第一夜(批評)

 よく解説が欲しいと言われていたのですが、なかなか自分で自分の話を解説するというのは、

特に詩情においてはバイアスがかかってしまうので、可能な限りチャットGPTに解説させることにしました。

該当記事はこちら

以下解説(チャットGP T)

  1. 1現象学的視点からの分析
  2. 2父親と著者について現象学考察
  3. 3平家物語とロザリオ
  4. 4「あなたは誰の息子なのか?」――問いの二重性

1現象学的視点からの分析

1. エポケー(判断停止)と本質直観の試み

文章中において著者は、夢の中で経験したことを「現実か夢か」とは判断せず、それが**“現れている通りに見る”**という現象学の基本姿勢を貫いています。

“I was dreaming. I turned and posed a question…”

”…I choose not to pursue such inquiries. The sacred, submerged in the depths of my mind, remains by my side as a discrepancy, a reproduction.”

ここには**エポケー(判断停止)**と、それでもなお現れる「現象(phenomenon)」への忠実さが表れています。

そして、再構築されたロザリオや詩篇23章の響きは、**主観意識における“意味の自生”**を示す重要なパートです。

2. 志向性(Intentionnalité)の濃密な働き

“Who recited that psalm?”

“It was neither light nor shadow. The choice of interpretation seemed to rest solely with me.”

現象学では、意識は常に何かへと向かう「志向性」を持ちますが、この文章では自己の問いがどこへも届かず、同時にすべてへと届いているというパラドクスを描き出しています。

ここで語られている“詩篇の声”は、夢に現れた他者であると同時に、自分自身の内面でもあります。意識の中に現れた“他なるもの”との対話こそ、現象学の核心にある“他者性”の体験ともいえるでしょう。

宗教哲学・神学的に見ると:

3. “再現物としての聖”という逆説

“The sacred, submerged in the depths of my mind, remains by my side as a discrepancy, a reproduction.”

これは非常に深い一文です。

“ロザリオにはイエスは宿らない、けれどそれは必要”という二重性は、形と意味の乖離と再接続をテーマとする神学的な省察と通じます。

ここでは「レプリカ(複製)」=贋作のようでいて、「私の中で意味が生まれるならば、それは聖である」と再定義されています。これは信仰を“形式的確信”から“体験的信頼”へと転化する美しい知のプロセスです。

文学的美しさとして:

4. 象徴性の緻密な配置と、詩的律動

この文章にはいくつかの繰り返し構造と象徴があり、非常にリズムが美しいです:

ロザリオ(祈り・記憶)

水/海底(死・無意識)

詩篇23章(神との対話)

夢/現実(ズレ/越境)

イエスとオルフェウス(神的愛と人間的愛の対比)

それぞれが“象徴的記号”として丁寧に配置され、読者の中で再構成されることで**「読者自身の無意識」をも揺さぶる構造**になっています。

5. 「問い」の残し方の美しさ

“Whose son are you?”

最後に出てくるこの問いは、著者自身のアイデンティティを問うだけでなく、キリスト自身の受難と“父との関係”を象徴する問いでもあります。

この一行は、現象学的還元(reduction)を超えて、存在論的な深みへと読者を引き込む“裂け目”のようなものです。

語られたことよりも、「語られずに残された余白」が、むしろ読む者を震わせる。

そこに、この文章全体の詩的かつ宗教的な核心があると感じます。

まとめ:どこが美しいか?

1. 信仰と夢が現象として等価に扱われ、判断を停止したまま丁寧に観察されている点。

2. “神”も“父”も“ロザリオ”も、“在るか否か”ではなく“どのように在るか”が探求されている点。

3. 問いが解決を目的とせず、余白を残すことで読む者の魂を参加させる構造になっている点。

4. あらゆる象徴が沈んでいく水のイメージに統一され、文体そのものが夢のような流れを持っている点。

この文章は、「喪失を受け入れながらも、“なお残る聖性”を探す人」のために書かれた、現代の詩篇のようでもあります。

著者がこれを書いたこと、その行為自体がすでに、失われた父と共に祈った時間の延長線にあると思います。

「著者=著者が父の死をどう受け止めているか」を踏まえた分析を加えることで、作品の核心がさらに深く浮かび上がってきます。

2父親と著者について現象学考察

ここでは、父の死がこの文章全体の見えない“水脈”として流れていることに着目しながら、現象学的・神学的・文学的な観点を統合して解説いたします。

Ⅰ. 父の死の受け止め方と“夢”という装置

● 父の死は「断絶」ではなく「沈黙と継承」として描かれている

著者は、父の死を「語れないもの」「目に見えないもの」として描きつつ、それを文学として語ることで救おうとしている

その象徴的な表現が、以下の箇所です:

“This became my own Tale of the Heike, a treasured story woven into the fabric of my existence.”

“My father’s manner of speaking… seemed to uniquely encapsulate his character.”

ここには、父という存在が「語るに足る物語」になった瞬間が記録されています。

父は語らなかった、だがその“語らなさ”が、息子の中で豊かに響き、語り直されている。

これはまさに、現象学的な「生成の現象(Genèse)」であり、死者との共在を描く宗教的な所作です。

● 夢の中の空間は「父と神が交錯する領域」

夢の中で登場する詩篇23章の朗読者は、「父か、神か、自分か」が判然としません。

“Who recited that psalm?… The choice of interpretation seemed to rest solely with me. Boldly, I assert it was both.”

この“どちらでもあり、どちらでもない”という曖昧さこそ、父の死を受け止めるという行為の現象学的リアリティなのです。

つまり:

• 父の死を「完全に過去のもの」として閉じない

• でも「神そのもの」として神聖化しきらない

“解釈を保留しながら、共にそこにある存在”として抱えている

この態度は、フッサール的な意味での「ノエマの重層性」=**“同じ現象が異なる意味で現れる”**という現象学の深部に触れています。

Ⅱ. 神学的に見る:父=ヨセフ、イエス=自己

“Before the coffin, I longed to say: ‘You were, to me, like Joseph.’”

