Sacramentum Poenitentiae et Reconciliationis

酒井司教と会って貴重な話が出来た。プライバシーがあるので詳細は言えないけれども、

聖職者の中でとても尊敬する人だ。書籍を買おうと思う。

酒井司教

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%85%92%E4%BA%95%E4%BF%8A%E5%BC%98

Eau De Parfum

次は「アトラップ・レーブ」です。これはストック用で買ってもらいました。
紹介ページから引用すると

とのこと。実はアトラップ・レーブの紹介は二度目です。あまりにも気に入ってしまったので、クリスマスシーズンだし売り切れたら嫌だなと思って早めに買い置きしておくことにしました^^。
背景がダサい(涙)

次はシャネルの5番のレッドボトル限定。
最初はオードゥパルファムだけの購入でしたけど、双子にしたくなってL’earuタイプも買いました。
オードゥパルファム
香水と同じフローラル アルデヒドの香調、ローズ ドゥ メとジャスミンを中心とするフローラルノート。 オードゥ パルファムには、トップノートにシトラス、ラストノートにバニラが加えられ、より現代的な解釈となっています。(公式から引用)

L’eau
もとのN°5よりも複雑さを抑えたN°5 ローのコンポジションは、強い日差しを浴びて輝くハチミツのように、シトラス ノートを放ちます。レモン、マンダリン、そしてオレンジのトップノートが、アルデヒドとともに空高く立ち上ります。次に聞こえてくるのは、花々のささやき。ローズが、爽やかな息吹をたたえたジャスミンと、この上なくモダンで新しいイランイランのほのかな香りと溶け合います。このフローラルのつむじ風が去ると、やわらかなホワイト ムスキー ノートとともに、ヴェチヴァーとセダーの力強さがやってきます。かつてないほどナチュラルで、フレッシュなN°5の誕生です。(公式から引用)

クリスマス限定ボトル。ブラックボトル。
これもストック用。使用期限が2年というのも魅力的。
(他は大体一年)
燃え上がる恋の移り変わりを、香りでも表現。

トップノート
「ベリー」・「ペアー」などの甘酸っぱいフルーティな香りが、「恋の始まりを告げる出会いの高揚感」を表現。
(ストロベリー、ラズベリー、ベルガモットエッセンス、ペアー)

ミドルノート
夜だけに花開く魅惑的な「ダチュラ」の花の香りが、「燃え上がる恋に溺れる感覚」を表現。
(オレンジフラワーアブソリュ、ジャスミンサンバックアブソリュ、ホワイトピオニー、ダチュラ)

ラストノート
「ホワイトムスク」・「パチョリ」の官能的ながら落ち着いた香りが、「離れられない、虜になる感覚」を表現。
(パチョリエッセンス、ホワイトムスク、アンバー)

香りの持続時間の目安…5時間前後


(公式から引用)
香りの創作に夢中。

GUCCI BLOOM

動画バージョン→https://instagram.com/p/BqJkqfqgd-N/

グッチブルームを購入しました。
ヘアミストはオンライン限定?
だとかで。即日配送でお徳感満載でした。
ホームページから引用すると
クリエイティブ・ディレクター=アレッサンドロ・ミケーレの、
自然や花々への深い想いから生まれたフレグランスは、
芳醇な香りを放つ多彩な花々が咲き誇るガーデンをイメージ。
天然のチュベローズとジャスミンによるその香りは、
思いがけないほどに豊かなホワイトフローラルで肌を装います。
南インド原産のラングーンクリーパーは、開花するにつれて、
白からピンク、そして赤へと色合いが変化し、
パウダリーでフローラルな香りをもたらします」

グッチのブルームはイギリス製で、
今まで持っていたフランス製とは
少し違う感じがします。フランス製の香りの創作というより、
自然のままの庭園を想像させます。


100mlバージョンと並べてみました。

穢れなき悪戯(marcelino pan y vino)

