「何が少年を独裁者として変貌させたのか」
しなかった。
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There are no people who watch you more than God.
「何が少年を独裁者として変貌させたのか」
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カトリック教会の中でも特に戒律が厳しいカルトジオ会に属するフランスの男子修道院、グランド・シャルトルーズの内部を、初めて詳細にとらえたドキュメンタリー。ドイツ人監督フィリップ・グレーニングが1984年に撮影を申請、それから16年の歳月を経て許可がおり、音楽・ナレーション・照明なしという条件のもと、監督ひとりだけが中に入ることを許された。監督はカメラを手に6カ月間を修道院で過ごし、俗世間から隔絶された孤独な世界で決められた生活を送りつづける修道士たちの姿を、四季の移ろいとともに映しだしていく。(大いなる沈黙へ・解説引用)
音がないからこそ、聴こえてくるものがある言葉がないからこそ、見えてくるものがある(解説書より)
何故、「それ」を美しいと思うのか。美しいとされるものの一つに「黄金比」がある。黄金比が隠されているものは、計算を知らなくとも、人は知らず知らずのうちに惹かれることがある。 黄金比は何処に潜んでいるのか、貝や美術品、建築物等は分かりやすい例だろう。イエス・キリストもヘブライ文字に対応する数を合計すると、(イエス888+キリスト1480=2368)これら三つを並べると3:5:8と黄金比に相当する(近似値)。こういった数字のことを神聖数と言うらしい。聖書でこういった神聖数を研究している人達もいる。他にも物語を書く者であるのなら、聖書にある物語論の構図は、話の基礎が詰まっている。この中には物語り上の黄金比というものがあり、軽視は出来ないということに気づくだろう。
ただ、そうは言っても何故、「惹かれるのか」「美しいと思うのか」ということを黄金比の例を出したからといって万人に通用する説明とはならない。黄金比に限らず、何故美しいと思うのかということに関して説明することは難儀なこともある。
度々、この映画で出てくるエレミア20章の引用(エレミアの告白)
「主よ、あなたは私を誘惑し、私は身を委ねました」のこの誘惑という翻訳に戸惑う人が多いのかもしれない。そうなると現代の誘惑と意味が違うのだろうと処理をする、もしくはもっと詳しく分析をする人が出てくるとは思うが、私の意見としてはこの監督の心の内だと思う。
この映画はほとんど監督の主観的な要素は少なく、この修道院生活をそのまま観客に見せていることになるが、それでも作品と言うのなら何らかしら必ず本人の意思が無ければならない。この修道院は同じように沈黙を守るシトー修道院やトラピスト修道院と違って、個人の自由は保障されているらしい。この監督も撮影のために修道士達と共にしていたのだから、内的なものは自由に捉えていたのだろう。
“Ich bin der Ich bin”ドイツ語だけで考えると、「私は在りて在る者」、であるが、出エジプト記では神がモーセに言った「わたしはある。わたしはあるという者だ」という有名な箇所になる。これも監督の心の内から選び取った一節だと思う。
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小説にも言えることだが、映画なら尚更、こういった作品を作ることは中々許可が下りないものだ。この撮影は映画祭、コンペティション部門以外で出品と修道院から出された条件があった。
コンペティション、それは競争という意味がある。芸術家は感性を持ち、個性的であり、新しいことを創りながらも、人に受け容れられる「商品」としても意識しなければならない。芸術家は個性を必要とされながらも、他人に受け容れられなければならないというジレンマもある。他人に受け入れなければ消えていくだけという現実もあり、受け容れられれば「祝福」という見方もある。
それには競争も避けられない。それでもこの修道院から出された条件で撮りたいと思うことは、世間(コンペティション)が正解だとするのなら、これは一種の「誘惑」に相当したのではないのではないだろうか。
私はその「誘惑」が少しは分かるのでそう捉えたのかもしれない。それは周囲の声を他所に確かなる「黄金比」に惹かれることに近い。盲目の修道士は世間を憐れむように語るが、私達は修道院の外で生きなければならない。そのために、自分の世界を表現するものは、正しいと思った道でも多くの共感を得なければ「象牙の塔の中にいる」と皮肉を言われることもある。象牙の塔(tour d’ivoire)とは美しい言葉で、本来なら悪い意味ではないが、大体が皮肉の意味で使われる。
このフィルムの中は、すぐに分かるようなドラマがあるわけでもない。誰かが事件を起こし、それを追うとか、ある人の感情が多く語られることもない。観客を置いていくような企画は現代からすれば本来ならタブーなのだ。
それでも、どのショットでも、美しいものがあった。 私はそれらが何故美しいと思うのかは説明はしない。自分が価値観からこの映像を説明することは、無意味に相当するからだ。理解するなら、この映像を見るしかない。恐らく、それで美しいと思うだろう。そして、この監督は「象牙の塔」を撮影してきたのに過ぎないのだろうか? 修道院の中は確かに隔絶されているが、カメラを持ち出し、彼が映したものは内なるものだけだったのだろうか? 例えば、修道院には自然光が差込み、四季折々の風情は閉鎖されているだけではないという証拠ではないのだろうか。そして、この人達は神父達と違って祈り専用の方々なのだそうだ。世界で平安な場所や時が少しでもあるとすれば、この人達の祈りとは関係ないという証拠も取れない。
・There certainly must be some who pray constantly for those who never pray at all.
