「ツリーオブライフ」

2011年公開の映画「ツリーオブライフ」 キリスト教的映画と評されながらも、この映画を聖職者が評価したのは見たことがなかった。 ヨブ記の引用によって、同級生の死、父親の失業、弟の死と色々奪われていくが、ヨブ記最後の神からの賞賛に値するシーンがなかった。キリスト教特有を愛は痛み、と自己犠牲的でペイシズム的な映画だと思われていたが、あるきっかけで再び見ると、神の象徴である父親、マリアのような母親、に続いてイエス的な存在がいないことに気づいた。マルコの福音書の主人が旅に出るが、 一人に「門番」として待つようにという。それによって「イエスの不在」に気づかされた。 実話では戦死した弟は自死だったそうだ。「イエスの不在」とは私にも長らくそうだった。しかし、最近になって不在について希望(救世主)が旅を出ている、と思えるようになった。世俗(自然)に生きるか、神の恵みに生きるのか、自然ー神の恵みとするのなら、あの自然の映像美はイエスの旅なのかもしれない、そう思えた。「目を覚ましていなさい」その意味を

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