「穢れなき悪戯」を見て。
人は不幸であればあるほどイエスの磔刑までの道のりに近づき、
子どものように無垢であればあるほど天に近づく。
イエスの存在は至福の表しである。
非情に感想の難しい映画であった。スペインのとある村、
一人の神父が少女の病気を見舞いに行ったときに、周りが賑やかなのは何故かと問われ、
「聖マルセリーノ祭」だよと、聖マルセリーノ祭について語りだす。
それはまだスペインでは(19世紀)では修道院の存在は村人に歓迎されていなかったこと、12人の修道士達は修道院の二階の奥に大きなイエスキリスト像を何故か隠していた。そして、育ての子ども、マルセリーノに見せなかったのかというのは、この村人たちに「歓迎されていなかった」というところに少年の存在とイエスが被っていた。この少年はある日、修道院に捨てられていた。この少年の里親を探すが、適切な人間がいない。鍛冶屋はこきを使わせるために欲しがるが、修道士はこの鍛冶屋のあまりもの暴君加減に嫌気がさし、少年をその日の聖人の名前の「マルセリーノ」と名づけて育て始める。マルセリーノは炊事係のトマス修道士に自分の母親のことを尋ねる。トマス修道士は「彼は母親はもちろん美人で今は神様のところにいる」と答えた。それに、同じ年の友達がいなかったマルセリーノはマヌエルをイマジナリーフレンドとして独り言を言いながら遊ぶ癖がついた。
修道士は少年の数々の悪戯に頭を悩まされながらも、可愛がっていた。しかし、二階にある大きなイエスキリスト像の存在は知らせず、二階だけは行かせなかった。
後は、少年の心理はペロー童話の「青髭」症候群である。見るなと言われると好奇心旺盛な子どもは見たくなってしまう。あとは修道士の目を盗んで二階へ行くだけである。二階へあがって様々な工具が並べられている部屋の奥にもう一つ扉があった。それを勇気を振り絞って開けると、見たことがない大男がいた。
少年は驚いて逃げてしまう。しかし大男が追いかけてこないところから
好奇心旺盛な少年はもう一度、その大男に会いにいく。
するとそこに居たのは大きなイエス・キリスト像だった。少年は、彼にこっそりパンを持ち運び手渡すと、イエス様はそれを受け取った。それをきっかけに度々、イエス様に会いに行く。そしてイエス様は「私が誰だかわかるか?」と尋ねる。マルセリーノは誰に教わったわけでもなく「あなたは、神様です」と言い当てた。そしてラストにイエス様は「母親のところに行きたいか?」と尋ねてくる。少年は何の畏れもなく承諾する。それは本当に何の疑いもない無垢な目だった。そして、少年はイエス様の傍で謎の死を遂げる。そのラストをこっそりと見届けていた修道士は「マルセリーノが天に召された」と皆を呼んだ。
マルセリーノの死、それを神の奇跡とした。それから歓迎されていなかったマルセリーノの墓に人々が花を手向け、二階の奥で隠されていたイエスの像が表に出てきたのである。
そしていろんな人々の祈りの場となった。これがとある村の「聖マルセリーノ祭」の由来である。
この作品は最もカトリックらしい作品だと言われている。
鍛冶屋は修道士たちが気に入らずに取り壊そうと必死だったが、この少年の奇跡でこの鍛冶屋の存在は消えたかのように、この修道院は寺院へと建て替わっていた。そして、歓迎されていなかったキリスト教の集まる場所に人々が集まるようになるのである。
現代倫理感でいえば、この少年の死は不幸にも思える。自殺にも思える隠喩、イエス像の何かに刺さって死んでしまったとも思えてしまう。しかし、天国は父がいて愛のある場所だ。何故、生だけを肯定し、死を不幸だと私達はこの世に未練を残すのだろうか。この少年が幸福かどうかでさえも捉えられない。以前書いたノヴァーリスの花粉の愛するゾフィーへの想い、「すべての愛する対象は、それぞれ天国の中心である」というのとつながるような気がした。愛した人が行った場所だから、愛があると信じずにはいられない。歓迎されなかった少年、その少年が死を通して愛されている。愛すべき存在である父と、愛されるべき存在の子の結合、マルセリーノも天国の中心、愛が溢れる場所へと行ったと信じるほかないだろう。但しこれは、そう願う人にとっての話なのかもしれない。現実としての話ではないからこそ、受け止めることができるのであれば、心を癒すのではないか。例えば、死者を見送った後などに。
 画像著作権は株式会社 アイ・ヴィー・シーにあります。

ノヴァーリス・花粉

  