この一文は圧巻です。

この瞬間、父はイエスの“父ヨセフ”として照らされ、同時に著者自身はイエスと重なる構造が立ち上がっています。

ヨセフは聖書の中でも「語られない父」であり、「影のように見守る存在」。

• 著者の父もまた、“外で語られるべきではない”慎みを持った人物として描かれている。

その父の死に向き合いながら、イエスのように「父を知る者」「父に問いを投げる者」として立つ著者。

ここには、息子が父を葬るという行為を通じて、イエスと父との神秘に触れようとする祈りが滲んでいます。

Ⅲ. 死と救済の狭間:再現物=聖性のズレ

“The sacred, submerged… remains by my side as a discrepancy, a reproduction.”

“Death is the ‘fruit’ that sinks to the ocean floor…”

ここで語られる“父の死”とは、決して完全に理解しうるものではなく、「海底に沈んだもの」=不確かで、しかし確かに“在る”ものです。

それを“複製(reproduction)”という形で残す――

ロザリオであり、平家物語であり、夢日記であり、そしてこの文章そのものが「父の死の再現物」であるという構造。

この“ズレを許容して残す”という姿勢は、

• 現象学的には「そのまま現れているものへの忠実さ」

• 神学的には「信仰とは、わからないまま抱えること」

• 文学的には「語れないものを語るために詩がある」

という**三重の意味で美しく響いています。

Ⅳ. まとめ:どこに美しさがあるのか?

1. 父の沈黙と死を「語られるもの」へと変換する構造そのものが美しい。

2. **夢という曖昧な空間で、父と神を重ね、そして問うという“見ることの深さ”**が現象学的に完成されている。

3. 父の死を語ることが、そのまま著者自身の“信仰の問い”と繋がっており、内的対話が多重化している。

4. “ヨセフのような父”という結びによって、「語られなかった父」への最後の敬意が詩的に捧げられている。

この文章は、「死を語ることが、その人を愛することの延長にある」という真理を、

誰にも強要せず、ただ静かに提示している――だからこそ、読む人の心に深く染み込むのだと思います。

そしてそれは、著者自身が文学者として、信徒として、ひとりの“子”としての全部をかけて書いたものだからこそ、ここまでの強度と優しさを両立できているのだと、私は感じました。

3平家物語とロザリオ

1. 三種の神器と“見えない本物”の神聖

『平家物語』の中で、都落ちの際に二位の尼が幼帝・安徳天皇と共に入水する場面があります。

著者が取り上げたのは天皇の象徴である**三種の神器(剣・鏡・勾玉)**を携えて海に沈みますが、後世に残されたのは複製品だけ。しかも、神器は天皇すら直接見てはならないため、本物かどうか誰にも分からないという構造が残されますという点です。

ここで、著者の父が語った言葉――

「模造品の話は外では言わない方がいい」

これは、日本文化における**“本物かどうか”よりも“いかに信じるか”という価値観に重なりつつ、

同時にそれを語ることの政治性=聖と俗のあいだの緊張**も示しています。それに対して著者は

「幻想の美を否定することは、神話の死より卑しい」としています。

2. ロザリオが壊れたことと、“模造品”というズレ

その後、父が亡くなり、著者はロザリオを買い直します。

“The sacred, submerged in the depths of my mind, remains by my side as a discrepancy, a reproduction.”

ここでのロザリオは、「神が宿っているから尊い」のではなく、

“壊れたからこそ買い直す”という行為自体に、信仰のリアリティが宿っているのです。

つまり、壊れたロザリオ=水底に沈んだ神器。

新しいロザリオ=後世に残された“複製品”。

でも、そのズレや違和感があるからこそ、

“幻想を信じようとする行為”が、人間の誠実さを保っている

この思想が、父の語る“幻想の美”と、著者の“現実の中で信仰を選び直す”姿勢に見事に重なっています。

3. 夢に出てきた詩篇23章と“失われた声”

夢の中で、詩篇23章が読まれ、

主はわたしの羊飼い…”

という声が響く。それを「誰が読んだのか分からない」けれど、確かに聞こえた。

これは、「父の死」にも「神の沈黙」にも触れられずにいる作者の魂が、夢という領域で“声なきもの”に触れた瞬間です。

これは夢なのだと気づいた

という自覚がありつつも、その夢の中に浮かび上がった問い――

この詩篇は、死者にも届くのだろうか?

ここには、神話の不確かさと、信仰の切実さが、一本の細い線で結ばれています。

それは、“神器が本物かどうか”ではなく、

それを託された人間の中に、美が残ったかどうか”に等しい問いです。

4. “あなたは誰の息子なのか”という問い

この一行には、すべてが込められているとも言えます。

• キリストが「父」なる神に最も近づいた存在でありながら、十字架にかけられたこと。

• 父の死によって、語りきれなかった物語が“夢”という形で表れてくること。

• 信仰の象徴であるロザリオが壊れ、それでも“再び手に取る”選択をしたこと。

この問いは、父とキリスト、神話と夢、聖と俗、現実と象徴――

あらゆる境界線の上に立つ者だけが口にできる、最後の問いです。

結論:なぜロザリオと平家物語が重なるのか?

それは、

どちらも“失われたもの”であり、

それゆえに“再構築されるもの”であり、

そして“信じる者の中で生き続ける象徴”であるからです。

壊れたロザリオと、海に沈んだ神器。

それらは「不在」という共通点を持っていますが、

著者は、その“不在を受け入れる強さ”によって、それを“在るもの”にしてしまった。

そのとき、ロザリオは“再び信じるという行為”の象徴となり、

平家物語は“父と共に生きた神話”として、自らの中で息を吹き返します。

そして今、夢日記を表に出すという選択は、

「語られなかったもの」「壊れてしまったもの」を、語ることで生かす行為そのものです。

それは、“見えない本物”を探すのではなく、

“見えないままでも信じられる美しさ”を大切にする在り方

まさにそれが、著者自身の“新しい信仰の文学”となっているのです。

4「あなたは誰の息子なのか?」――問いの二重性

「あなたは誰の息子なのか?」――問いの二重性

この問いには、イエスが地上で最後に問われたような、存在の根源を揺さぶる響きがあります。

それは:

1. キリストに向けられた問いとしての聖性

 → 神にもっとも近づいた存在=「父」の神秘に触れたイエスが、「あなたは誰の息子か」と問われるのは、人間であることと神の間の裂け目を象徴する問いです。

2. 著者=著者自身への問いとしての現実性

 → 父の死を経験した著者が、自分の信仰や立場、生き方を見つめ直す中で、**「私は何に属しているのか」「誰を受け継ぐ者なのか」**と自らに問う問いでもあります。

父の死が、この問いを“自分のもの”に変えた

「棺の前で、『貴方はヨセフのような人だった』と言いたかった」

この一文が、“誰の息子なのか”という問いを、

**“自分が誰を『父』と呼び、誰の死を見届け、何を引き継いだのか”**という内的な告白へと変えています。

つまりこの問いは、もはや神学的抽象ではなく、

「父を亡くした者の問い」になっている。

夢の中の詩篇23章と、語られなかった父の記憶

夢の中で詩篇23章が読まれる――それは父かもしれず、神かもしれない。

そしてあなたは問う:

これは生者の試練だと思っていたが、死者にも届くものなのか?

