Kindleに入っているので紹介は全ては
難しい。
今年の8月に、丁度良い本が出ていたので
購入した。
あまり言い過ぎると、読者を混乱させるかもしれないのであまり言えないところだけど、
経験から始める哲学入門
やはり小説家なので、詩情を優先に、
「鳥の巣」に魅入ったということしか
言えないものですね。
There are no people who watch you more than God.
ちょうど良いボロボロな感じで、本当に愛おしい。
→担当書評
『“I hope you don’t mind”ということ』
日本では馴染みのある
エルトンジョンの you’re song の
I hope you don’t mind. をどう訳するのか、
単純なようで色々と訳し方があります。理由は語感が日本語となるとインパクトが弱くなってしまうことにあります。意味を近づけるというより、英語のこの語感に近づけたいという願望がそうさせている気がします。
どんな歌詞かと簡単に言ってしまうと、
『僕が君のために作った歌だけど、
気にしないでね。(I hope you don’t mind)
とか、重く捉えないでね、(I hope you don’t mind)』
とかそういう意味があります。
最近になって聞いてみると、こういうのは物書き(作家、作詞作曲)の愛し方かなと思います。作品を作るときは愛する人をモデルにしたとしても、作品が愛されなければなりません。愛されるのが前提なのか、結果として愛されるのかは、卵が先か鶏が先かというような話なのですけど、愛する人に何か書くときは、伝えたい、伝わること、愛されること、作品として望まれる全てを忘れたいのですよね。それが物書きにとって愛する人だけに送る特別性なんじゃないかな。
変な話なんですけどね。
だから、歌詞の冒頭部分から
『It’s a little bit funny this feeling inside
I’m not one of those who can easily hide.
少し可笑しな話だけど、僕は自分の気持ちを簡単に隠せないんだ。
I don’t have much money but boy if I did
I’d buy a big house where we both could live
そんなにお金はないけど、お金があったら家を買うよ・・・
If I was a sculptor, but then again, no
Or a man who makes potions in a travelling show
僕が彫刻家だったら、いや違うな。僕が
さすらいの薬売りだったら・・・・・・』
と、纏まりの無い話になっていきます。
でもこれは、「お喋りしたい」という、ただそれだけの願望なんですよね。それでさえも、なんだか貴重な気がして言いたくなる、それが恋とか愛を表しています。
『I know it’s not much but it’s the best I can do My gift is my song and this one’s for you
「それで歌を送ることが僕は出来るよ」』
とあるけど本当はそれが伝えたいことじゃない。これすらもまだ自己紹介のような状態です。そしてメインのメロディ、
『And you can tell everybody this is your song
It may be quite simple but now that it’s done
I hope you don’t mind
I hope you don’t mind that I put down in words
How wonderful life is while you’re in the world
これは君の歌だよ、それをみんなに伝えていいよ。シンプルなメロディだけど
やっと出来たんだ。
気楽に聞いてよ(I hope you don’t mind)
軽い気持ちで聞いてよ(I hope you don’t mind)
こんな言葉で書いたけど、(愛を伝える歌)
君がこの世界にいてくれれば、世界は美しいんだ。』
と、二回繰り返すI hope you don’t mind は私は気楽に聞いてよ、軽い気持ちで聞いてよ、と言いかたを変えて訳しました。
『Anyway the thing is what I really mean
Yours are the sweetest eyes I’ve ever seen
僕が本当に伝えたいことは、君の瞳が美しいということさ。
I hope you don’t mind
I hope you don’t mind that I put down in words
How wonderful life is while you’re in the world
気楽に聞いてよ
軽い気持ちで聞いてよ、
こんな気持ちで書いたけど、
君がこの世界にいてくれれば
僕は嬉しいんだ。
そして本当に美しいのは
君の瞳なんだ、僕の歌は それを表したいだけなんだ。』
と、私は解釈しています。
人の評価を待つ物書きの仕事をしていると、作品を渡しているのに、I hope you don’t mindなんて言って渡しません。そんなのは仕事になりませんからね。
そういう身でありながら、I hope you don’t mindと言って渡すことは、愛する人への特別なことなんですね。私もそうかもしれません。
I hope you don’t mind , I love you.