すべての愛する対象は、それぞれ天国の中心点である。
ノヴァーリス・花粉
婚約者ゾフィーの死後、彼はフロイトの言うところの「悲哀の仕事」を塞いだ。
彼は愛するゾフィーを断念することをせず、現実に帰らなかったのだ。彼は夜の色を愛し、
ゾフィーとの魂との霊的融合を目指していた。そんな彼の日記の断片、
「すべての愛する対象は、それぞれ天国の中心点である」
これは彼が現実に帰らず、ゾフィーのいる天国を素晴らしいものだと信じた結果であろう。最愛の人が行った天国だから、幸せな場所だと信じた結果であろう。
この言葉が妙に印象に残った。そんな一か月だった。この「すべての愛する対象は、それぞれ天国の中心点である」という言葉は他の映画の批評に繋げたいと思う。
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酒井司教、女子パウロ会、瀬戸内寂聴からも楽しんで読んでもらえた
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人気があった投稿2

今、映画の批評を書いてるのでそれまで過去のおさらいとして人気があった投稿を
載せていきます。

6位 「心の中を流れる河」
https://chriskyogetu.blogspot.com/2017/12/blog-post.html?m=1&fbclid=IwAR0DLTOUtlCpKbG69ZnZsFSem1lWrOjuTLgqoQRQ3X43MMG72gJ5WHWX_nM

7位

「桜桃」

https://chriskyogetu.blogspot.com/2017/06/blog-post.html?fbclid=IwAR06L5RBqHSnv-9lQj0FT4wi0GlYwgGqD-kCPLjJC0umfDdEqso9to0f7ok

8位

「諸行無常」

https://chriskyogetu.blogspot.com/2017/08/blog-post.html?fbclid=IwAR1dBnKkI02kLs07J4N7ERT_LugUlsjfVxOC9rlU-i4siq5k9DkJW5iDKDA

9位

「芋虫」

https://chriskyogetu.blogspot.com/2017/04/ranpo-edogawa3-caterpillar.html?fbclid=IwAR2nJjjd-m8zkdrKUiq0fsH3v7QxnN952JPxNhUjaoBjaFIB6niJm3KyqeM

10位

サクリファイス

https://chriskyogetu.blogspot.com/2018/02/offret-sacrificatio.html?fbclid=IwAR3swtXL5HH8NMtQZuHBWG6tlPVSDgSbi7WGIU1kFGDM5ngyibsnSNa18no

Attrap’Rêves










すっかり香水好きと覚えられて 自分で買ったり、 贈り物でもらったりで、今の私には香水が沢山ある。私にとって香水、調香師が現代稀に見る誤魔化しの無い芸術家なので、インスピレーションに愛用している。文章も映画も駄作を広告で良作と偽るようになってから、何が真か偽か分からなくなってから、香水だけは、技術もセンスも、そしてトップ、ミドル、ラストと抜かり無いストーリー性を融和している香水に惚れ惚れする。香水は香りを変化させつづも全く違う香りになってもダメなんだそうだ。言語の無いこのストーリーは、人の体温に息づいて空間に香りを放つ。このルイヴィトンのアトラップ・レーヴは「夢を包むお守り」という意味で70年ぶりに香水を作り出したルイヴィトンの旅シリーズの一つの場所だ。トランクに全種類入れたくなるような色んな香りは、アンデルセンの「絵のない絵本」のようだ。現実にない香りを想像し、月が語るように具現化する。イヴ・サンローランのモンパリが夜の恋なら、アトラップレーヴは朝の恋人、保証された夢。ふんだんに使われた花には砂糖菓子のような仕上げ。まるでメルヒェンのような香り。ミューズであるエマストーンも美しい。旅の途中で月の声を聞こう。沢山の花々のメッセージを甘い砂糖菓子を溶かして、自分に自信がついたら太陽の光にキスをするんだ。足で歩いてね。


アトラップレーヴ トラベルサイズは
ボトルも洗練されていて美しかった。

(これは贈り物)