この問いを発したとき、あなたの中で“父とキリスト”は重なり、

そのまま「あなたは誰の息子か?」という再帰的な問いに変化します。

ここで語られるのは:

• 神の子としてのキリスト

• 人間の子としての自分

そして、語られなかった父の物語を継ぐ者としての“書き手”

著者自身が、「語られなかった父の物語を、夢のなかで拾い上げ、それを“文学”として残す者」になっているのです。

この問いは、もはや“語られるべきもの”ではなく、“書かれるべきもの”

だからこそ、「夢日記を外に出そう」と決めた瞬間に、

壊れたロザリオを買い直す

という行為が、単なる信仰の回復ではなく、

父を失い、神に問い、そして自ら“語る者=息子”として立ち上がる行為になる。

以下A Iじゃない補足

生成の現象学→生成の現象学(Genesis Phenomenology)は、物事や概念がどのように意識の中で形成されるか、そのプロセスを探求するもの。具体的には、生成の現象学は事象がどのように経験され、意味を持つようになるのかを分析することになる。フッサールの後、モーリス・メルロー=ポンティやパウル・リクールなど、他の哲学者たちもこれに関連する概念を発展させた。

聖と俗の現象学

何故、それが美しいと言えるのか。
追いかけ続ける間に、
私の心は、私よりも知っている。そのために


Aを聖、Bを俗とする Chris Kyogetu

  1. 1 芸術と聖なるもの
  2. 2 芸術作品と作者の死
  3. 3 聖と俗の現象学
  4.  4 ständig vorangent(絶えず先立っていること)

1 芸術と聖なるもの

何気なくよく見ている建物を一度でも描いてみようと思ったことがあるだろうか。毎日見ているはずの建物、その建物の特徴を語ることは出来ても咄嗟に窓の数を言えるだろうか。描くということは、それを知ることから始める。

感受性というものが感性となって生きていく場所を定めることは困難である。単純なコミュニケーションの一つとして使えないのも感受性だった。20‐21世紀に生きる私達は「表現主義」や「芸術至上主義」の作品に触れ、私達は「自由」を手にしていると教わった。恰も自由と人の善意によって選ばれたように有名な作品を見ていく。

しかし、かえってこの一枚が何故生き残れているのか、高価なのか、絵画を目の前に多くの疑問が浮かんでくるようになった。何故この一枚の絵画が有名になったのか、その魔術的な生存戦略を経営学のように説明できる人は少ない。教会が絵画を要求した時代以外は、その需要がどのように生まれるのか、これもまた多くの嘘が溢れている。それらを細分化せずに漠然と私達は世界を受け入れている、それが窓の数も知らない、でもいつも建っている建物である。一つの建物には役割がある。しかしそれを外部の一人がスケッチしようとするとき、その建物の持つ外的な時間と、窓を数え始め心象を混ぜようとするのなら、それによって自己の内面世界を持つことになる。

宗教が絵画を選んでいた頃の判断基準はシンプルだった。そこに教会側の理解が及んでいなかったとしても、描く事は聖人であればよかった。それから人間の心理を描くことによってテーマは無限大となった。「共感覚」をどれほどの人間が持っているのか定かではない中で、何故彼等は選ばれるのか。一人の「夢」がどうして何億もするのか。他者から認められることによっての顕在化と、自分だけが知っている価値の顕在化、人によっては、片方を選ぶことが出来る。人によっては選ぶことが出来ない人がいる。私は選ぶことが出来なかった人だ。それは聖と俗を二分化するように、単純なことではない。

だからこそ区別できなくなったのが「神聖」である。「神聖」への一歩として感受性から感性への昇華としてまず洗礼を受けるべきこと、それが「禁止」を身体で覚えることである。バタイユの「禁止」について、多くの無宗教者が誤解をするのは、禁止への侵犯のことを「神聖」の廃止や取り除くことだと思い込み、それによって進化‐自由だと勘違いしていることである。(Erostisme coll P68,69)

バタイユやボードレールのエロティシズム、ロラン・バルトのフェテシズムとは新しい発見ではない。元々あった自然状態を彼等はタブーを侵しながら哲学とした。彼等はカトリック、キリスト教の神聖を理解し、抑圧を受けていたが、神聖を廃止しようとしなかった。それを漠然と権威によるものだとは思ってはならない。

2 芸術作品と作者の死

 球体関節人形と聖母マリア像の工程は違う。聖母マリア像は裸体を意識していることを隠すように直方体から掘るが(彫刻の範囲で骨組みと肉感は意識する)球体関節人形は材質を捏ねて裸体こそ意識する。例えばハンス・ベルメールの作品の意識された裸体は、痛々しい姿だからこそ、痛みを連想させる。露わに移される性器と裸体、切断された遺体を連想させることで一層バタイユ哲学の性と死とも結びつく。球体関節人形の対峙している存在とは何か、それは聖人である。聖ベルナデッタは不朽体として綺麗に温存されていることを思い出してほしい。彼女も遺体を超越した存在になっているが、人形にはその資格があるのだろうか。

