Nous nous aimons en raison du plus ou du moins de ciel que contiennent nos âmes.
Mais ne sois pas injuste,
私達は自分達の魂の中に天国をどれだけ含んでいるかによって、それに応じて愛するのです。
けれども、不公平であってはなりません。
Honoré de Balzac――Séraphîta
前回の出版作だったイコノグラフで書いたサロメの脚本の出来が良かったらしくて(一部掲載)セラフィタは頼まれた。ただ、バルザック自身も当時、既に有名だったのにも関わらず、何処の出版社も受け入れなかった。それでも彼はこれこそ最高傑作だと自費出版をする。そして現代でもこの作品はマニア層扱いで、彼の出身地のフランスでもあまり知られていない。
意地でも出版したいと思ったのは、愛する公爵夫人への気持ちもあったのだとは思うが、公爵夫人の夫は亡くなり、彼等は再婚する。
セラフィタは中盤まではスウェーデンボリと基本的な聖書解釈を取り入れ、登場人物はプロテスタント系列の牧師だが、後半はカトリック、もしくは「普遍」になっている。著者自身も最終的にはカトリックの墓、著名人達が多く眠るペール・ラシェーズ墓地に入れてもらっている。
こういうのを「独自の宗教観」と評するけれども、私は独自の宗教観とはどんな宗教に属していても逃れられない性なのかもしれないと思う。勿論、わたくしもである。
脚本は、フランス語原作、英語版を参考に訳し、7割ぐらい脚色をする。理由は、日本語翻訳者も私なんかよりも優れているのですが、表現の意訳が多かったことと、スウェーデンボリの下りが特にバルザックの独自性が入っているために舞台を考えると、キリスト教以上に共通認識が無い上に情報量が多すぎて恐らく頭に入らないだろうという理由から、かなりの改変を入れなければならないのと、この出版が自費だったせいか、聖書の引用箇所や解釈にズレが訂正されてないままだ。(注釈入り)スウェーデンボリを支持している人たちも沢山いて、バルザックのセラフィタと言えば想像の秘儀のようなものがある。
私はこの虚構世界と人々が信じる神秘の事実とのバランスについては触れないが、
虚構世界の魅力は秘儀でもあることである。
それに対して敬意も忘れず謝辞を入れる予定でもある。
例えば日本語訳では「不公平」ではなく、「平等」にしなければなりませんとあった。
しかし、公平と平等となると意味が違う。キリスト教的に考えても、この場合は「公平」だろうと思った。神から与えられる賜物も、タラントのたとえであるように平等ではない。
天使(セラフィム)は、人間が平等に与えられてないものに対して、不公平にならないように補う使命があるのだろうと私は思う。(カトリックでも、天使はメッセンジャーとして役割がある。あまり信者同士で語ることも神父が話すこともないようだが、外国人信者や神父だったら天使の話を持ちかけたら、答えてくれることがある)
ただ、語感を考えると確かに「びょうどう」と言ったほうが綺麗だったので捨てがたいとも迷った。
今後の予定(公開出来る範囲)
クラウドファンディングについて。
セラフィタの脚本化について
次回作(小説)について。
残り二件は契約の問題上、現段階では非公開。