サマリアの女

  何処の教会に戻るかは分からないが、今日になって漸く一つ基準を作った。今の私はサマリアの女である。私の水を欲しいと言った司祭か牧師がいるのなら、ついていこう。

イエスはサマリアの女に水を飲ませて欲しいと言った。「ユダヤ人のあなたがサマリアの女の私に、どうして水を飲ませてほしいと頼むのですか」と尋ねた。 当時はユダヤ人とサマリア人は関わってはならなかった。差別があったからだ。
「イエスは女には過去に五人の夫がいた事、今は結婚していないが六人目の男がいる事を言い当てた」
それでもイエスは女に話しかけた。それぐらいの力量がある司祭か牧師がいるのなら行くかもしれないが、今のところ見当たらない。

もう怒ることも、哀しいこともなくなった。あとはイエスを待つのみ。
一度失った信仰を

誤解(カミュ)

(前半は削除しました)
今回の人生のテーマは「詐欺」のようで、カミュの「誤解」という作品に出合った。この本はカミュ全集の2巻で、カリギュラとシーシュポスの神話だけ読んで、「誤解」は読んでいなかった。家の本棚にあるくせに、他所の本屋で見つけたかのようにタイトルだけで惹かれて読んでみた。そしたら偶然にもまた「詐欺」の話だった。
この話は旅行者を泊めては殺して川に流して賃金を得るという阿漕な事を繰り返しているマルタと母親の話。将来的には阿漕なことから足を洗い、金を貯めたら太陽の当たる国へと行きたがる。しかしこの家族には、もう一人家族がいて、マルタの兄に当たる人がいる。彼は真面目で外で成功し大金を得るが家族を驚かせようと他人に成りすましたばかりに、この親子の餌食とされてしまう。
「ええ、もうこの心を持ち歩くのはいや。いろいろな疑問も太陽が焼き尽くしてくれる、そんな国に早く行きたい。ここは私の住むところじゃないわ」
「私だって自分の家があると思っていたわ。罪こそわが家だ、この罪こそ母と私を永久に結びつけてくれるんだと思っていたわ。私がこの世でほかにいったいだれを味方にできて? 一緒に人殺しをやったものでなくて?」
「聞きたいとおっしゃるなら言いましょう。誤解があったんです。世の中のことを少しでもご存知なら、驚くこともないでしょう」
人はありとあらゆる詐欺を働き、色んな嘘をついて近づいてくる。
それを想像出来ることが社会人経験であり、
そんな不条理な中に自分はどんな立場に置かれているかどうかを知ることが
「社会性」である。
―――私ごと―――
薬を飲んでいないと、鈍らされていた感性が戻っていく。無理して明るくならないから、形がない印象でも言葉で拾い上げることが出来る。例えば「不幸」とか、印象に過ぎないものも拾い上げることが出来る。薬は飲まないほうがいいようだ。しばらく飲んでるフリをして、捨てていこう。(薬を絶った理由はfacebookにあります)

Say Amen (Saturday night)

 除籍する前までの、ありとあらゆる段階の前に元気づけに聞いていた曲。自分の感情と合致していた。大体普通は日曜がミサでしょ、悪人のために祈る土曜の夜って何回も連呼されるのに力を感じた。他はカトリックの宗教曲も色々聞いた。それらを聞いても自分は間違っている気がしなかった。

Panic! at the DiscoのSay Amen (Saturday night) 

(歌詞の一部です)

And if I tried to change my life one more day
There would be nobody else to save
And I can’t change into a person I don’t wanna be so
Oh, it’s Saturday night

自分の人生を変えようとしても
救ってくれる奴は誰もいない。
なりたくない人間にはなれないんだ。
oh、今日は土曜日、土曜日の夜

I pray for the wicked on the weekend
Mama, can I get another amen?
Oh, oh, it’s Saturday night
週末には悪人たちのために祈りを捧げるよ。
だからママ、俺のために祈ってくれ。
今日は土曜日、土曜日の夜

Swear to God I ain’t ever gonna repent
Mama, can I get another amen?
Oh, oh, it’s Saturday night
絶対に後悔しないと誓うよ。
だから俺のためにも祈ってくれないか。
今日は土曜日、土曜日の夜

