「持論」
アドラーの心理学を元にして考えると、根本的なトラウマみたいなものは治せないし、癒えることもない。 例えば 「恋人が死んだ」とかそういうものは 神の力とか信じても癒せないという私の持論がある。信じて癒えるというのは、何らかしら神からの跳ね返り、若しくは自身の覚知があるということで、傷が深い分、そこまで大きな奇跡は起きにくい。可能性として0ではないけれども、そんな奇跡を待つ人生はきっと疲れる。
そういうコアな弱みに限って他人もケア出来ないし、人もそこまで答えられない。これは根本的に治せない原因(トラウマ)だ。そこを無理してマインドコントロールした話にロクなものはない。
あのとき無視された
あのとき 嘘つかれた
あのとき ●●だった
他人から見れば些細な事でも本人にとっては原因となるトラウマ。話し合うタイミングも過ぎ、時効同然の過去の出来事は厄介だ。
過去の出来事や傷つきは癒せない。 時間は忘れる特効薬というのも嘘に近い。ただ体感が遠のくための生き方はある。私も過去にも色々あって過去は変えられなかったけど、出来事の感情はあまり覚えていない。
それでも最近、久しぶりに大きなトラウマが出来て
随分とグルグル回ったけど、私は、このトラウマの根本は治せないと切り捨てること、という基本にかえると、何だかすごく楽になれた。
もう嫌いなものは嫌い。
あなたが私は嫌い。 絶対に絶対に嫌い。
良い思い出もあったけど、 思い出せないほど
嫌いなのだ。
それでいいんだと、
もうここでフラついたりしない。月並みな
言葉だが、他を愛せばいい。
これから先、このトラウマを生かすしかない。
私の未熟さを認めるとすれば 、
今はここまでしか見えないということだ。
最後の最後で
死ぬ前に 全部許せばいい。
今は 呼吸出来ることが大事。
写真: エレーナ カリス