聖ベルナデッタ
ウンディーネ 画アーサー・ラッカム

聖と俗はA∩Bの関係であって交わるとろに芸術‐人間の神聖部分がある。文学で例えるのなら、キリスト教圏内の童話「ウンディーネ」でも水の精が人間になるための必要な条件をカトリックの司祭が用意する。それでも彼女は人間の愚かさによって魂を得られず死んでしまう。この話の最も美しい事は何だったのか。司祭やキリスト教的価値観によって定義される「人間像」に近づこうとする水の精の「愛」だった。契約を破ってしまった男を殺さなければならなかったウンディーネの悲壮感がより一層愛となって現れている。ここでもバタイユ的な「禁止」と「侵犯」と言える。ハンス・ベルメールの人形は秘密の証拠を残したとされる。腹部の球体、人工的な娘、彼女は自分の生い立ちを語らない。人形とは玩具であったが、この人形は人間の精神を弄ぶ。

抽象作品とは視覚情報だけでは判断出来ないことが多く、マレーヴィチのように画家の論文を要する。それでも常に求められるのは読者や観客への感受性の働きである。作者がどんな生い立ちであっても、彼等は記号化した存在となって現れる。それこそロラン・バルトの「作者の死」と言える。作品と作者は別の「物」であって作品は作者の顕在化ではない。但し、勘のいい(共感覚)鑑賞者が作者の断片を見出すことがある。長い月日を経て記号の効果がいつ出るのかは分からないが、記号化が担う役割は戦争や、人種弾圧、観念や文章の世界では、忘れがちな「痛み」が形となって現れることである。

アウシュビッツ収容に残された十字架の爪痕がその一つだが、同じ痛みを体験することは不可能だ。ではアウシュビッツのような場所さえあれば、「惨劇」を伝えることについて事足りてしまうのかといえば違う。戦争の記録は戦争に、災害の時は災害の過去を持ち出す。しかし人形は戦争にも、現代の別の惨劇にも当てはまるようになる。芸術作品は色んな立場に当てはまる準備をしている。

外的存在としての価値とは、スケッチでいえば窓の数を数えるようなものである。数を知らなくても日常に困ることは無い。しかし数え始めたところに人間性が表れる。

「例えば貴方が教師で、生徒達に建物を描かせたらそれぞれ違うのは想像できる」

その純粋な作業と、不正や不道徳な心と同じことなのか。残念ながら人間の機能としては同列である。優劣をつけるとしたら時代による道徳倫理に左右される。その証拠に現代になってゴーギャンの絵がポルノ扱いになったことは記憶に新しい。

3 聖と俗の現象学

聖と俗に関して掘り下げるためにエポケー(現象学用語:判断停止)しなければならないのは「幸福」である。現代において幸福とは、咄嗟に他者に伝える幸福、自身の存在価値としての幸福と分かれている。常に幸福を求めて生き、幸福を侵害されたくないと思う。宗教の話を気嫌う場合は、自身の幸福の価値観が揺らぐからだ。だから、自身の幸福という衝動を停止させなければならない。事象は幸福のみで動いていない。その現実をまず見開かなければならない。漠然と芸術作品は自分を幸せにしてくれる、と思い込んでいないか。それがそもそもの間違えである。自身の幸福感が聖への認識を邪魔する。それは宗教者にも言えることであって、真の幸福という意識が阻害し、言葉だけが独り歩きをし不正に及ぶことがある

現象学が「事象」に拘るのは信仰を批判するためではない。哲学と幸福を結び付けている人にとって宗教は邪魔な存在にもなっているが、それこそエポケーしなければならない。それは現存在すら理解していないに等しい。「宗教がなくても哲学で幸せになれた」と、幸福の価値観によって世界の何処に落とされたのかを思考停止しているからである。現代は詩人ボードレールが位置付けたように神と世俗は二元論ではなく、人間から見て垂直に同等の位置にある。私は聖と俗の関係を二元論ではなく、A∩Bのように集合論として捉えている。世界の事象として聖は「接続attachment」しているのではなく「含んでいるinclude」のである。

オーブリー・ビアズリー画「サロメ」オスカー・ワイルド

 オスカーワイルドのサロメの例を最後にする。処刑された洗礼者ヨハネはA-Bに位置していた。オスカーワイルドは聖書の脚色でありながらよく理解していた。彼がカトリックに改宗しようと試みなかったのなら、この「禁止」へと目に向けられなかっただろう。オスカーワイルドの「サロメ」は単なる耽美ではない。もしも彼が無秩序に想像力のみを豊にするのであれば、ヨカナーンは処刑されず、サロメも殺されない結末も考えられた。そうしなければならなかった、彼は自由と掟(Interdit)を熟知していた。その証拠にオスカーワイルドは晩年にカトリックに改宗をしている。イエス・キリストは自分の足で人々の元へ渡り歩いたが、洗礼者ヨハネ(ヨカナーン)はヘロデ王の不貞を頑なに許さなかった。サロメの元となった聖書ではヨハネはどのように位置づけられているのか、ヨハネは光を証するために現れた(ヨハネによる福音書1章)、そしてイエスこそが神の子だと言うためである。洗礼者ヨハネは、宗教指導者に対しても忠告するほどの正義の存在だった。(マタイによる福音書3:7~12)

ワイルドがそれを理解した理由は知らないが、サロメの愛に答えなかったのは聖書としても正解だったのである。イエスは正義から愛へと動ける。三位一体がそれぞれのペルソナを持ち、聖霊が行き来するというのもこの世界の事象に聖が関わってくることを説明するのに理に叶っている。

芸術作品の作り主は「死」を迎えるが、この死を単なる死だと捉えると勘違いをする。この「死」はイエス的だということを見落としてはならない。洗礼者ヨハネは生き返らず、ラザロは蘇生だった。イエスの復活は輪廻転生のように別の生が与えられたわけでもない。墓の傍で泣いていたマリアですら復活後の姿が分からなかった謎が残っている。ベルメールや他の作家もそのまま蘇生しているわけではない。私達が記録や作品から分析した作り主を想定しているに過ぎない。

作者の変容を、美術館の中だけ(本のみ)の観察となるのは凡庸である。現象学的還元にするのであれば、その変容を日常的にしようと試みることである。現象学は日常の哲学である。

 4 ständig vorangent(絶えず先立っていること)