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耳を切り落とすということ

精神科の医師には到底分からないことだと思うので、薬だけ渡してくれればいいと思う。私は作品で苦しんでいるわけではない。作品から離れた現実やビジネスに疲れてるんだ。
芸術家は作品を作ってる間はナルシズムでいいんだ。自分のやってることを正しいと思っている。でも作品から離れたときに「現実」に帰る。芸術家は作品から離れればいくらでも客観性を持って良い。たとえ、ゴッホのように耳を切り落としたとしても、絵を描いている間はナルシズムでいいのだ。自分に酔っていいのだ。
例えばゴッホのように。
この作品がやっぱり一番好き。
闇が蠢いているこの絵が。
情念を旋律に。

身を焦がして死ぬぐらいの覚悟を持て。

「星月夜」

過去に書いた「星月夜」について。http://chriskyogetu.blogspot.com/search?q=%E6%98%9F%E6%9C%88%E5%A4%9C

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人気があった投稿

人気があった投稿(批評・感想編)

1位 駆け込み訴え(太宰治)

2位 ポーの一族

3位 the secret garden 

4位 異邦人

5位 the mirror

沢山のアクセスありがとうございます。
療養していたので更新が滞りがちでしたが、
これからもよろしくお願いします!

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アマゾン→https://www.amazon.co.jp/Icon-graph-Chris-Kyogetu/dp/153493037X/ref=sr_1_2?s=books&ie=UTF8&qid=1512118298&sr=1-2

紀伊国屋→https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-02-9781976279713

雑談

 普段、哲学で入門書とか誰かの解説本とか読まずに原本を読んでいたのですけど、
療養中は入門書でも頭が痛くて、頭を使いたくなくてアマゾンプライムで、
藤子F不二夫先生の「エスパー魔美」とか「21エモン」「チンプイ」
なんかを見てまして、その中でも21エモンのゴンスケがお気に入りになりまして、
全部見終わってしまって、ロス感に包まれております。

あのカッペな話し方がツボでした。

ちょっと藤子先生ロスかもしれませんね~。

9月下旬から次第に復帰中です。

最近、iphone7が天に召されまして、なんだかんだで先取機種変だとか、
古い機種を下取りに出せば残債が免除になるとかで、毎月の支払が安くなる
プランになりそうだったので、
iphonexsに機種変しました。前は128GBあったものだから、
今回は価格を抑えたいので64GBにしました。ですのでフォトは移動出来ませんでした。

写真はGoogle photoバックアップをし、これからは、それを使い、音楽を聴くときもデーターを使って(お得なデータープランに入ったので)聞くことにしました。

置き型充電器も一緒に。
新しいiphoneでカラコン入れて撮影。
フェイスIDに否定的だったけどカラコン入れても
大丈夫だろうかとか、実験したり結構楽しんできました。
勿論、青い目でも認証しました。

私の出版作「イコノグラフ」をあの仏教で有名な瀬戸内寂聴様に読んで頂けることになりました。

瀬戸内寂聴様より

 私の出版作「イコノグラフ」をあの仏教で有名な瀬戸内寂聴様に読んで頂けることになりました。感謝感激とはこのこと。とても嬉しいです。

出版作紹介
http://chriskyogetu.blogspot.com/2016/07/icon-o-gprah.html

あと私事ですが体調が良くなってきました。動画をGIFにかえないと載せられないので
すが、少し面倒なので静止画と動画のリンクを。自分なりに目に生気が戻ってきたなと
思います。

動画→https://www.instagram.com/p/BnvDNMGjoEg/

女子パウロ会

女子パウロ会の金井照子様より、
出版作イコノグラフについて
酒井司教様の素晴らしい書評通りに万華鏡のような世界で、哲学やら色々と幅広い視点を広げられていて、とても私達のレベルでは書評が書けません。何処か新しい世界へ飛びだっていきそうな話でしたとの評価を頂きました。
女子パウロ会はカトリックでも大きな出版社です。Chris Kyogetu

酒井司教様(当時は神父)の書評

https://drive.google.com/file/d/1IWf3mKShI53901pN2mijLoOATJsu77CH/view

お祝い

以前、出版書籍の評価を頂きました酒井俊弘神父様が、
この度、司教(補佐司教)に任命されました。心より喜びとお祝いを申し上げます。

私のほうが5月から体調を崩してまして報告が
遅れたことをお詫び申し上げます。

酒井神父様の(現・司教)様の書評
https://drive.google.com/file/d/1IWf3mKShI53901pN2mijLoOATJsu77CH/view