(決して祈らない人々のためにも、祈る人々がいる)
Victor, Marie Hugo—–Les Misérables
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このように本来なら企画の段階で懸念されてしまう静寂を成功させた人がいる。
この作品は数多くの賞を受賞し、創作者として、この作品は希望を与えている。
◎本気の解説はDVDの特典であるのでそちらへ。
◎DVDで鑑賞。2016年11月25日到着・28日視聴。
1984年、撮影許可を求めるが「まだ早い」と断られる。16年後「準備が整った」と突然連絡が来る。
これより誠実に独居房の生活をおくり、その他の修道会の戒律に従いなさい。絶え間ない祈りと改悛の喜びに満ち、孤独と静寂の中で神のみのご意思に従うのです。
画像元:(c)a philip Groning FilmPoroduction.
映画に行った感想/ネタバレ含む)
「シークレットオブモンスター」
The Childhood of a Leader.2016年11月25日公開
「私」が認識している「私」と、他人から見られる「私」、主にこの「虚構世界」は他人の眼差しから構成された「私・少年」だった。大人達はよくこの少年を「お嬢さん」と間違える。
サルトルの基本を少しでも読めばこの構成にはすぐに気づくはずだ。でもこの気づきはきっと入門に過ぎない。
観客にとって少年の主観に関する情報は「ママがいなかった」という夢、時々現れる歪んで焦点の合っていない景色、女性家庭教師のドレスから透ける胸、と少ない情報である。元々、現代知識として分かっていたことは、独裁者(指導者)のような人間が形成される因果関係は完全にはまだ分からないということだ。
現代人はそんなことは既に分かっている。
それを虚構でもいいので突き止めたいという人にはこの映画は向かないのかもしれない。この話は何か特別な非情さや残酷さもなく、情念も愛欲の熱もない。時々、母親が母性を見せ、少年が笑顔を見せるがすぐにすれ違いが生まれ、噛み合わず、人の肌の温もりが長く続かない。
それは体温が無い映像ということのだろう。
少なくともこの映画は、体温が無いということに関しては成功しているのかもしれない。
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外では戦争があるというのに、この家庭は古典絵画世界のような安定や均衡が保たれ、貧しさもなく、高価な家具や調度品に囲まれている。確かにあるのはこの美しい静物達である。
①その中で少年の味方だったお手伝いさんを母親が勝手にクビにした。
②少年は自分の部屋に閉じこもり、勉強する。
③少年は自分を叱った女性家庭教師をクビにした。
④少年は部屋の中で内面世界を維持しようとするが、
それでさえも、「叱るため」に父親はこじあけようとする。
それから、少年が大勢の食事の席で椅子の上(座)に立ち、
「もう祈りなんて信じない」と何度も叫んだシーンは
少年の居場所は他人達の視線、時代の思潮によって椅子のように狭くなっていたことを表しているようだった。
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私はそこで「可哀想」だと思った。けれども私のこの「可哀想」という眼差しはその少年を説明するものでは無い。
私は視線ではその少年を追えるけれども、その少年を語れない。
「私」がこんな少年を見たのなら、それも正解だと言える。
恐らくこれも正解ではあるけれども「感想」というものが、いつまでも本質に近づかず、その本質を掴もうとすると、曖昧というのは拭い去れない。
「あそこのシーンで泣いたね」「少年はかわいそうだったね」なんて単純に語り合えない。
分かち合う、語り合うとそれだけで理解による熱が生まれる。そうすると、一瞬でこの話の冷たさという本質が変わってしまい、この話から離れていってしまうような気がしてならない。
可哀想だと思った少年は、結末として指導者になった。その可哀想という感情はすぐに虚構世界の終わりと共に消えなければならない。
追記
公開から時間が経ったので、
新しい感想を書きました。
http://chriskyogetu.blogspot.jp/2018/02/blog-post_5.html
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感情を持つことによって、話の本質から離れてしまいそうな気になる。私のこの感情は話を読み解くための味方なのか、邪魔なものなのか、この「問い」。この感覚が駆け巡ることが非情に面白いと思った。
映画館で見てよかったなと思う。
◎サルトル著、指導者の幼年時代は読了済み。
◎映画館で一度見た感想なので、原作と比較して本当は色々気づいたことがあったけれども確かかどうか分からないのでこの程度で。
◎この映画は原作から着想を得たということなので、原作を匂わせる箇所は
ありつつも、違う話。(まず主人公の名前が違う)
◎不満を言うと、映画館の椅子が痛かった。
◎スコットウォーカー(Scott Walker)の音楽が良かった。
◎独裁者になる条件とか因果関係というのは私は答えは出ないと思っている。ジョハリの窓でいえば「未知の窓」(他人にも自分にも知られていないこと)がどのように表現されているかだと思う。登場人物、観客も含めて具体化出来ない闇の映像表現がよく出てて凄かった。
画像:https://www.google.co.jp/search?q=The+Childhood+of+a+Leader&espv=2&biw=1920&bih=1012&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0ahUKEwjHoPDtmdzQAhXLGpQKHSlIAB8Q_AUIBygC
* *但し、前半部分からアガペーはあります。小説として明確であるか無いかの違いです。