And every morning when I wake up
I wanna be who I couldn’t say I’d ever been
But it’s so much more than I ever was
If every night I go to sleep knowing
毎朝目を覚ます度、
(今まで出来なかったことが出来る)
人間になりたいと願ってしまう。
でもそれは到底無理な話。
毎晩眠る時にこう考えるのはどうだろう。

That I gave everything that I, I had to give
Then it’s all I could have asked for
I’ve been standing up beside everything I’ve ever said but
Oh, it’s Saturday night
与えるべきものは何もかも与えてきた。
欲しかったのはこれで全てだ。
自分の発言には責任を持っていたつもりなんだよ。

oh 今日は土曜日、土曜日の夜


()内の歌詞は自信がありません。こんな感じじゃないでしょうか? 




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なぜ世界は存在しないのか(4-1)

「あなたが望むことを、私も望む。できるかどうか考えず、好きかどうか考えず、求めているかどうか考えず」 マドレーヌ・デルブレル(フランスの社会活動家)
この引用はマルクス氏の本にはありません。
それではいよいよ「世界は何故存在しないのか」の本番に入りたいと思います。その前に
彼の著作に、ハイデガーの名前だけが出てきましたが、これは「世界内存在」と考えて良いでしょう。世界内存在とは、彼が作った新しい造語。それは何よりもまず人間存在の具体的形態をつらぬく根本構造として提示され,とくに従来の主観概念の変革を意味する。人間はいかなる反省にも先立って現に存在し,しかもその多義的な現存を各自的に引きうけることによっていつも本質的に,なんらかの世界の内に,この世界を了解しつつ存在せざるをえない。これが,人間が実存するということの意味である(コトバンクより)
マルクス氏はこの人間が実在するという意味について、こう掘り下げています。
「世界とは、すべての意味の場の意味の場、つまりそれ以外のいっさいに意味の場がそのなかに現象してくる意味の場であり、もっと全てを包括する領域である、と。意味の場については前の投稿を見てください。(意味とは対象が現象する仕方のことである)
すると存在する一切のものは、世界の中に存在していることになります。世界こそ、いっさいの物事が起こる領域にほかならないからです。世界の外には何も存在しません。世界のそとにあると考えられるものも、そうかんがえられるものとして世界の中に存在しています。

存在するとは、何かが存在しているとすれば、その世界はどのような意味の場に現象するだろうか、と。世界は意味の場S!に現象すると家庭してみましょう。ここではS!は、さまざまな意味の場の一つです。つまりS1と並んでS2とS3と複数の意味の場が存在しています。他の意味の場とンランで存在しているS1に現象しているとすれば、世界は存在している。このような事は可能でしょうか? 
答えは否です。たとえば目の前に広がる視野を寸分違わず絵に描く才能が自分にあるとしましょう。このとき、私自身の視野を描いた絵を、じっくり見ることが出来るでしょう。けれどもこの絵は、もちろん私の視野そのものではなく、私の視野のなかにあるのに過ぎない。これと同じことが世界に当てはまります。私達が世界を捉えたと思ったとしても、そのときわたしたちが眼の前に観ているのは世界のコピーないしイメージに過ぎない。世界それ自体を捉えることが出来ません(111
ここで私の書いた「なぜ世界は存在しないのいか」に戻ってみましょう。
そもそも世界とは
「世界と一言で言っても多義的な意味がある。宇宙のようにだだっ広い感覚で構築されたものや、心ある生き物達が制約制限を受ける枠のことを言うこともある。哲学に至っては、社会的精神的事象も含める。それらが存在してないということはどういう意味なのか」
と書いてあったが、マルクス氏の世界とは二番目の心ある生き物たちが制約制限を受けている枠の「世界」を主に差しているように思える。厳しいことを言えば、哲学的な社会的精神的現象までたどり着いたのはハイデガーの領域とすべての領域の領域としての世界は無限に存在する。つまり特権的な「世界」は存在しないということには達してないとは思う。が、しかし21世紀らしい、先進国らしさは現れている。
彼の第一の結論はこうです。
「世界は存在しません。もし世界が存在するとするならば、その世界は何らかの意味の場に現象しなければなりませんが、そんなことは不可能だからです。もちろん、この洞察はたんに破壊的なだけではありません。この洞察によって明らかになるのは、期待と違って世界は存在しないのだということではありません。むしろ存在するのかを理解しようとするのであれば、この洞察は生産的なものにもなりうるのです」
第一の引用のマドレーヌ・デルブレルの「あなたが望むことを、私も望む。できるかどうか考えず、好きかどうか考えず、求めているかどうか考えず」という引用も、存在していない世界への祈りを感じています。しかもこれは哲学的な社会的精神的事象も含め、心ある生き物たちが制約制限を受ける枠のような世界、存在の定かではないもの(世界)と存在者(心)との間の関係性が現れている。しかし、心の意思は強く感じるのは何故なのだろうか。
続きは第二弾です。

