
I. Die teure Gnade -Nachfolge
Was wäre auch Gnade, die nicht billige Gnade ist? Billige Gnade heißt Gnade als Lehre, als Prinzip, als System; heißt Sündenver-gebung als allgemeine Wahrheit, heißt Liebe Gottes als christliche Gottesidee. Wer sie bejaht, der hat schon Vergebung seiner Sünden. Die Kirche dieser Gnadenlehre ist durch sie schon der Gnade teilhaftig. In dieser Kirche findet die Welt billige Bedeckung ihrer Sünden, die sie nicht bereut und von denen frei zu werden sie erst recht nicht wünscht. Billige Gnade ist darum Leugnung des lebendigen Wortes Gottes, Leugnung der Menschwerdung des Wortes Gottes.
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Billige Gnade ist Predigt der Vergebung ohne Buße, ist Taufe ohne Gemeindezucht, ist Abend-mahl ohne Bekenntnis der Sünden, ist Absolution ohne persönliche Beichte. Billige Gnade ist Gnade ohne Nachfolge, Gnade ohne Kreuz, Gnade ohne den lebendigen, menschgewordenen Jesus Christus.
翻訳(試訳)
・安価ではない恵みとは何だろうか? それは一般的な真理としての罪の赦しを意味し、キリスト教における神の愛を意味する。この教義に賛同した者は、すでに罪の赦しを受けている。この恵みの教えよにり、教会全体がすでに恵を共有する。この教会において、世とは悔い改めることもなく、そこから解放されることを望むこともない罪によって安価な隠蔽を見出してくる。それゆえ、安価な恵みとは、生ける神の言葉を否定することであり、神の言葉の受肉を否定することである。
安価な恵みとは、悔い改めのない赦しを説き、教会の規律を伴わないバプテスマであり、罪の告白を伴わず聖餐を受けることであり、告白を伴わない赦免を受けることである。安価な恵みとは、弟子との自覚を伴わない恵みであり、十字架を伴わない恵みであり、生きて受肉されたイエス・キリストを伴わない恵みである。
Dietrich Bonhoeffer(1906年2月4日 – 1945年4月9日)
ディートリッヒ・ボンヘッファーは、1906年生まれのルター派の牧師であり、神学者であった。ナチス政権下で殆どの教会がナチス政権に協力したが、ボンヘッファーはBekennende Kirche(告白教会)など設立し、正義感を持って激しく抵抗した。彼はヒトラー暗殺に加わった容疑でフロッセンビュルク強制収容所(KZ Flossenbürg)で処刑される。今回は彼の初期の著作である「Nachfolge」(継承・The Cost of Discipleship)のI. Die teure Gnade(高価な恩寵)から抜粋したものを翻訳。
彼の文章の特徴は比喩や修辞的なものは特に見られないが、神学的な展開だけではなく、論理的で倫理・道徳であり、啓発的でもある。ボンヘッファーは、安価な恩寵(billige Gnade)というものは、救いの言葉を軽視し、悔い改めや変化を求めることなく、単なる理論や教義として受け入れるものと解釈した。彼によれば、このような恩寵の受け取り方は、本物の恩寵ではなく、「生きた神の言葉の否定」であり、「神の言葉が人となって現れる」という教義の否定でもあると述べている。ボンヘッファーは、本物の恩寵は、単なる理論や教義ではなく、個人の心と生活を変える力を持つものでなければならないと主張する。したがって、本物の恩寵は、教義や理論を超えて、自分自身の心と生活の中で実践されるべきものであり、それによって真の変容や回心が生じると考えられている。特に山上の説教についての解釈は見どころであるが、何よりも、世間の道徳や倫理が歪んでいる最中で、何が正しいのかを見極めたところにある。現代でも教会全体で起きている不正を目の前にして「実践」を伴えるキリスト者は数少ない。
ヒトラー政権下での限界状態(Grenzfall)で「暗殺」という罪責を引き受けたことに関しては慎重に言葉を選ぶが、彼の「生ける神の言葉」(des lebendigen Wortes Gottes)についての言及は今でも感じることはあるはずだろう。
*今回はいつものカイエの断章的に翻訳し、考察したものです。不十分であることは承知ですが
ご理解の程をよろしくお願いします。