酒井神父様、補佐司教へ任命

https://opusdei.org/ja-jp/article/sakai-osaka/

Dekalog episode5

デカローグ エピソード5(ある殺人に関する物語)
 ――恩赦の請願は却下された
 ――誰が弁護しようとも、判決は決まっていた
 まるで晴れることがない天候を表すかのように、このドラマは緑色のフィルターを使って撮影している。監督キェシロフスキによると、不要なものを取り去るためにこのフィルターを使ったようだ。この不穏な天候に相応しい登場人物達が一人、また一人と集まってストーリーを紡いで死刑執行という秩序を完成させていく。その冷徹さが秀逸だった。まずは殺されることになる太ったタクシー運転手。妻がいながら若い女性に色目を使い、乗客を選んでしか乗せない。悪戯にブザーを鳴らして子犬を驚かせては嫌味を吐く。時々は犬に餌を与えるなど、善人な一面も見せるが鑑賞者は誰もこの嫌味な男に好意を抱かないだろう。
 次に、ヤツェック。まだ二十歳の若い青年は、着々と殺人までの準備をしている。彼は事故で妹を失っていて、それから変わってしまったようだ。彼は殺人に使う道具を購入するだけではなく、自分の末路を予見していたかのように、写真屋に妹の聖体拝領の写真の引き伸ばしを頼んだりする。やがて、無差別にタクシー運転手を長い時間をかけて殺害する。

そして主要な登場人物はもう一人いる。それは彼を担当した弁護士だ。

物語は彼の法制度への想いの語りから物語は始まる。

「司法機械とでも呼べる兄弟な法制度が犯す過ちについて考えはじめました。弁護士ならば、その過ちを矯正することが出来る、少なくとも矯正を試みることが出来る、これは立派な社会的機能の一つなのだ」と。

  作中でもあるように、個人と個人の殺人は旧約聖書のカインとアベルの頃から続いている。次に、それを死刑として裁くのが法であり、国である。この措置を「殺人」と呼ぶのか「秩序」と呼ぶのか、これは問いかけているというより、フィルム全体が叫んでいと言えるのだろう。このフィルムは未だに整理がつかない問題を叫んでいる。その代理人が、死刑執行後に叫んだ若き弁護士となる。彼はドラマの最後まで怒りや悔しさを叫び続けた。
 私も昔は法学部で、死刑は賛成か反対かというのは散々考えた。(考えさせられた)けれども、常に答えは流動し、賛成にもなったり反対にもなったりと定まらない。そして、法律から離れると気が付けば考えなくもなった。けれども、それは法律中心に考えなくなったというだけのことで、心の何処かで意識せずにはいられないのだろう。例えば哲学をやっていれば必ずこの問題はやってくるし、小説としても殺人は必要な「設定」となる。このような非日常は常に自分の日常の裏に潜んでいるし、日常になることを恐れながら考えては関わろうとする。
 このドラマを見ていると、二年前、近所の神社で猫の手のようなものが落ちていたことを思い出す。しゃがんでじっくりと見てみると、やはり猫の手で血の跡と猫の華奢な手の切り口から肉が食み出ていた。例えば交通事故によって、猫は死に、偶然にもカラスが摘まんで、手首だけここに置き去りにしたというようなものを想定したが、明らかに、これは人工的なナイフの跡だと分かった。よく言われるのが、このようなものを見つけたら誰かが練習用に使っていると聞いたことがある。立ち上がって辺りを見渡してみると、小鳥達が見えないところで鳴いては木々を飛び移っては微かに木の葉を揺らすだけで誰もいない。ただ私が勝手に作り上げた不穏が立ち込めていた。埋めてあげようかどうか、足が迷いを表した。私は立ち去ることにしたが、結局はすぐに引き返して、ハンカチを取りだしてその猫の手を包んで、手で土を掘ってハンカチごと埋めた。
 良いことをしたとも、悪いことをしたとも思えない出来事。この時間は空虚だった。私はこの手を土に埋めることによって、剥き出しに転がっていた日常を非日常に戻した。この痕跡を近所に残すべきか、魂のことを埋めてしまうべきか迷った。どちらも必要なことだったからだ。私は結局は姿を知らない猫の魂を選んだ。
この小さな出来事、おそらくどんな作家や監督が「殺人」というテーマに挑もうとすると、自分の身体の小さなことに気づくだろう。土に埋めて沈黙すべきか、叫んでみるのか、迷いは必ずあるはずだ。