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カイエについて(1)

シモーヌ・ヴェイユ カイエⅡ
「キリストに対して忠実であるのは困難なことであった。それは真空状態に対して忠実であることだった。ナポレオンに対してなら、死に至るまで忠実であることも、ずっと容易なのだ。まだ、のちの殉教者たちにとっても、忠実であることは容易であった。なぜなら、すでに教会という一つの力、地上での成就の約束をともなう一つの力が存在していたからである。人は強いもののためになら死ねるが、弱いもののためには死なない。今は一時期的に弱くても、力の後光をいただいているもののために死ぬにすぎない。
「まことにあなたは隠られておられる神である」そして同時に、「かれらは、神を明らかに示している世界によって、神を知ることが出来た。」世界は神を明らかに示し、また神を隠す。
 第二作のイコノグラフは教会の良いところ、キリスト教の良いところを手探りで探って書き上げたが、第三作目によってカトリックから距離を置いている。イエスはイデアのようにアイディアの宝庫であるが、キリスト教という組織自体は、どうも哲学や文学にとっては同じ軌道を回っている存在だが、相性が悪いようだ。ヴェイユも同じ気持ちだっただろうなと少し思う。
真空とは空気もなにもない状態のこと、彼女は造語かのようにこの真空についてよく語っている。彼女の言っている真空とは何か、それは彼女の語りに耳を澄ますしか方法がない。
今回の場合、何もない空間に忠実であるべきだったと記されている。見返りも求めず、愛も求めず、何もない場所への忠実=キリストに対しての忠実としている。
それが人は出来ない。少なくともナポレオンのように多少の即物的な対価を
下さる現時点で生きている人を選ぶのが世の常である。
*****
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なぜ世界は存在しないのか(2)

メラニー・ロラン(イメージ画像)

「なぜ世界は存在しないのか2」マルクス・ガブリエル著

「なぜ世界は存在しないのか1」→http://chriskyogetu.blogspot.com/2019/01/blog-post_12.html

「今日は哲学を新たに考える」と、1章の「これはそもそも何なのか、この世界とは」の
忘備録です。


「今日は哲学を新たに考える」

まず著者は、ルートヴィッヒ・ヴィトゲンシュタインの「およそ語りうることは、明晰に語ることが出来る」という理念を共有しています。これにより、触れない未知の宇宙のようなものまで考えを広げることになります。そして哲学の基本中の基本の「問いをやめないこと」を強く勧めています。

◎「これはそもそも何なのか、この世界とは」

我々は乾杯して、グラスをあおった。

「じゃぁ 地球はどこにある?」
「宇宙にです」
「宇宙はどこだ?」
僕は一瞬考えこんだ。

「宇宙は宇宙にあるんですよ」
「その宇宙がある宇宙は何処にある?」
「僕の意識にです」
「どういうことだ、ピョートル。それじゃお前の意識は、お前の意識にあるってことになるぞ」
「まぁ そうなりますね」
「なるほど」
チャパーエフは口ひげをしごいた。
「じゃぁ、大事なことを訊くぞ。つまり、それはいったいどこにある?」
「ご質問がよくわかりません、ワシーリィ・イワーノヴィチ。場所の概念は意識のカテゴリーの一つなわけですから」

