主の祈りとモナドロジー

ベネディクト16世の危篤状態の時に、購入していなかった残り一冊を買った。12月31日に届いて黙示録の、人は神しか知らない名前で呼ばれるという箇所を読んでいるときに彼は帰天された。博識の彼でも知らなかった自身の名前、これこそ #モナド そのものだと思った。哲学を嫌う信者も多いが、数々の不祥事に目を背けないためにも、神秘そのものだけで書くことが出来ず、モナドロジーは 事実を隠すことなく、誰かを高めることも低めることもなく、自己への問いと神のみを肯定できる哲学として相応しいと判断した。それこそ当時の カトリックとプロテスタント対立時の不安定な時代だった #ライプニッツ にように。

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