そういう感覚なのかなと。歌詞だけではなく、エルトンジョンの甘い声がそう思わせるのかな。ポップスはシンプルな言葉だけど、歌手の声の表現によって深みが出たり言葉の意味が左右されるところがありますね。
画像元URL http://38.media.tumblr.com/tumblr_lhg9rjQdnC1qctf1xo1_500.gif
歌詞:
It’s a little bit funny, this feeling inside
I’m not one of those who can easily hide
I don’t have much money, but boy if I did
I’d buy a big house where we both could live
If I was a sculptor, but then again, no
or a man
who makes potions in a traveling show
I know it’s not much, but it’s the best I can do
My gift is my song, and this one’s for you
And you can tell everybody this is your song
It may be quite simple, but now that it’s done
I hope you don’t mind, I hope you don’t mind that I put down in words
How wonderful life is while you’re in the world
I sat on the roof and kicked off the moss
Well, a few of the verses, well, they’ve got me quite cross
But the sun’s been quite kind while I wrote this song
It’s for people like you that keep it turned on
So excuse me forgetting, but these things I do
You see I’ve forgotten if they’re green or they’re blue
Anyway the thing is what I really mean
Yours are the sweetest eyes I’ve ever seen
And you can tell everybody this is your song
It may be quite simple, but now that it’s done
I hope you don’t mind, I hope you don’t mind that I put down in words
How wonderful life is while you’re in the world
I hope you don’t mind, I hope you don’t mind that I put down in words
How wonderful life is while you’re in the world
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| 庭のマルグリット・ガシェ(1890年頃) |
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| 悲しみの女(1882年) |
私が見れたのは、この娼婦の素描ですね。1882年、ゴッホ29歳の頃のものでゴッホはこの身寄りがない妊婦の面倒を見て関係を持つ。ゴッホはデッサン力が無いように思われますが、素描を見るとそこまで無いわけではありません。パブロ・ピカソの少年時代の素描を天才とするのなら、ゴッホの素描の評価は分かれるところですけれど、昔関係を持った女性の素描は、晩年に描いたマルグリットよりも意識が鮮明だったように思える。マルグリットに関してはピアノを弾いている姿と、この絵画しか知りませんが、特にこの絵画のときにゴッホの女性への愛し方が変化したように思えます。見ているのは女性の身体ではなく、別の視点というのか、プラトニックなものを感じさせます。「庭のマルグリット・ガシェ」は目立つところがないとか、下手と言ってしまえばそれまでなのですが、より印象に近づいたとも言えますし、愛の変化なのか、病の進行によるものなのか、色々想像力を掻き立てますね。いつか本物を見てみたいです。