「どこなんだ、それは。その場所の概念はいったいどこにある?」
「じゃぁ、こう言いましょう。それは場所だとかそういうものじゃないんです。
言うなればそれは、現……」

僕は口籠った。そうだ、これこそ彼が言わせようとしている言葉にちがいない。もし僕が「現実」という言葉を使ったら、彼はまたすべてを概念に帰するつもりなのだ。そしてそれはどこにあるかと訊く。すると僕は頭の中にあると答える……。ひっかけだ。

このような対話を通じて、ピョートルは、世界など存在しないという目眩のするとうな考えを理解するように至ります。

この小説のタイトルは「チャパーエフと空虚」です。本著の34ページに記されています。
デカルト的で下手をするとニヒリズムに陥ります。「僕」というのはしっかりと意見を持っているが(コギトエルゴスム)、問いかける人間が概念に引きずり込もうとしている、という構造ですね。

これらを総称し、著者マルクス・ガブリエルはこうまとめています。

1宇宙は物理学の対象領域である
2対象領域は数多く存在している。
3宇宙は、数多くある対象領域のひとつにすぎず、したがって存在論的な限定領域に他ならない。

4多くの対象領域は、話の領域全体でもある。さらにいくつかの対象領域は、話の領域でしかない。
5世界は、対象ないし物の総体でもなければ、事実の総体でもない。世界とはすべての領域の領域にほかならない。

次回は他の話題を挟んで第二章のまとめを忘備録がてらに書きだすことにします。
 司祭は人を愛することが難しい
イコノグラフを想って
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なぜ世界は存在しないのか(1)

「世界」と一言で言っても多義的な意味がある。宇宙のようにだだっ広い感覚で構築されたものや、心ある生き物達が制約制限を受ける枠のことを言うこともある。哲学に至っては、社会的精神的事象も含める。それらが存在してないということはどういう意味なのか、それはこの本を読んでみることをお勧めするので教えないが、一通りまずポストモダンとは? カント、ヘーゲル、ウィトゲンシュタイン、ハイデガー、キリスト教の簡単な歴史、自然主義をおさえてないと何が否定されているのか、何を例えに出されているのか、この人は何を再構築したいのか、意図が全く読めないかもしれない。特に重要なのはウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』の冒頭の「世界は事の総体であって物の総体ではない」という定義と、ハイデガーのいうすべての領域の領域としての世界は無限に存在する。つまり特権的な「世界」は存在しない、ということ、ヘーゲルがカントの何を否定したのか?ということ、この三点が特に重要となる。

実は私は著名人運だけはいいのかわからないが、友人がボン大学出身で彼のコンタクト先を教えてくれたし、いつでも連絡していいようにしてくれた。(英語かドイツ語のみ) しかし彼に声を何んてかけられるのかすら分からない状況である。世界のベストセラーであるがベストセラーの中でまともなのは珍しい。

(2)以降の更新は熟読後ということになるのでだいぶ先になると思います。

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保護中: 復活?

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死者の書(折口信夫)について①

   幸せな人が
口にする言葉は
かりそめのひとふし
寡黙のひとの
感じとっているのは
こよなく美しい旋律。

エミリー・ディキンソン

こよなく美しい旋律を紡ぐというのは
狭き門のような気がしてならない。
マタイによる福音書の「狭い門からはいれ。滅びに
いたる門は大きく、その道は広い。そしてそこから入って
行くものが多い。命にいたる門は狭く、その道は細い。
そして、それを見出す者が少ない」
(マタイ7章13~14)

とあるように。

去年の大晦日は
ジゼルというバレエをロイヤルバレエと
ミラノ・スカラ座を立て続けに見ていた。

ジゼルとは、貴族の男は
婚約者がいながらも村娘のジゼルと恋仲になってしまうが、
結局は、婚約者である女性に手にキスをしてしまう。

意図せずとも、ジゼルを裏切るような形になって、
ジゼルは狂乱して心臓発作で死んでしまうという。

そんな話を立て続けに
2019年までのカウントダウン直前まで見ていた。
しかしジゼルは裏切った彼を許してウィリーの女王に
殺さないでくれと懇願する。

昨年に司祭に裏切られたせいか、妙に共感して涙まで出た。

許す気持ちと、彼を書きたいという気持ちは別ものだ。
それは、死者の書の郎女(いらつめ)のように憧れの気持ちでキリスト教
(仏教)に入った執心から、
現実を知り悟りを開いていくまでの道のりは、私にとっては
重要な生きた証である。そして彼女は蓮の茎で作られた
糸で曼荼羅を作って命を絞るところは、