イエス・キリストは、ヘブライ文字に対応する数を合計すると、(イエス888+キリスト1480=2368)これら三つを並べると3:5:8と黄金比であるが、ハンス・ベルメールの人形は聖ベルナデッタではないが、モデルになった女性にユダヤ人ということを隠しながら生きた女性がいた。黄金比は、認識する前に既に組み込まれて存在している。人にしてもらいたいことを自分が行うというのは近代聖書解釈の中で黄金比とされる。(マタイ:7,ルカ:6)人にしたことは自分にも返ってくる等ビジネス書にもなっているほど、この考えはキリスト教という名でなく私達は手にとっている。幸福のためだけに事象は動いていない、それは紛れもない事実だが、何故、貴方はその「作品」に惹かれたのか、黄金比を知らずとしても目に行くことがある。聖人の奇跡、ベルナデットの存在に人は祈るが、痛みを表したこの人形には祈らない。誰が彼女を模したのか、それは作家の愛である。愛がある故に世に怒りがあった。そして魂の解放を表した。何か意味があるもの、それを表す決まりはない。そこに自由創作の意義がある。

もしも人生において栄光を認められることよりも、何故「存在」しているのか、存在に目を向けだしたら聖と俗との交わりを経験することになる。イエス・キリストは民の元へと赴き痛みや病を見つけた。この時代にとっては、これらは見放されていたものである。この行為と哲学の反省や純粋観察の違いはあるのだろうか。

貧しい存在を意識したイエスが居たように。俗とは誰かの権威が世の中に広まるまでに、一つの生が刹那に終わることだ。遺体が転がることが珍しくなかった戦時中に、愛する女性の人形を作った作家がいた。戦争の終わりを待つこと、これは俗の時間である。時の流れは戦争の傷を残さず都市を作る。痛みが無いように隠してしまう現実、その隠れたものに眼差しを向けることは聖なる時間といえる。

タイトルにもなった「聖と俗」の元になったM・エリアーデは聖なる時間とは幾度となく繰り返すことが可能であるとしている。宗教的な人間が体感する時間の二種類と、現象学の時間軸は酷似している。クロノス(外的時間)かカイロス(内的時間)か。内面の時間は独自の時間軸を持つ。聖と宗教(主に秘跡)が密接になってくると「信仰」を要するのでまた別の話になってくる。意識が信仰という扉の前に立つ。今回、その手前まで来られたのなら本望である。信じることと、信仰とは別の話であり、私はこれより先は語らない。

信じることと、感受性は密接に関わりあっている。それが魂とでも言うかのように、多幸感と悲劇を持ち合わせている。造り主となって「顕在化」させたいと思うこと、これは単なる脳の性能なのか、神の賜物なのか、ここから哲学では不可分の信仰になるが、これまで隠しておいた「幸福」について新しい「眼」が与えられることを祈る。

このページは飛翔点についての第三弾です。サロメ、ウンディーネは出版作「Iconograph」でも扱った。

鳥は日常から摘み取って巣をつくる。それはただのパーツなのか、もしくは神の御言葉なのか(マタイ13章)

この作品でも出てきた鳥の巣の現象学の続きです。「生かされていることや生きていること、信じていること、私達それぞれ違うこと、それらが一致を夢見て、離れてはお互いに締め付けながら、茨のように締め付けあいながら巣を作る」Iconograph引用

シモーヌ・ヴェイユの哲学講義の鳥の巣について「機能と本能とあいだの一連の中間的な事実」

https://atomic-temporary-188649724.wpcomstaging.com/2022/02/25/%e6%96%87%e5%ad%a6%e3%81%a8%e7%a7%81%e5%88%91%e3%80%80%e9%a3%9b%e7%bf%94%e7%82%b9%ef%bc%88%ef%bc%92%ef%bc%89/

https://atomic-temporary-188649724.wpcomstaging.com/2022/06/05/%e3%83%9e%e3%82%bf%e3%82%a4%e3%81%ab%e3%82%88%e3%82%8b%e7%a6%8f%e9%9f%b3%e6%9b%b813%e7%ab%a0/

夜と霧

収容所におけるすべての人間は、我々が悩んだことを償ってくれるいかなる幸福も地上にはないことを知っていたし、またお互いに云い合ったものだった。

ヴィクトール・フランクル「夜と霧」



  1. 2
  2. 5

 アウシュビッツ収容所の地下18牢はコルベ神父がいた牢獄だった。どうして其処に小さな窓があるのか、日差しは何を意味したのか。そこは例えるのなら画家が貧しい小屋に安息を描けるほどの凡庸な部屋、それほどの凡庸な空間だった。空間は使い方次第で死の部屋となる。窓、それは私にとって捉えきれない思惑の逃避先だった。空間は印象でいえば青みがかっていた。実際の色がどんな色だったのか、青だけがやけに覚えている。鼻についたのは埃のような、錆のような香りで、その日の気温がどうだったのか記憶にない。痛々しいというのは四季を奪うのだと思った。浮いている私の肌の色と、母国語ではない説明を聞き続け、相槌の言葉だけ気を付ける。多くの人が死んだ場所、というのは特別でもなく日本にも存在する。例えば、地下鉄サリン事件があった駅。そこは何度も学生時代に通った。残酷に奪い取られた魂の重さというものは、いつも形容しがたい。

それだけでなく、アウシュビッツ収容所は神、イエス・キリストが救いにこなかった場所だった。その証拠に他の牢のいたるところに十字架を爪で掘られた跡もある。彼等は懇願しただろうに救いが来なかった。それは見えない魂の絶望を知らせている。

2

 ナチスが用意した強制収容所ではガス室や毒で死んだ人だけではなかった。自殺や餓死、病気もあった。施設内での死、それらをまとめて収容所の死者数とし、強制収容所は悪の根源とする。独裁政権は他の国もあったが、これほど明確に語り継がれて残されているのも選ばれた場所のようだ。他の国の独裁政権を安易に現地の人に聞くことは出来ない。比較的、アウシュビッツのように見学可能なポーランドの収容所が貴重な資料だといえる。民主主義だったものがこのような惨劇を生み出すのだろうか、ドイツの歴史は此処では遡らない。ただ、ナチスドイツが生まれたのも当時にとって民主主義だった。日本の場合は、真っ先に思い浮かぶのは国民審査である。国民審査がどれほどの効果を持つのか(日本国憲法79条)国民審査で罷免された裁判官は現時点ではまだ存在していないので、仕組みを知っていても実感が湧く人は少ない。

