Dekalog episode5

デカローグ エピソード5(ある殺人に関する物語)
 ――恩赦の請願は却下された
 ――誰が弁護しようとも、判決は決まっていた
 まるで晴れることがない天候を表すかのように、このドラマは緑色のフィルターを使って撮影している。監督キェシロフスキによると、不要なものを取り去るためにこのフィルターを使ったようだ。この不穏な天候に相応しい登場人物達が一人、また一人と集まってストーリーを紡いで死刑執行という秩序を完成させていく。その冷徹さが秀逸だった。まずは殺されることになる太ったタクシー運転手。妻がいながら若い女性に色目を使い、乗客を選んでしか乗せない。悪戯にブザーを鳴らして子犬を驚かせては嫌味を吐く。時々は犬に餌を与えるなど、善人な一面も見せるが鑑賞者は誰もこの嫌味な男に好意を抱かないだろう。
 次に、ヤツェック。まだ二十歳の若い青年は、着々と殺人までの準備をしている。彼は事故で妹を失っていて、それから変わってしまったようだ。彼は殺人に使う道具を購入するだけではなく、自分の末路を予見していたかのように、写真屋に妹の聖体拝領の写真の引き伸ばしを頼んだりする。やがて、無差別にタクシー運転手を長い時間をかけて殺害する。

そして主要な登場人物はもう一人いる。それは彼を担当した弁護士だ。

物語は彼の法制度への想いの語りから物語は始まる。

「司法機械とでも呼べる兄弟な法制度が犯す過ちについて考えはじめました。弁護士ならば、その過ちを矯正することが出来る、少なくとも矯正を試みることが出来る、これは立派な社会的機能の一つなのだ」と。

  作中でもあるように、個人と個人の殺人は旧約聖書のカインとアベルの頃から続いている。次に、それを死刑として裁くのが法であり、国である。この措置を「殺人」と呼ぶのか「秩序」と呼ぶのか、これは問いかけているというより、フィルム全体が叫んでいと言えるのだろう。このフィルムは未だに整理がつかない問題を叫んでいる。その代理人が、死刑執行後に叫んだ若き弁護士となる。彼はドラマの最後まで怒りや悔しさを叫び続けた。
 私も昔は法学部で、死刑は賛成か反対かというのは散々考えた。(考えさせられた)けれども、常に答えは流動し、賛成にもなったり反対にもなったりと定まらない。そして、法律から離れると気が付けば考えなくもなった。けれども、それは法律中心に考えなくなったというだけのことで、心の何処かで意識せずにはいられないのだろう。例えば哲学をやっていれば必ずこの問題はやってくるし、小説としても殺人は必要な「設定」となる。このような非日常は常に自分の日常の裏に潜んでいるし、日常になることを恐れながら考えては関わろうとする。
 このドラマを見ていると、二年前、近所の神社で猫の手のようなものが落ちていたことを思い出す。しゃがんでじっくりと見てみると、やはり猫の手で血の跡と猫の華奢な手の切り口から肉が食み出ていた。例えば交通事故によって、猫は死に、偶然にもカラスが摘まんで、手首だけここに置き去りにしたというようなものを想定したが、明らかに、これは人工的なナイフの跡だと分かった。よく言われるのが、このようなものを見つけたら誰かが練習用に使っていると聞いたことがある。立ち上がって辺りを見渡してみると、小鳥達が見えないところで鳴いては木々を飛び移っては微かに木の葉を揺らすだけで誰もいない。ただ私が勝手に作り上げた不穏が立ち込めていた。埋めてあげようかどうか、足が迷いを表した。私は立ち去ることにしたが、結局はすぐに引き返して、ハンカチを取りだしてその猫の手を包んで、手で土を掘ってハンカチごと埋めた。
 良いことをしたとも、悪いことをしたとも思えない出来事。この時間は空虚だった。私はこの手を土に埋めることによって、剥き出しに転がっていた日常を非日常に戻した。この痕跡を近所に残すべきか、魂のことを埋めてしまうべきか迷った。どちらも必要なことだったからだ。私は結局は姿を知らない猫の魂を選んだ。
この小さな出来事、おそらくどんな作家や監督が「殺人」というテーマに挑もうとすると、自分の身体の小さなことに気づくだろう。土に埋めて沈黙すべきか、叫んでみるのか、迷いは必ずあるはずだ。


 この作品でも、カトリックの恩赦の請願は却下され、ヤツェックは司祭の手を接吻しようとするが、それを拒まれるかのように司祭は参列者のところへとすぐに戻ってしまった。若き弁護士の誰にも聞こえない叫びで終わるところから、キェシロフスキも分かっていたように私は思う。そしてこの「小さな」出来事が非日常ではなくて日常として考えられるように、殺人から死刑執行のシーンまで長く目を当てられない程、残酷に撮影されている。
デカローグ(その他) 

画像の版権は販売元である紀伊国屋書店、イマジカにあります。 



エピソード1
http://chriskyogetu.blogspot.jp/2018/04/dekalog-episode1.html

エピソード8
http://chriskyogetu.blogspot.jp/2017/09/blog-post.html

エピソード4

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