狭き門を通りたいという、クリスチャンの性であるようだと
最近は思う。善悪の計り知れない深淵から、
美しい旋律を見つけたいのだ。

休んでるように自撮り三昧だった間、

折口信夫の死者の書と
マルクス・ガブリエルの
なぜ世界は存在しないのか、
を勉強していた。

他に勉強したのは

使徒言行録、オーソドックスとカトリック
ミサという意味、そしてトラウマに立ち向かうべく
司祭という仕事とは何なのかという本を読んだ。

司祭に裏切られて、オーバードースを起こして
自殺未遂をした10月。

私の作品に対する経験は充分だろうか、それともまだ体験が必要だろうか、
それは分からないが、今のように学問に勤しむということは、
死者の書で郎女が仏教の『称賛浄土摂仏教受教』を
一心不乱に写経した気持ちに重なる。ついでに、
私の作家の在り方も彼女に共感するものがある。

執心から悟り、その執心の中には異端と含まれるものが
あるかもしれない。けれども恐れることは私はしない。
私の心の中の天国が定かになりつつあるからだ。

私は恐らく、執心から悟りへと変化しつつあるような気がして
ならない。

憧れから入ったキリスト教、正直、嫌な事のほうが多かった。
病気だって正直言って悪化した。十字架が重くなっていく
という表現が正しいだろうか? とりあえず私は不幸を背負って
寡黙を手に入れ死の淵から心の中の天国というのを見出しつつ
ある。

洗礼を受けた直後の幸福だった記憶は薄れていく。
世界なんて存在しないという哲学は正しいと言えるだろう。
極めて20世紀以降らしい。でもだからこそ
心の中の天国は必要なのだ。それは人間に魂があり続ける限り、
必要とされる。悟りに近いものを見つけたときに
宗教は強い力を持つのかもしれない。ただ入信しただけでは
幸福にはなれない。

(ルカによる福音書17章20章)

人生は長い道のりである。それを実感するからこそ、
2018年から2019年に変わったからといって、そこまで
お祝いの気持ちにはなれなかった。

次は「死者の書」について書いてみたいと思う。

私は二作品目のイコノグラフでは女子パウロに出しても
良いぐらいの正統派の「執心」から神の巻かれた種が育つまでを
書いた。けれども次回作はカトリックを裏切るような作品に
なるかもしれない。けれども、私は書かなければならないのだ。
幻想のような亡霊の王子のために朗女が、蓮の花で曼荼羅を作ったように。
私は教会のパーティやあの賑やかな円卓に戻ることはないだろう。
それは司祭に裏切られたときから決まっている。
その代わり、寡黙を保ちつつ現実では聞こえない旋律を聴くのだ。
存在していない世界から。

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When I had a dream

 

夢をみるとき、思い出のとき

永遠へと手をのばすとき

ただ存在しているだけのとき

グラディス・ティバー(1899~1980)

人は夢を見て、思い出から作られ、
死という永遠に手に伸ばす。
そんなまどろみも、ただの存在のひと時。
それは生きているということ、
そして夢を見ているということ。

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Luke 2:1-14





Luke 2:1~14
  
2 In those days Caesar Augustus issued a decree that a census should be taken of the entire Roman world. 2 (This was the first census that took place while[a] Quirinius was governor of Syria.) 3 And everyone went to their own town to register.

4 So Joseph also went up from the town of Nazareth in Galilee to Judea, to Bethlehem the town of David, because he belonged to the house and line of David. 5 He went there to register with Mary, who was pledged to be married to him and was expecting a child. 6 While they were there, the time came for the baby to be born, 7 and she gave birth to her firstborn, a son. She wrapped him in cloths and placed him in a manger, because there was no guest room available for them.