マルグリットとの関係は実際どうだったのかは分かりませんが、ゴッホは愛していたようです。けれども、マルグリットの父、ポール・ガシェはゴッホに親切でしたが、その愛に関しては受け入れませんでした。彼女と結ばれる見込みが無かったことはゴッホの自殺の原因の一つと言われています。
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| 星月夜De sterrennacht(1889年) |
「この絵は闇が蠢いている」
本物を見たときの、これが私の最初の感想だった。
精神病棟に入ってから描いた一枚、「星月夜」。これを見ると彼が確かに病んでいて、満月へ向かう三日月ではなく、新月へと欠けていく月を描き、紺青の空に輝く星に、如何に神秘性を強く感じていたのかを感じ取れる。病んでいると一言で言っても個人差があるということを、この現代でもどれぐらいの人が受け取れるだろうか。
他の精神病者との症状の類似点がありながらも、人知れない内面の力、個人差を発揮させた彼の絵画は、言語無き感動を誘うのかもしれない。
現代でも、ゴッホの絵は賞賛されているとしても、ゴッホの人生を真似しようものなら評価はされない。評価されるとしたら、自身の家計を圧迫しながらも、お金をずっと支援し続けた弟、テオのほうだろう。ルネサンス期であったのなら、莫大な資金を持つメディチ家に援助を受けていた画家というのは、ビジネスとして評価もされるが、ゴッホの場合は、今でいう困った若者なのだろう。
ゴッホは牧師を目指していたが挫折をする。その後に伝道者になろうとしたが、画家を志すようになる。伝道者になろうとした名残からなのか、彼は福音書をモチーフとした絵画を残している。
けれども私が一番、ゴッホの中で福音書を感じるとするのなら「星月夜」だ。星は、イエスが生まれたときのベツレヘムの星、もしくはヘロデ王に殺されそうになるところを、逃避するエジプトへの逃避行の夜空を彷彿させる。どちらも、世が混沌としているときに輝いた星々である。
*****
ゴッホは常にラファエロ前派が築き上げたような仲間を求めていた。それで出会ったのがゴーギャンだったが、彼は謙虚なゴッホと違い、野心家だったと言われている。
性格の不一致のせいなのか、詳細は不明だがゴッホの発狂によって、ゴーギャンは出て行く。
ゴッホの死後、彼の生きた姿勢は次世代の美術学校の生徒達に影響し、ドイツを中心とする表現主義に向かうことになる。ゴッホの作品は後に研究されるようになり、贋作が増えてしまう。だから本物を見つけるというのが中々難しいらしい。 彼の作品は最も知られている作品でありながらも、彼の自殺の理由と同じように、彼の作品もまた謎は多い。
そんな彼が残した言葉で印象に残った一文を。
「ああ、君、世間は僕のこの誇張をカリカチュアとしか見ないだろう。しかし、僕はそんなことはかまいやしない」
言葉だけでは、彼は割り切っているように思える。しかし、本当にそんな人間が闇を蠢くように描くだろうか、星に輝きを求めるだろうか。 月が新月へと向かうために輝きを残すだろうか。
今年の11月3日に漸くこの映画が公開されますね。もう公開されているところもあるようですけれども。ゴッホタッチのアニメーション映画なのですけれども、一年前か二年前、ドイツのニュースで見てから音沙汰無しでしたので日本にはもう来ないと思っていましたので嬉しいですね。
ゴッホ 最期の手紙HP
http://top.tsite.jp/lifestyle/lifetrend/i/35942862/
*ゴッホは日本を夢見ていたそうだが、その彼が愛した日本の絵画は、日本人が開国と同時に輸出する焼き物を包んでいた浮世絵だった。この当時は日本にとって浮世絵や風刺画はゴミ同然だったと言われる。後に浮世絵も芸術となったが、そういった価値の変動、人魚姫が人間になるような魔術的な変身、これらは人々が抱く普遍の期待なのかもしれない。
それは蛹から蝶になるという自然摂理によるmetamorphosisでは望みが無いときこそ、渇望する。
今となっては、こういった期待は芸術家だけのものではないのだろう。
*紺青の空に輝く星に、如何に神秘性を強く感じていたのか→彼の残した手紙から参照。
私のお友達Jack Erdieが出演しているマインドハンター(Mindhunter)が日本でも
Netflixで10月13日から配信開始します。是非チェックしてください!
A friend of mine is in this TV show. I hope you’ll watch it!!
