートヴィッヒ・ヴィトゲンシュタインの「およそ語りうることは、明晰に語ることが出来る」という理念を共有しています。これにより、触れない未知の宇宙のようなものまで考えを広げることになります。そして哲学の基本中の基本の「問いをやめないこと」を強く勧めています。
◎「これはそもそも何なのか、この世界とは」
我々は乾杯して、グラスをあおった。
「じゃぁ 地球はどこにある?」
「宇宙にです」
「宇宙はどこだ?」
僕は一瞬考えこんだ。
「宇宙は宇宙にあるんですよ」
「その宇宙がある宇宙は何処にある?」
「僕の意識にです」
「どういうことだ、ピョートル。それじゃお前の意識は、お前の意識にあるってことになるぞ」
「まぁ そうなりますね」
「なるほど」
チャパーエフは口ひげをしごいた。
「じゃぁ、大事なことを訊くぞ。つまり、それはいったいどこにある?」
「ご質問がよくわかりません、ワシーリィ・イワーノヴィチ。場所の概念は意識のカテゴリーの一つなわけですから」
「どこなんだ、それは。その場所の概念はいったいどこにある?」
「じゃぁ、こう言いましょう。それは場所だとかそういうものじゃないんです。
言うなればそれは、現……」
僕は口籠った。そうだ、これこそ彼が言わせようとしている言葉にちがいない。もし僕が「現実」という言葉を使ったら、彼はまたすべてを概念に帰するつもりなのだ。そしてそれはどこにあるかと訊く。すると僕は頭の中にあると答える……。ひっかけだ。
このような対話を通じて、ピョートルは、世界など存在しないという目眩のするとうな考えを理解するように至ります。
この小説のタイトルは「チャパーエフと空虚」です。本著の34ページに記されています。
デカルト的で下手をするとニヒリズムに陥ります。「僕」というのはしっかりと意見を持っているが(コギトエルゴスム)、問いかける人間が概念に引きずり込もうとしている、という構造ですね。
これらを総称し、著者マルクス・ガブリエルはこうまとめています。
1宇宙は物理学の対象領域である
2対象領域は数多く存在している。
3宇宙は、数多くある対象領域のひとつにすぎず、したがって存在論的な限定領域に他ならない。
4多くの対象領域は、話の領域全体でもある。さらにいくつかの対象領域は、話の領域でしかない。
5世界は、対象ないし物の総体でもなければ、事実の総体でもない。世界とはすべての領域の領域にほかならない。
次回は他の話題を挟んで第二章のまとめを忘備録がてらに書きだすことにします。
司祭は人を愛することが難しい
イコノグラフを想って
「類稀なる誠実な病」
酒井司教、女子パウロ会、松本准平監督、瀬戸内寂聴からも楽しんで読んでもらえた
イコノグラフはこちらで買えます。 アマゾン→https://www.amazon.co.jp/Icon-graph-Chris-Kyogetu/dp/153493037X/ref=sr_1_2?s=books&ie=UTF8&qid=1512118298&sr=1-2 紀伊国屋→https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-02-9781976279713 |
死者の書(折口信夫)について①
幸せな人が
口にする言葉は
かりそめのひとふし
寡黙のひとの
感じとっているのは
こよなく美しい旋律。
エミリー・ディキンソン
こよなく美しい旋律を紡ぐというのは
狭き門のような気がしてならない。
マタイによる福音書の「狭い門からはいれ。滅びに
いたる門は大きく、その道は広い。そしてそこから入って
行くものが多い。命にいたる門は狭く、その道は細い。
そして、それを見出す者が少ない」
(マタイ7章13~14)
とあるように。
去年の大晦日は
ジゼルというバレエをロイヤルバレエと
ミラノ・スカラ座を立て続けに見ていた。
ジゼルとは、貴族の男は
婚約者がいながらも村娘のジゼルと恋仲になってしまうが、
結局は、婚約者である女性に手にキスをしてしまう。
意図せずとも、ジゼルを裏切るような形になって、
ジゼルは狂乱して心臓発作で死んでしまうという。
そんな話を立て続けに
2019年までのカウントダウン直前まで見ていた。
しかしジゼルは裏切った彼を許してウィリーの女王に
殺さないでくれと懇願する。
昨年に司祭に裏切られたせいか、妙に共感して涙まで出た。
許す気持ちと、彼を書きたいという気持ちは別ものだ。
それは、死者の書の郎女(いらつめ)のように憧れの気持ちでキリスト教
(仏教)に入った執心から、
現実を知り悟りを開いていくまでの道のりは、私にとっては
重要な生きた証である。そして彼女は蓮の茎で作られた
糸で曼荼羅を作って命を絞るところは、
狭き門を通りたいという、クリスチャンの性であるようだと
最近は思う。善悪の計り知れない深淵から、
美しい旋律を見つけたいのだ。
休んでるように自撮り三昧だった間、
折口信夫の死者の書と
マルクス・ガブリエルの
なぜ世界は存在しないのか、
を勉強していた。
他に勉強したのは
使徒言行録、オーソドックスとカトリック
ミサという意味、そしてトラウマに立ち向かうべく
司祭という仕事とは何なのかという本を読んだ。
司祭に裏切られて、オーバードースを起こして
自殺未遂をした10月。
私の作品に対する経験は充分だろうか、それともまだ体験が必要だろうか、
それは分からないが、今のように学問に勤しむということは、
死者の書で郎女が仏教の『称賛浄土摂仏教受教』を
一心不乱に写経した気持ちに重なる。ついでに、
私の作家の在り方も彼女に共感するものがある。
執心から悟り、その執心の中には異端と含まれるものが
あるかもしれない。けれども恐れることは私はしない。
私の心の中の天国が定かになりつつあるからだ。
私は恐らく、執心から悟りへと変化しつつあるような気がして
ならない。
憧れから入ったキリスト教、正直、嫌な事のほうが多かった。
病気だって正直言って悪化した。十字架が重くなっていく
という表現が正しいだろうか? とりあえず私は不幸を背負って
寡黙を手に入れ死の淵から心の中の天国というのを見出しつつ
ある。
洗礼を受けた直後の幸福だった記憶は薄れていく。
世界なんて存在しないという哲学は正しいと言えるだろう。
極めて20世紀以降らしい。でもだからこそ
心の中の天国は必要なのだ。それは人間に魂があり続ける限り、
必要とされる。悟りに近いものを見つけたときに
宗教は強い力を持つのかもしれない。ただ入信しただけでは
幸福にはなれない。
(ルカによる福音書17章20章)
人生は長い道のりである。それを実感するからこそ、
2018年から2019年に変わったからといって、そこまで
お祝いの気持ちにはなれなかった。
次は「死者の書」について書いてみたいと思う。
私は二作品目のイコノグラフでは女子パウロに出しても
良いぐらいの正統派の「執心」から神の巻かれた種が育つまでを
書いた。けれども次回作はカトリックを裏切るような作品に
なるかもしれない。けれども、私は書かなければならないのだ。
幻想のような亡霊の王子のために朗女が、蓮の花で曼荼羅を作ったように。
私は教会のパーティやあの賑やかな円卓に戻ることはないだろう。
それは司祭に裏切られたときから決まっている。
その代わり、寡黙を保ちつつ現実では聞こえない旋律を聴くのだ。
存在していない世界から。
イコノグラフはこちらで買えます。