 この作品でも、カトリックの恩赦の請願は却下され、ヤツェックは司祭の手を接吻しようとするが、それを拒まれるかのように司祭は参列者のところへとすぐに戻ってしまった。若き弁護士の誰にも聞こえない叫びで終わるところから、キェシロフスキも分かっていたように私は思う。そしてこの「小さな」出来事が非日常ではなくて日常として考えられるように、殺人から死刑執行のシーンまで長く目を当てられない程、残酷に撮影されている。
デカローグ(その他) 

画像の版権は販売元である紀伊国屋書店、イマジカにあります。 



エピソード1
http://chriskyogetu.blogspot.jp/2018/04/dekalog-episode1.html

エピソード8
http://chriskyogetu.blogspot.jp/2017/09/blog-post.html

エピソード4

http://chriskyogetu.blogspot.jp/2018/04/dekalogepisode4.html#more




酒井司教、女子パウロ会、瀬戸内寂聴からも楽しんで読んでもらえた
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Dekalog episode4

「デカローグ エピソード4」
普通われわれには、自分が恋をしているのだと認める様々な印がある。
マルセル・プルースト 「失われた時を求めて」





   二十歳の演劇大学生アンカは、やもめの父親ミハウと二人で暮らしている。ある日、父親の書斎の引き出しからミハウの字で「私の死後、開封のこと」と書かれた封筒を見つける。それは、まるで見てほしいと言っているかのようだった。少し体から手紙を離すと、その文字がぼやけて見えるほど、アンカは視力が落ちていて、眼科へと行く。そこから何かを示しているようだ。アンカは外でその手紙を開けてみるが、入れ子式のように母親の手紙が封をされた状態で入っていた。そこには「わが娘、アンカに」と記されている。アンカはこれも開けようとハサミを入れようとするが、入れなかった。

   彼女はこの手紙は自分の出生に関する話だと予感が走り、今までミハウに抱いてきた感情を発露させてしまう。アンカは母親の筆跡を真似て、自分がミハウの子ではないという遺書を作り上げてしまう。それを父親の帰省後に空港で暗唱したかのように聞かせるとミハウはアンカの頬をぶった。すぐにアンカは恋人と結婚すると言い出し、二人は仲直りをしたが、父親はアンカに好きに生きてほしい、このままだと男と女の嫉妬になってしまう。そうはなりたくないと娘以上の感情を抱いていたことを仄めかす。
最後は、ミハウにアンカは本当のことを話す。あの遺書は私が作ったもので本物ではないと。そして二人で「事実」が書かれた封筒を燃やして終わる。
恋愛は四種類あるとスタンダールは言った。一つ目は「情熱恋愛」二つ目は「趣味恋愛」、三つ目は「肉体的恋愛」、四つ目は「虚栄恋愛」。(これは各自調べてください)

 今回のデカローグ、エピソード4はこの四種類に当てはめるとしたらどれかに当てはまるのだろうか。それともどれにも当てはまらないのだろうか、それさえも明確には分からない。ただ、プルーストによれば、恋をしているとそれぞれ印があるようだ。私はこれは信じられる。二人ともその『印』には自覚はあったようだ。それは視聴者には見えない奥深い場所にある。今回のエピソード4はモーセの十戒の「父母を敬え」というものをキェシロフスキの技巧によって複雑にしている。キェシロフスキは「このドラマシリーズは観客が真実を読み取るべきである」と言ったそうだ。最後に燃やしてしまった意味は何だろうか、私もこの選択が一番だったと思う。本能的に事実を突きつけられて先に進むよりも、自分達の心でどうするのか決めたかったのではないかと私は思う。

真実を突きつけられたくなかったのはまだ異性として愛していたからこそでもあり、燃やしたことは何処かへ進まなければならないからこその選択。観客は親子関係が崩れなかったことを見届ける。そしてこの二人の心の旅の道のりはまだこれからも長くなるということの暗示さえ感じさせる。






画像の版権は販売元である紀伊国屋書店、イマジカにあります。


デカローグ

エピソード1
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エピソード8
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