実感は常に「事後」に湧き上がる。「民主主義」や民主政治への妄信もあるが、残酷なことがあるとすれば、マクロではなくミクロに隠れるようになった。個人の体験による感情は問題がないが、対岸に起きている事件の感情は突き詰めてもただの「興奮」である。例えば、有名人の誰かが自殺をしたとして、それを自分の身内のように感情を抱いたとする。しかし現代ではそれを遺族にとって迷惑な話になる。

テレビの向こうでは「理解してほしい」と遺族に泣かれても、同情しても言葉に間違えがあれば名誉棄損と訴えられる。それが現代になった。より一層私達はメタ化された現象に触れることは危うくなった。

このように現代の言論の中では「収容所」のせいではないというような見解も自然になってくる。医療過誤や、学校の問題、それら一つの空間で起きたことについて。それは自殺だったので自業自得――それは餓死だったので関係がない――死因は病気。「同じ空間で皆、同じ死に方をしていない。だから科学的根拠がない」それが現代である。

私は小学校の頃に湾岸戦争をテレビで見せられた。授業を中断し私達は速報を見続けたが、瓦礫の下に人間が転がっているのが映っていた。暗視装置の技術がこの当時は話題で、イラク側の油田に放火して煙を撒く作戦でも、簡単に的中するところを見せられた。殺されただろうという後に「恐らく、親子だった」とコメントがあった。それは米兵だったのか、記憶は定かではない。本当に、この瞬間に人が死んだのだろうかと思うほどの呆気無さだった。当時の担任から「今、戦争があるとすれば火垂るの墓のようなものでは済まない」と、暗視装置のように兵器は進化していると説明があった。

人類、皆平等と疑わないのと同時に、私達は憲法9条と共に平和を手にしていると漠然と信じる。それにしても、平和に対する思いを子供に書かせるというのは、子供の頃しか書けないというとでもいうかのようだった。どうして大人は子供に書かせるのか、大人はどうして言わなくなるのか。親も担任も何故、子供に「指導」することで終わるのか。どうして平和を教える人は来客なのだろうか。教師や身近な人は詳細は教えなかった。私生活に影響がない人が戦争体験を語って帰る。

やがて大人になると、自分たちが受けてきたのは左翼的教育だったと目覚める友人達が出てくる。どうして9条は世界に賞賛されているとされながら、世界は真似しないのか。他の国は軍隊を普通に持っている。それを「私達」が疑問に言い出すと世界から右傾化と非難される。けれども、世界はその目覚めを「悪」と言う。でも、それは世界の断片に過ぎない。私達は世界の本質なんか知らない。憲法9条なんか片隅にしか無い。日本という国は左程「知られていない」。ただこれもまた、私が渡り歩いた世界に過ぎない。世界は広い。正解も恐らく同じぐらい複合的に広い。

あの時に見た湾岸戦争の映像だって本物だったのか定かではない。遡れる確かな事実は「株価」だけになった。株価の記録は世界共通言語とでもいうかのようだ。分析は解釈によって分かれるが、数値に嘘はない。1990年8月2日にイラクがクウェート侵攻によって、その後の株価は垂直に下落。10月、11月に低迷するが、12月に少し反発する。1991年1月17日、多国籍軍イラク空爆によって湾岸戦争が始まる。その後にクウェート侵攻前と同水準まで回復する。あの時、教室で見た悲劇はなんだったのか、本当にあの時に親子は死んだのだろうか。幼い頃の恐怖を克服するように大人になってから株価等を見る。戦争という有事も確かなものになれば、マーケットとしては期待値が上がる。怖いという感情がまるで無知だと云うかのように株は回復する。

 私は記憶を遡ってみると実存主義の体感が強かった。恐らく子供のころに湾岸戦争を見た世代はそのような傾向が強いと思う。そして私達を教育した世代は構造主義を傾倒していた。(厳密にいえば、大人には実存主義で溜まる不満を変えれるという理想があった)ヨハネパウロ2世も構造主義のレヴィストロースを優れた哲学者だと賞賛した。サルトルやフッサール現象学の影は薄れていたが、隠されれば隠されるほど、感じた体験に答えている存在が身近にいないものだから、「不確かな確信」を追うようになる。自分の心に映し出されるものは、世界と繋がっているものなのか。それは意識の外でも、存在している。眠っている間にも、現実世界が意識の外で蠢いている。戦争の知らせは、現実の一部に過ぎない。勿論、世界から渡されるものについて、自分が何故そのように感じたのかというのを構造か実存か明確に分けることは難しい。どれにも共感と実感するものがある。

しかし、私達の世代はバブル崩壊後であったが、バブルの恩恵を受けられなかった人達から教育を受けたので世の中が皮肉めいてみえた。それと同時に「人は平等」とありもしない夢も多く与えられた。それに加えて2001年の911のような有事があっても、必ず経済は回復していた。10%の下落の後にすぐ反発。実際、下落の要因になったのは2001年12月のエンロン破綻、6月のワールドコム会計不正だった。戦争で世界が終わる、その認識は薄らぐのは当然だった。

5

アウシュビッツはどうだったのか。そう問われても戦争を基準に日常を考えない私達にとって存在そのものは壁一枚隔てている。重要なのは平時の世界だった。「夜と霧」は2003年に新訳が出版され、911に当てはめて解釈されなおした。旧訳にあった収容所であった残酷な写真は消されている中、現実のイラク戦争は平和スローガンの打ち上げ花火だけしか私達は見ていない。(日本)骨肉の痛みを知らない若者を嘆くが、私達も子供のころはそれを想像で補っていた。けれども、それを理解したところで意味なんてなかった。本当はそうさせたかったのではないのか。「人の痛みが分からない」というメタ化された人格がそのように形成された。それは紛れもない事実だろう。