8 And there were shepherds living out in the fields nearby, keeping watch over their flocks at night. 9 An angel of the Lord appeared to them, and the glory of the Lord shone around them, and they were terrified. 10 But the angel said to them, “Do not be afraid. I bring you good news that will cause great joy for all the people. 11 Today in the town of David a Savior has been born to you; he is the Messiah, the Lord. 12 This will be a sign to you: You will find a baby wrapped in cloths and lying in a manger.”

13 Suddenly a great company of the heavenly host appeared with the angel, praising God and saying,

14 “Glory to God in the highest heaven,
    and on earth peace to those on whom his favor rests.”
そのころ、全世界の人口調査をせよとの勅令が、皇帝アウグストから出た。
これは、クレニオがシリヤの総督であった時に行われた最初の人口調査であった。
人々はみな登録をするために、それぞれ自分の町へ帰って行った。
ヨセフもダビデの家系であり、またその血統であったので、ガリラヤの町ナザレを出て、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。
それは、すでに身重になっていた、いいなづけの妻マリヤと共に、登録をするためであった。ところが、彼らがベツレヘムに滞在している間に、マリヤは月が満ちて、
初子を産み、布にくるんで、飼葉おけの中に寝かせた。客間には彼らのいる余地がなかったからである。さて、この地方で羊飼たちが夜、野宿しながら羊の群れの番をしていた。すると主の御使が現れ、主の栄光が彼らをめぐり照したので、彼らは非常に恐れた。御使は言った、「恐れるな。見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである。あなたがたは、幼な子が布にくるまって飼葉おけの中に寝かしてあるのを見るであろう。それが、あなたがたに与えられるしるしである」。するとたちまち、おびただしい天の軍勢が現れ、御使と一緒になって神をさんびして言った、
   「いと高きところでは、神に栄光があるように、
    地の上では、み心にかなう人々に平和があるように」
STUDYーーーーー

   Glory to God in the highest. The angels proclaim the news about jesus: the eternal,omnipotent son of god has just taken “the form of a servant being born in the likeness of men” for “the fullness of time” has now come. And God has”sent forh his Son, born of Woman,born under peace of salvation that God gives though his son.jesus is the “prince of peace” prophesied by Isaiah among those with whom he is pleased god’s gift of “peace will come not to all humanity but to those whom God is pleased to call himself.

Ps
 Jesus was born since God says “Let there be light” in Genesis. From the chaos and poverty he was born again with light. Just as he will remind people that the light is passionate, Jesus will advance from executions to resurrection while interacting with people from now on.
Merry Christmas.
最も輝かしい栄光を天使達は称えて宣言しています。神の永遠であり全能であるイエスは「時が満ち溢れた証明として」、「生まれたしもべ」としてお生まれになりました。そして神の息子であるイエスはイザヤに予言された「平和の王子」であると称えられています。
補足:創世記で神が光あれと言ってから、イエスがお生まれになり、混沌と貧しさから再び光がお生まれになりました。その光は受難であると人々に諭させるかのように、これから人々と交流しながら処刑から復活へとイエスは進んでいくのです。メリークリスマス。

25日の福音朗読箇所です。
This is read on 25th.

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Silent night

Silent night, holy night
All is calm, all is bright
Round yon Virgin Mother and Child
Holy Infant so tender and mild
Sleep in heavenly peace
Sleep in heavenly peace
Silent night, holy night!
Shepherds quake at the sight
Glories stream from heaven afar
Heavenly hosts sing Alleluia!
Christ, the Saviour is born
Christ, the Saviour is born
Silent night, holy night
Son of God, love’s pure light
Radiant beams from Thy holy face
With the dawn of redeeming grace
Jesus, Lord, at Thy birth
Jesus, Lord, at Thy birth

