Anne with an E

「我が人生は夢の墓場」
「感動には大げさな言葉が合う」


不幸を感じないことが

幸せとは限らない。


祈りの言葉を覚える前のアンの想像癖を見てるとそう思う。

次第に彼女が持っている想像力が 本当の意味で生きていくところが良い。


赤毛のアン、アン・シャーリーは 生まれたすぐに孤児になり、小間使いとして転々とし、ずっと不運だった。自分は不運だということを感じなくなる程、彼女の心は想像の世界や、心のお喋りでいっぱいになる。そんなアンがマリラとマシュー兄弟に養ってもらうようになってから、人生を切り開いていく。



「我が人生は夢の墓場」
これは原作の赤毛のアンの

“My life is a perfect graveyard of buried hope”
That’s a sentence I read in a book once,
And I say it over comfort myself whenever 
I’m disappointed in anything.

我が人生は夢の墓場、一度だけ本で読んだことがあるの。 絶望したとき、この言葉を慰めにしているの。

と言うと、育ての親になるマリラは何でそんな言葉が慰めになるのか
分からないと答える。






マリラのお祈りをしなさいと言うことやアニメでもあったマシューの最期の、「でもわしは、1ダースの男の子よりも、アンの方がいいよ。(略)アンは自慢の娘だよ」という台詞が好きだ。マリラとマシューは結婚せず姉弟で過ごしていたので、子どもがいなかった。お手伝い役として男の子を欲しがったが、アンを引き取り、子を育てる充実感を手に入れた。最近、私は死に役ばかりだったせいか、アンが受ける恵みは 生を受ける喜びを感じるなと改めて思った。


お喋りで想像力豊かだったアンは、お祈りの時間は自分の心のお喋りをやめてするようになった。 そのお祈りする自分の部屋で、やがて出来た親友のダイアナと蝋燭の合図を窓辺で送り合う。


ある スペインの修道士の本によると、イエスが来る前は、友情の言及というものは男性同士ならあったけれども女性同士では如何わしいものとされていたらしい。友情というのは一定の平等性が必要とされていて不可能だと思われていたからだ。そこでイエスがやってきて『あなたたちは皆わたしの友人である』と言い、新たな道を開いた」とあった。そう考えると何気無い、アンとダイアナの女同士の友情もイエスあってのこその道のりなのかもしれない。
とにかく アンは可愛らしい。あの駅で、迎えを待つ姿とか何かが始まる予感がよく書けていて、私の心は時めいた。
劇場版とNetflix版でも赤毛のアン
「アンという名の少女」
がやってて、とりあえずNetflix版を見ることにした。
何だろう、競合作品なのかしら?


シーズン1は 牧師夫婦が来なくて
保守的であまり好感が持てない
牧師しか出てこない。赤毛のアンは牧師夫人が出てくる
あたりから確か面白かった記憶がある。

シーズン2があるならシーズン2に期待。 

果たして出てくるかな?

OPは 元からファンだった
brad kunkleのデザインで
ご機嫌だったけど、

こっちは虐めとか、色々脚色入ってて
原作より胸が痛いかもしれない。
人間のコミュニティでいえば必ずある
ような出来事で真新しさは無いけど、
ドラマ版では、

マシューは銃で自殺しようとするし、
(何処かで見たことがある
圧迫感だな、今の流行りかな、
ブレイキングバッドみたい
だな)と思ったら、本当にブレイキングバッド
の脚本家だった。



*画像の著作権は映像元にあります。

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