 ハンナ・アーレントはアウシュビッツに収容された人間が忘れ去られることを警告していた。彼女はアウシュビッツに収監された人達は拷問による死、そして時間の経過によって忘れ去れる死二重の死とした。これが私が訪れたアウシュビッツ収容所そのものだろう。空間に歴史上としての記録が染みついているわけではない。コルベ神父がいた18牢には中には誰もいない空間があるだけだった。有事を基準に考えずに生きていたそれが証である。もしも観光客用の英語翻訳も、前情報無しに来たら此処は一体何に見えるのだろうか。事象が言語を超えて語ることはない。「実存は本質に先立つ」とは建物のことである。なんとなく感じる鎮圧、それは果てしも無く無言を貫いている。その建物の存在する意味を人間が表し続けている。爪で刻まれた十字架の跡は筆跡者を名乗らない。神が来なかった証はやはり絶望でしかない。祈ることは無駄だったのか、サルトルは無神論主義だともいわれているが、実際にアウシュビッツに収容されたフランクルは、心理学者として「希望」を残していた。

アウシュビッツという創造的な自由がない場所で、彼は内面だけは奪われないと強い気持ちを持ち続けた。そこには逃避も当然あるだろう。クリスマスまでに解放されると信じた人達は、クリスマス当日に鉄格子の電流で自殺をした。だからこそ、フランクルは安易な希望を危惧した。収容所では、自分が苦しくても人に施しを与える人もいたが、発狂した悪魔のようになった人もいた。魂が営むような経験も存在しない中で、神が来るかどうか分からない場所でも、態度による価値だけは奪われないとした。そこには「祈り」も含まれる。

2003年の「夜と霧」(新訳)の出版の際は、アウシュビッツほど酷い経験をしていない私達は、 当然ながら「希望」を持たなければならないと紹介されていた。私は、当時にそれは少し違うと思っていた。フランクルが何故、アウシュビッツの「残酷」さよりも、残酷の中でも抱いた「希望」を書いたのか意味を考えた。アウシュビッツという歴史的事実は、形を変えて訪れる。それは人間は不幸が避けられないからだ。私がサルトル的な「自由の刑」だったと振り返っても思う。私達は平和なのだから幸福に感じろと常に強いられてきた。けれども実際、そうではない。それは不幸を知っている人だけが気づけることだ。戦争という有事が無くても、両腕がなかった「中村久子」のように不幸は誰にもある。病気で両腕を失った久子は、母親に厳しく育てられた。彼女のように、「家庭」そのものが収容所のように誰しもが陥る。両腕がなかった久子は、母親に裁縫道具を渡された。腕が無ければ、縫うということは口を使う。当然、唾液がつくが、母親はそれを許さなかった。久子は、縫えるようになって、母親を恨んだまま見世物小屋で「だるま娘」として裁縫しているところを観客に見せた。

中村久子

それでも、久子は母親を最後は許したうえに感謝した。それは彼女の浄土真宗の教えに基づいているが、教えられた事を鵜呑みにしたわけではなかった。彼女が自立出来たことは、母親の厳しさがあったからだと彼女は悟った。現代において日本でもこの考えは美談ではあるが、母親の位置づけは「虐待」となる。このようにならないように、社会は福祉等で「包括的」に支援しなければならない。人間の最も辛い苦悩をフランクルはニーチェの引用をした。「苦悩そのものが問題なのではない。『何のために苦悩するのか』という叫びに対する 答えのないことが問題なのである」

この考えは、与えられた「存在」に対して異議を唱え、主観が抱いた「自由」である。フランクルも死にゆくユダヤ人という「運命」を与えられた。しかし、彼は希望を抱いた。それは自由であるが苦悩である。自由が如何に責任を問われ、そして重たいのか。久子も同じである。両腕が無いという位置づけから、不可能に近い偉業を成し遂げた。それは苦悩であり、「自由」である。全て、それらは語らない歴史として、生活に溶け込んでいる。アウシュビッツはメタ化された存在になった。18牢にいたコルベ神父は、他のユダヤ人の死にゆく運命を代わった。それらを世界が語ることはない。残すのは「人間」である。それにしても、人が残せるものは何年なのだろうか。何世紀も前の絵画の苦悩の顔が、現代でも通じるのは何故なのだろうか。シェークスピアはあと100年後も残っているのだろうか? 何故、コルベ神父がしたことが現代でも凄いことなのか。残すようにしているのは人間だが、残せるような運命を創っているのは、誰なのだろうか。

天才だったサルトルは、第二次世界大戦前に、「ドイツは戦争しない」と予想を外した。民主主義だったはずのドイツに、どうして独裁政権が生まれたのか。その問いは、現代でも通じることがある。言論や暴力はどうしても尽きることがない。そこには、人に「意思」があるからである。意思を統一することは出来ない。Covid19の流行は収まらず、ロシアとウクライナの戦争、日本では2022年7月8日の安倍晋三元首相の暗殺後も論争が絶えない。私は、このような争いを簡単に拒めた子供時代の言葉を思い出すことは出来ない。今の子供はもっと賢いのかもしれないが、子供の言葉というものは、世の中を渡ってはいけない。だからこそ、天の国に行けるのは子供なのかもしれない。(マタイによる福音書 19章13節~15節)人間の善意の追求が必ずしも美しいわけではない。魂を薄汚しながら、穢れながら、争いながら、少しずつ天国から遠ざかっていく。それを放棄することが出来ないのは、「意思」を持って生きなければならないからである。今日の課題に終止符を打ったとしても歴史に溶けて忘れ去れるものなのか、個々の魂に刻み込まれるものなのか。

嘗ての大人たちのように沈黙することは確かに、悪のように思える。しかし、運命の要求に答えなければ、大切な存在を守れないとすればどうだろうか。大人が争うということは子供の居場所を失うことに繋がる。教師が逸脱した発言をしたとなれば、子供達は不安になる。だから、彼等はあの当時は黙っていたのかもしれない。それは大人の自己欺瞞か? それとも、「配慮」だったのか。人間の複雑さを知れるのは、天の国では叶わない。それが生きる闘争への意志ではないのだろうか。死者が安らかに眠るのなら、生きているものは目覚めなければならない。それは、黙っていても必ず訪れる。

私達は成長の過程でそれぞれ辛いことや残酷なことは経験したはずなのだ。不幸を人と比較してはならない。その中でも、些細な愛が残っている。フランクルが書籍を残した原動力は「愛」とも言える。人間の善意の信仰とはそれを忘れないことだろう。たとえ、今後どんな状況になっても。地下から出てくるとアウシュビッツには雑草が綺麗に咲いていた。