Luke1:39-45




39 At that time Mary got ready and hurried to a town in the hill country of Judea,<span class="crossreference" data-cr="#cen-NIV-24933A" data-link="(A)” style=”box-sizing: border-box; font-size: 0.625em; font-size: 0.625em; line-height: 22px; position: relative; top: 0px; vertical-align: top;”> 40 where she entered Zechariah’s home and greeted Elizabeth.41 When Elizabeth heard Mary’s greeting, the baby leaped in her womb, and Elizabeth was filled with the Holy Spirit.<span class="crossreference" data-cr="#cen-NIV-24935B" data-link="(B)” style=”box-sizing: border-box; font-size: 0.625em; line-height: 22px; position: relative; top: 0px; vertical-align: top;”> 42 In a loud voice she exclaimed: “Blessed are you among women,<span class="crossreference" data-cr="#cen-NIV-24936C" data-link="(C)” style=”box-sizing: border-box; font-size: 0.625em; line-height: 22px; position: relative; top: 0px; vertical-align: top;”> and blessed is the child you will bear! 43 But why am I so favored, that the mother of my Lord<span class="crossreference" data-cr="#cen-NIV-24937D" data-link="(D)” style=”box-sizing: border-box; font-size: 0.625em; line-height: 22px; position: relative; top: 0px; vertical-align: top;”> should come to me? 44 As soon as the sound of your greeting reached my ears, the baby in my womb leaped for joy. 45 Blessed is she who has believed that the Lord would fulfill his promises to her!”

そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。
そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した。
マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。エリサベトは聖霊に満たされて、
声高らかに言った。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。
わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。
あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。

主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」



study—–

in the thoseday links the present account with the preceding. it is likely that both the hill country and Judah refer the prophetic first instance of Jhon preparing the way for Jesus. John’s prophetic role is evidenced even as an unborn child in hte womb. Elizabeth, filled with the Holy Spirit explains the babe’s leaping.



この箇所は預言者ヨハネが胎内の中でも顕在していることを証明しています。そして同時にイエスキリストが宿り生まれることを祝っています。

追記:イエスは存在の美学でもあります。

皆様、良いクリスマス(生誕祭)を! Have a Merry Christmas!



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Alone by Edgar Allan Poe






Alone

by Edgar Allan Poe

From childhood’s hour I have not been
As others were; I have not seen
As others saw; I could not bring
My passions from a common spring.

From the same source I have not taken
My sorrow; I could not awaken
My heart to joy at the same tone;
And all I loved, I loved alone.

Then- in my childhood, in the dawn
Of a most stormy life- was drawn
From every depth of good and ill
The mystery which binds me still:
From the torrent, or the fountain,
From the red cliff of the mountain,
From the sun that round me rolled
In its autumn tint of gold,
From the lightning in the sky
As it passed me flying by,
From the thunder and the storm,
And the cloud that took the form
(When the rest of Heaven was blue)
Of a demon in my view.

end.

詩とは暗号のようで、実は心に一番近い言語だ。
心に近いということは、願望も夢も形無き言語も、
記憶も、欲望も、妄想も、
本人が把握できているところから、
把握できていないところまで全てが
書き綴られる、純粋で崇高な文章だ。

心に一番近いので、聖書の詩編では
神への祈りの文章が繰り広げられる。
詩編を読むときは存分に心から神へと
祈ると良い。神は欲望も願望も、
その人の良心も悪意も汲み取られる。

神への祈りの言葉を裏に隠し、心の声を吐露した時に、
他者が意味が分からないとするのなら、人の気持ちは
自分の喜怒哀楽と似ているものがありながらも、
汲み取ることが難しいということである。
詩人はそれでも素直に、この心の声に耳を傾け、
執筆する。エドガー・アランポーの詩は
何処かわかるようでわからない。
分からないようでわかるという
不思議な感覚で、言えることは
英語の語感としては美しいということだ。

夫人を亡くした後の詩のようだが
孤独でありながらも、美しい旋律を見失っていないことは
彼が詩の天才だと言うことだろう。

特にMy heart to joy at the same tone;
And all I loved, I loved alone.