鳥の巣の成り立ちは神学と哲学、世界の内面を繋ぐとき、人間の感情や言葉では足りないものを上手く纏めてくれていると私は胸を時めかせた。
不思議の国のアリス(Vladimir Clavijo)
何か書かなきゃなぁなんて思いながらも気力が無い状態で、旧ブログ(閉鎖しました)で
取り上げた話題から取り合えず載せていって、温まった頃に何か書こうかなと。
google+にお気に入り動画・音楽を登録していくことにしました。リンクだけ貼っていくだけですのでフォローはご自由に。トークはしません。
「走れる靴と、走れない靴
私たちは愛の裏で動いていた」
Icon o graph
発売しました。
amazon.comから順次発売
amazon.co.jpでも取り扱いになりました。
(旧バージョン)
https://www.amazon.co.jp/Icon-O-Graph/dp/153493037X/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1468776277&sr=8-1&keywords=153493037X
(新バージョン)
https://www.amazon.co.jp/Iconograph-Chris-Kyogetu/dp/1976468949/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1512298868&sr=1-1
紀伊国屋
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-02-9781534930377
barnesandnoble
http://www.barnesandnoble.com/w/icon-o-graph-chris-kyogetu/1124114276?ean=9781534930377
あらすじ(英語版のみ 後書きつき)
https://drive.google.com/file/d/0BxNLSoqVr3MzWTRoU1RCb0JtNEE/view (Japanese)
https://drive.google.com/file/d/0BxNLSoqVr3MzbXB6Y2hBZUF1X1U/view (English)
試し読み
https://drive.google.com/file/d/0BxNLSoqVr3MzNXB3QVRlcEQwbkk/view
(keyword) 走れる靴と走れない靴、時を知らされない部屋と、時に決められた部屋。生の飛躍、 自由な魂、ウンディーネ、青を知らない女の子、QOL、祈りのための茨の棘、自己犠牲、悪しき母たち、 赦し、生長、変容、白夜、落ちた巣、天文時計、シモーヌ・ヴェイユ、占星術師達、 魅惑に満ちた混乱、最高の現象、時が人格を持つ、神話の実現、最先端医療、 不在への期待、オーディンの渡鴉、ベツレヘムの星、修理士、選ばれた部品、ロザリオリング、 栄巣、営みへの期待、刺繍、サロメ、硝子盤、羅針盤、解放、詩情のようで現実
(順不同)
「生かされていることや生きていること、信じていること、私達それぞれ違うこと、それらが一致を夢見て、離れてはお互いに締め付けながら、茨のように締め付けあいながら巣を作る」
栄巣(p278)
栄巣とは造語です。
(2)→http://chriskyogetu.blogspot.jp/2018/03/icon-o-gaph2.html
オプス・デイ
酒井 俊弘神父様より
https://drive.google.com/file/d/1IWf3mKShI53901pN2mijLoOATJsu77CH/view
担当より(ネタバレ注意)
https://drive.google.com/open?id=1RpeFu9kzV4oSVVIAQmRiF_FpEH00NdcD
瀧本 往人様(哲学)
https://drive.google.com/file/d/1WzZ1Uuo1R5CAIi1hF8WX1xiCu-Pe7prI/view?usp=sharing
松本准平様(映画監督)
http://chriskyogetu.blogspot.jp/2018/03/blog-post_16.html
女子パウロ会
http://chriskyogetu.blogspot.com/2018/09/blog-post.html
瀬戸内寂聴様
保留+好評価
皆様の感想
→http://chriskyogetu.blogspot.jp/2018/03/blog-post_15.html
I made a promise that I will post once I found the answer. Since he preferred my page structure and images, I wanted to finish it in a beautiful way. I was thinking to create the content in English, and to send Japanese in a letter. Because I wanted all this to be done after the publication is completed, it took a long time for answering. This is the part of English translation. Since he was a person who understands English,
I would like to do like this. I am so sorry to be in a way like this.
He is my friend.
(Chris Kyogetu)
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