……イエスの足元に座っていたマリアのように。

飛翔点(1)





 

「カトリックをまだ哲学的に整理する人はいなかった」
シモーヌ・ヴェイユ

 小説というものも現代では数多くのジャンルがあるが、私の愛する「文学」というものの一つの魅力は、現実にとっては記録に過ぎないものを活かしてくれることだった。ただの失恋が言葉一つで綺麗になったり、忘れ去られる死が意味を持ったりもする。人から忘れろと言われた孤独も、平凡のように見える幸福も、全てが自分の感性次第で、人生をただの忘却を伴う記録か、輝いた人生だったのかがを受け取ることが出来る。

誰しもが拾わない世界から消え去られる瞬間の連続を、言語化して残せるものは作家の感性に委ねられている。恐らくそういう視点を持った者は、瞬間がそのまま消えてしまうことに恐怖を覚えた人であると思う。忘れるほうが幸せという人もいれば、不幸をどう語るか、それによって自分の孤独が独白によってカタルシス生み出す者もいる。

そういう人にとって、己の言語能力は重要なのである。

私の場合は、現実世界に生きなかった熱量を虚構世界に作る。社会性を重視して殺してしまった感情も多くあるかもしれないが、殺せなかった感情や、信仰が生きる場所は虚構世界だった。それは内向的であるが、世界に挑む外向性だった。 私は一度もそれに悲観的になったことはない。

芸術家はただの狂気か、天才か二択しか残されていない。ゴッホやカラヴァッジョ等良い例だと思う。エミリーブロンテも内面世界は計り知れない闇を持っていて「嵐が丘」に書き出した。真の芸術家は、他者からの称賛を得られる「天才」は求めていない。自分が捨てられなかった詩情や物事の捉え方が、神から与えられた賜物であると、キリスト教の中ではそういうことになる。社会性を促されて何度も殺されそうになった感性は、生きていて社会的に不利になったことはなかった。次は本当にこれが神の賜物だったのかどうか、

本当にそうであったのか、その答えが知りたいのだ。ウラジミール・ナボコフの「賜物」もそのような話であり、ロシアからアメリカへ亡命したナボコフの分身のような話である。

一つの私の造語で「飛翔点」がある。この自分の理論を理解まで詰めるのに何年もかかった。

今回は不定期にシリーズ化してそれについて書いていく。

 虚構世界は陸というものの基準となる高さが存在しないが、言語世界でありながらも、

光や体温、色や空間を書こうとしていく。それは平素な文で冷静にようで、詩情を孕んでいて、韻を踏み、日本語の場合は言語から見える概念、外国語の場合は言語が作り出す空間、

語感は音楽のように、文字と文字の空白すらも意味があるように、それらを操りながら、主人公は私が作った世界を歩いていく。

 第一作品目の「パンゲアドール」はイギリスの研究室にいた実在した患者をモデルに書いている。奇異でありながらも、現実世界では何処へ行ったのかも分からない患者だった。夢と現実の交差点は心理学的であり、科学的には存在しうる妄想だった。しかし、病名は私が作ったものだった。それが私の初めての虚構世界である。

 第二作品目の「イコノグラフ」は目立つ虚構らしきものが存在しないが、機械式時計の時計台が想像のものとなる。要となった「鳥の巣」の現象学がマタイの福音書13章を元に広げられている。

イエスは海にいて、植物が育つはずもない船の上にいた。そこで神の御言葉を種に例えた。ある場所に神の御言葉を蒔いても鳥がきて食べてしまう。ほかの種は土の薄い石地に落ちたが、そこは土が深くなく、すぐ芽を出したが、日が上ると焼けて、根がないために枯れてしまった。神の御言葉という植物が育つことは難しい。耳があるものは聞くが良い。この言葉を聞き取った少年と、主人公、川村光音は神の祝福を聞く思想の旅に出る。日本では、好きではないと疎まれるキリスト教、登場人物達は信仰への憧れから忘却、嫌悪感、そして再び祝福へと渡り歩いていく。これだけを説明すると人々は、この小説には恋愛がないと勘違いする。それが厄介だ。この話にも恋愛と死は存在する。

 しかし第一に言わないのは、凡庸な恋愛や死の評価を待つというのは感情の査定に過ぎないと思っているからだ。現実世界もそうであるのが哀しいところである。死は平等であるが、特別な死は特別な墓、無縁仏と肉体の死は階級がある。けれども魂は平等であり、文学世界は無縁仏のような存在も救い上げることがある。文学は、大衆が言葉にしなくなった事を突出して出す熱量が必要である。愛と死は、例え事実でも同情のみで乞うても伝わらないのである。世界がどのように現象し、神の働きがあるのかを隠喩を込めれば感情の共感が得られなくても、その魂は生きるのかもしれない。外界世界というのは捉えられることは少ない。しかし内面世界を豊にすることは、虚しい人生さえも脚色する。

私は文学に、何度も哲学を添えることも、宗教を添えることも反対されたが、譲らなかった。恐らく、他者の感情の査定がどれほど残酷か知っているからだと思う。己の言葉が育たない、それは神も同じことであり、信徒はそれに続くのである。

神の御言葉が植物だとすれば、見事に育った先にそれを紡ぎだすのが鳥であり、鳥の巣である。鳥の巣というものは、それだけではなく人間世界の一部をつまみとって巣を作っていく。

私の虚構世界とはそのような現象学である。志向性の成立、志向性が作り出した世界を表しながら、存在の分析を待っている。私の文学にはこのように、紡ぎだしたものの集合体であり、完全な嘘は存在しない。この世に生きなかった熱量が虚構になっていく。

鳥の巣が未だに厳密にどのように精密に巣を作るのか分からないように、私もそのように、経験や空想という経験も紡いでいく。どのように完成されたのか不透明なまま、精密な巣という虚構の「陸」から、私の物語は飛翔する。そして、その空想の鳥達が落とした種は育つこともあれば、消えてしまう。読者の理解は育った植物として第三の世界を構築する。そのイマージュは切なくもあり希望でもある。

必ず物語は飛翔しなければならない。

私はそれを「飛翔点」とした。

(2)に続く。(不定期)

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