人とは違うことに喜びを感じ、
私は愛した。私は一人でいることを愛した。

が特に美しいと私は思う。


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「日常2」

 司祭と問題を起こし、ODを10月にやらかしてしまってから、自分の顔をよく撮るようになったし、色々あってか痩せて写真を撮るのが楽しくなった。一時病気かしら?と思ったが、いまどき自撮りなんてインスタでは普通だし、「目立ちたいから」と思われがちな自撮りだが別に目立ちたいと思ってもネット民族の人数を考えれば目立てるわけでもないので、気にしないことにした。それに、失礼なことを言ってしまうと、かわいらしいポエムを書いているのに顔の正体が分からないというほうが私は怖い。身分証明になって良いではないか? とは言ってもシワが出てきたらやめるし、エフェクトで撮って気のすむまで自分の顔と向き合って、気楽に生きていこうかなと思う。

以下・頂き物
バイオプログラミング・ヘアービューロン2D
本当に一度カールしたら崩れにくく、逆にグルングルンになってしまうので、
手ぐしで何回もといたぐらいです。当てれば当てるほど髪に良いとかで。

ディオールのジョイバイディオールのボディクリームと
ミスディオールのヘアミスト

プーと大人になった僕

これ、映画でも見に行きました^^。とてもかわいいです。
そして、ほっこりします。君と一緒にいる日は特別な日って
なんだかとっても心温まりますね。童心にかえるとかそんな
単純な話じゃないんですよね。今時シンプルでこんなに
可愛い話って少ないなと思います。最近のは広告で塗り固められて、
駄作を感動作みたいに偽るの多いじゃないですか。
これはそういうのが無かったので本当に聖なる領域です。
プーとクリストファーロビンの佇まいだけで純粋でイエス様がいる気がします。

生きのびるために

おすすめのアニメ⑴
Netflix 「生きのびるために」
★★★★★
 タリバン政権下の厳しかった時代、女性は本も読んでもいけないし、一人で外にも出られませんでした。そんな中、父親が連行され幼い主人公は家族を養うために髪を切り男の子になりすまして働き始めるが・・・・・・。
今でもイスラム国崩壊後などの問題が残る中東。
 信仰とは何かも考えさせられる映画。やはり信仰の意義を考えさせられるのは宗派に関わらず、衣食住という基本が宗教と政治によって脅かされるところから始まるとは思います。
ごめんなさいですけど、スコセッシの「沈黙」
とは比べものにならないぐらいレベルが高かかったです。🙏 というのは、作品として評価することになりますが、「生きのびるために」は単純なアニメーションにも関わらず、
タリバン政権下の国民の像が生き生きと描写され、主人公が女の子だと分かっていても
見逃してくれる人や、女の子だと知れば果てしなく暴力を振るおうと追いかけてくる男性もいて、この男性達はイジメというより正義だと思っています。そんな政権下の中で、
主人公達は連行された父親を想い、主人公は父親の安否を確認するために危険な事を
しようとします。政権の強さ、イスラム教の解釈の強さ、そして平凡な家庭を取り戻したいという弱者の強さがぶつかりあい、緊張感がありました。
それに比べてスコセッシの「沈黙」はどれほど江戸時代の幕府が力を持っていたのか、
隠れキリシタンがどれほどまで強い信仰を持っていたのか、この力と力のぶつかり合いが
弱かったのです。処刑=残酷という観客の共通認識に頼りすぎていて、武士というものがどれほど権力を握っていたのか、という力強さの描写が弱かったのでイマイチ伝わらなかった、私はそう思います。生きのびるためには92分という短時間で、よく伝わり、沈黙は160分と長い時間ありながらも、ダラダラとしていたという印象があります。結局何も伝わってないというのが厳しい意見ですが、私は作品としてみたときに無駄なシーンが多かったと思っています。

外国人神父には絶賛でしたが、日本人から見たら微妙という気持ちも分かります。

「生きのびるために」はアイルランドのアニメ会社らしいです。こっちのほうがアカデミー賞ノミネートは当たり前です。まともな作品が選ばれるとまだ神はいるのだなと思います。Netflix契約している人は是非。

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買った本

自分のまわりを過ぎていく
知的な世界の片影でもいい
手もとにとどめたくて
魂をすりへらしてきたが
それが誤りだということに
ようやくきづいた。
世のひとがなんと言おうと
美はつねにわたしたちと
ともにある――
その捉えがたさにもかかわらず。
ガメイリアル・ブラッドフォード(1863~1932)

今日買った本

お気に入りのDiorの時計(70年代ぐらい)

今日もスペイン語ミサに行きました。

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