
世界の中に中心はない、ただ世界の外側にある シモーヌ・ヴェイユ
神を幾ら語っても知覚したと言えるのかどうかという問答は信仰に値する。
その知覚を言語化すると神学と哲学のアウフヘーベンとなる。哲学は哲学史を
見ていても、神と共存していた。ギリシャ神からキリスト教の神と共存していた時代もあった。この二つの学問がいつ分かれたのか、思想の三統領のニーチェ、マルクス、フロイトだろうか。それともホッブスの「自然状態」ともいえるのか、私はニカイア公会議の1世紀頃としている。当時の教父たちは「哲学者のようにではなく、漁師のように」と人間の深みに達することを哲学のように人間の言葉ではなく、古びることのないとしていた。しかし彼等は当時、アリストテレスの「ホモウシオス」から抜け出せなかったとベネディクト16世が論じている。彼はそれでも「哲学者より漁師のように」信仰することを望んでいる。
トマス・アクイナスはスコラ哲学で「哲学は神学のはしため」とした。それをオッカムは「オッカムの剃刀」によって、哲学は神学と切り離すべきだとした。それでも、後のデカルトの神の存在証明の反論は沢山の哲学者が挑んでいるが、今世紀でも論破出来ていない。
スピノザが「汎神論」を唱え、異端とされた。ライプニッツは精神的存在の原子に相当する概念をモナドとした。世界の最小も最大も我々は祖父名することが出来ない。しかし、世界は偶然作られたわけではなく、これらのモナドが世界は最善へと設計されていくことを「予定調和」とした。バークリは、聖職者だったために誰もが見ていない間は神が見ているので、
実存とした。カントは敬虔なプロテスタント信者で、当時は神秘主義者のスウェーデンボルグに抗議の手紙を出し、真の信仰を理性とした。ヘーゲルも同じく経験な信者だったが、カントの客観は認識できないというものに異議を唱える。それが弁証法の一つの止揚(アウフヘーベン)だった。
産業革命以降、工業化により人々は過酷な労働や環境問題に悩まされ、幸福を疑問視するようになった。当時のキリスト教への信仰も薄れていく。人間に核たる良心や信念を持つ必要があると、ニーチェは「神は死んだ」と象徴的な言葉を残しました。自分自身で新しい価値観を作り出す「能動的ニヒリズム」と既存の価値の存在によって生きる希望を失う「受動的ニヒリズム」とした。
フッサールの現象学によって、人間の意識、志向性と人間の知覚と実存の研究となりました。
カトリック神学部だったハイデガーによって、脱カトリックを試みた彼は人間の存在は
生まれ落ちた「現存在」とする。
それでも、レヴィナスの「顔」はまた旧約聖書回帰へと繋がりました。レヴィナスはフッサールの「間主慣性」の反論を成功しました。これがレヴィナスの「他者論」である。
レヴィナスは奇跡的に強制収容所から生還しました。彼は多くの家族を失ったが、世界は存在していた。こういった形骸化、主語を失ったものを彼は「イリヤ」と呼んだ。
彼を取り巻く存在は黙示録の獣の数字だったに違いない。何故なら獣には名前は存在していないからである。旧約聖書の「汝、殺すなかれ」を引用し、イリヤから抜け出すのは「他者の顔」を知ることによって、無関心から他者と関わるとした。レヴィナスの「他者」とは、フランス語で見ると分かるが、「私の世界に踏み込めない存在」である。彼は他者の「顔」を認識することで、この亀裂を解消できるとした。
この哲学をヨハネパウロ2世は、忘れてはならない哲学者と評価した。
神学は、もう衰退の一途を辿っていると言われている。それでもバルタザールは美しい文章と論理性によって、三位一体の愛の不思議について学問的に、そして私達の感情に語り掛けている。神学も哲学者を無視したものは存在していない。(ネオプラトニズム)
哲学は恐らく、ポールリクールの宗教と哲学の共存を最後に神の否定に進んでいる。
神学は形骸化した世界から神の存在を答えとして、進んでいる。
神学史の中では大衆が清廉潔白の時代は存在しない。それは他の無宗教の歴史とそれほど
懸け離れていると思えない。これらを両方取ることに錯乱が無い事はないが、アウフヘーベンである。科学の結果を待ちながら、科学でも不完全さが残るときに人間は知覚を追う。
哲学と神学は恐らく同一の軌道を進むのである。人間のそれは智慧であり、弱さでもあり、
賜物である。
外の世界も美しい。けれどもそれを意識出来るために内面世界の奥行を愛さなければならない。例え、病で記憶を失っても、心と世界は繋がっている。病で自分のことを忘れてしまっても、神と私は繋がっている。生きている間は沢山のものを愛する。そのうち、肉体の衰えによって、外界世界は削ぎ落されていくのかもしれない。それでも光が見えるのは魂である。
魂が見る外界世界が世界のコアである。