(はじめに)
この映画のスポンサーでもあり、映像プロデューサーでもあるAさんの紹介からマスコミ試写会(9/6)に招待してもらいました。この映画の監督でもある松本准平さんとも友達になれまして、とても充実した時間が過ごせました。
ミツは大好きなクマに「あなたと私みたいな不完全なもの同士が幸せになれたら」と、自分達を不完全なものとするわけですが、本来ならどんな者でも不完全者であり試練がある。但し、彼等の試練を引き受けようとする人は少ない。
この映画の主人公、クマ(リリー・フランキー)は幼少期に重度の脳性麻痺を患い、車椅子生活を送りながら障がい者への誤解を解くための活動をしている。その活動とは他の障がい者とは少し変わったもので、「障がい者は聖人ではない」と性的な内容のユーモアを交えて講演をする。それは障がい者の代表でもあり、アイディンティティの主張でもあった。そんな彼を見たピンクヘアーのミツ(清野菜名)は彼のことを好きになり、積極的にアピールするようになるが、そんなミツも実は心に障がいある女性だった。
***
恋は盲目とはよく言いますが、一人の他者に対して最も純粋な目を持つことがあります。その対象こそ愛する人です。恋は相手に与えるという純粋なものも、嫉妬や祝福を受けないような不純なものも抱えることになります。それでも純粋なものを優先にしていくと次第に人は「愛」に居心地の良さを覚え、不純なものに気づくと愛の重さを知り、愛が遠のくこともあるでしょう。「好き」とか「結婚して」と浮かれているような二人の言葉の裏には不安があることが分かっているのです。ミツは二人が一緒になることを困難と認識していたからこそ、一緒になることを「革命」と言ったのでしょう。
クマは過去に受けた手術が原因で、障がい者の子どもが出来る確率が高くなってしまいましたが、ミツはそれでも生みたい、クマとの子どもが欲しいと何度も言います。
この発言は本来なら歓迎されるべきことです。けれども現実は受け入れようとはしません。結婚や出産は当人同士で決めることですが、完全なる二人の世界というのは存在しないからです。二人が生きていくには周囲の理解が必要となります。それが達成出来ないことが二人の障害になるという事は珍しいことではありません。
講演会に出かけながらも身体の自由が利かないクマと、自由に動き回れるけれども心のブレーキが利かない病を持っているミツ、不安定な二人は周囲に反対されたり、支えられたりしながら愛を成長させようとします。
そんな二人を見て勇気づけられるという人は少なくないでしょう。
他者から勇気づけられるというのは、新しい特別なことを知ることじゃなくて、自分でも出来ることをやらなかったことに気づかされる時なのかもしれない。
(最後に)
話の本筋から外れそうなのでここで書かせてもらいますが、食事会のときに松本監督とAさんに何度もヘルパー役だった小池栄子の演技がすばらしいと連発してしまって、今思い出すと笑ってしまいます。清野さん演じるミツも映像で見るとかなり愛くるしいです。あと、私はリリー・フランキーの見方が変わりました。身体が自由に動かない身でありながら、ハイテクな車椅子で動き回ってはユーモアを言う姿に味を感じました。一人一人の生き様がぶつかりあっているところが生々しいところも、松本監督の魅力でもあります。
彼の映画を見ると、役者のイメージが変わることがあって面白いです。映像も他の邦画には見られない深みと透明感があって、これからの作品も楽しみな監督です。試写会、食事会と共に楽しい時間を過ごせました。松本監督、Aさん、カフェと映画まで一緒に過ごした字幕翻訳者の小川正弘さんに出会えたことに感謝します! ありがとうございました!
(公式ページ)
http://perfect-revolution.jp/sp/
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*クマは熊篠 慶彦さんという人がモデルとなっています。熊篠さんは、この映画の企画・原案も担当していて、障がい者のセクシュアリティに関する支援、啓発、情報発信等をしています。
*facebookにも同じ記事をあげています。松本監督からもコメントを頂きました。
ありがとうございます。
画像の版権は販売元である紀伊国屋書店、イマジカにあります。
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| 画像元:Wikipedia |
(ちくま新書・バタイユ入門 酒井 健)
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オオルリアゲハの標本。角度によって青からグリーンにかわります。
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| エルゼリとエドガー |
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| 左 エドガー 右アラン |
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| メリーベル |
時が動いてしまったということ、彼女が捨てた悲しみの代理人のように。
