女子パウロ会
酒井司教様(当時は神父)の書評
https://drive.google.com/file/d/1IWf3mKShI53901pN2mijLoOATJsu77CH/view
お祝い
以前、出版書籍の評価を頂きました酒井俊弘神父様が、
この度、司教(補佐司教)に任命されました。心より喜びとお祝いを申し上げます。
私のほうが5月から体調を崩してまして報告が
遅れたことをお詫び申し上げます。
酒井神父様の(現・司教)様の書評
https://drive.google.com/file/d/1IWf3mKShI53901pN2mijLoOATJsu77CH/view
酒井神父様、補佐司教へ任命
Dekalog episode5
――誰が弁護しようとも、判決は決まっていた
そして主要な登場人物はもう一人いる。それは彼を担当した弁護士だ。
物語は彼の法制度への想いの語りから物語は始まる。
画像の版権は販売元である紀伊国屋書店、イマジカにあります。
エピソード1
http://chriskyogetu.blogspot.jp/2018/04/dekalog-episode1.html
エピソード8
http://chriskyogetu.blogspot.jp/2017/09/blog-post.html
エピソード4
http://chriskyogetu.blogspot.jp/2018/04/dekalogepisode4.html#more
Dekalog episode4
真実を突きつけられたくなかったのはまだ異性として愛していたからこそでもあり、燃やしたことは何処かへ進まなければならないからこその選択。観客は親子関係が崩れなかったことを見届ける。そしてこの二人の心の旅の道のりはまだこれからも長くなるということの暗示さえ感じさせる。
画像の版権は販売元である紀伊国屋書店、イマジカにあります。
デカローグ
エピソード1
http://chriskyogetu.blogspot.jp/2018/04/dekalog-episode1.html
エピソード8
http://chriskyogetu.blogspot.jp/2017/09/blog-post.html
。
Dekalog episode1
例えば、
神を拒絶し、神を受け入れない生き方は可能である。しかし、人間に愛という必要な感情でもあり不確かな感情があり続ける限り、その信念は脆くなってしまうのではないのだろうか。彼が聖母マリアの元へと足を運んだように。
なぜなら、神は人間を愛しているのだというのだから、心をかき乱さずにはいられない。特に大切な人を失ってしまった後は。
十戒 1.「あなたは私の他になにものにも神としてはならない」
デカローグ エピソード8について
→http://chriskyogetu.blogspot.jp/2017/09/blog-post.html
画像の版権は販売元である紀伊国屋書店、イマジカにあります。
The Bowman
https://backpackerverse.com/the-angels-of-mons/
EL SUR
Ophelia
Well, God yield you! They say the owl was a baker’s daughter. Lord, we know what we are, but know not what we may be. God be at your table.
――ありがとう、God yield you! フクロウは元々はパン屋の娘、イエスから罰で姿を変えられたの。でもわたくしは違うのよ、こんな姿になってしまったのは。ねぇ、王様。私達は先のことは分かることは出来ないのよ、God be at your table.
–Ophelia
A document in madness, thought and remenbrance fitted.
――侠気にも教訓があるというものか、物を思っても忘れるなとでも言うようだな――
–Laertes
Hamlet
Act4 Scene4
私が持っているのは英訳のシェークスピア全集で、触り程度にしか読んでいなかったのですが、最近になって(2017年4月)真面目に読んでいた。和訳版を読んだ人と話していると牧師の話になったが、私は牧師なんて出てきた覚えがなくて再度見てみると、Priest(大体、司祭と訳する)になっている。
一瞬、思考が停止したが「あ。イギリスだから聖公会か」と繋がった。 聖公会の場合はPriestだが、日本語訳は司祭でも牧師でも良いと聖公会の公式ページに解説があった。カトリックとプロテスタントの「中道」だと掲げてる聖公会。他にも和訳ではカトリックのようにミサや聖歌と訳しても良いし、プロテスタントのように礼拝、賛美歌でも構わないらしい。そうは言ってもやっぱりシェイクスピアはなるべくなら英訳のほうが良い気はする。特に頭がおかしくなったオフィーリアの台詞は、古いイギリス英語で読みにくいものはあるけれども、英訳をそのまま飲み込んだほうがイマージュは湧く気はする。
God yield you! やGod be at your tableは翻訳をせずにそのままにした。
特に“God be at your table”について。私はやはり最期の晩餐をイマージュするが、それがどう聖書の意味が繋がるとかは考えてはいない。理由はオフィーリアは病んでいるからだ。 それでも和訳になると意味が限定されてしまって、侠気に詩情が消失し、ただ現実味が増して虚構にした意味が無くなる気がしてならない。God yield you!は、挨拶言葉では
あるだろうが、直訳すると「神が貴方にもたらした」となる。
オフィーリアと言えば、夏目漱石の『草枕にも使われたラファエル前派のミレイの「オフィーリア」』の絵画が有名だけれども、私は一度だけ十代の頃に展示会を見たことがある。残念なことに、ラファエル前派に見られる哲学の「見える」ということは「知っているということから離れられない」というのに当てはまるかのように、オフィーリアに散りばめている「野の花」が偶然の産物にしか見えなかった。(解説があったのかもしれないが確実に私は見落としている)
****
OpheliaとLaertesの台詞を並べたけれども、これは繋がっているわけではない。登場人物の入れ替わり、シーン切り替えはあるが、原作上同じ場面、オフィーリアの侠気への台詞である。オフィーリアのフクロウの台詞は興味深かった。フクロウとは夜行性のせいか視力が弱いと思われがちで、恐らく、シェークスピアの時代はそう思われていたのかもしれない。どちらかというと、フクロウで特徴的なものは「鳴き声」であり、智慧ある鳥という見方と、不浄の鳥という見方がある。古今、作家ではフクロウの鳴き方を死の予言かのように仄めかす話も多い。けれども実際、見え方が違うだけでフクロウは視力が弱いわけではない。弱いのは色の判別であり、遠くのものを見ることが出来て、近くのものが苦手、両眼視と単眼視の性質を両方持っている。この性質と、Laertesの台詞は科学を先取りしたかのように 一致しているということになる。
ミレイの絵画のオフィーリアは赤や青の「ケシの花」を散りばめて水に浸かっている。
ケシの花、「野の花」で有名な聖書の箇所は詩篇の「野の花のように咲く、風がその上に吹けば、消え失せ、生えていたところを知る者ももはやない」(詩篇:103、15―16)の、地上的、現世的な一切のものの移ろいやすさも意味するし、「何故、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意してみなさい。働きもせず、紡ぎもしない」(マタイの福音書6:28)の有名な「思い悩むな」というイエスの言葉も意味する。両方、意味するからこそこの、ミレイのオフィーリアの死は一枚の絵画として意味をする。
オフィーリアを死に追いやった一番の原因は恋人のハムレットが自分の父親を誤って殺してしまったことである。そのハムレットは過去に「自殺」について宗教性を意識して思いとどまっているのに対し、オフィーリアはイエスの言葉を抱いたまま侠気へと陥り、水の中へと身投げする。
ミレイの絵画は思い悩むなといったイエスの言葉が届かなかった死のように見え、移ろい易さという現実味も出しているが、何よりも、「私がフクロウのようになったのは、イエスの罰ではない」と言ったフィーリアの台詞が胸に来る。
それは暗闇の中で鳴くことなのか、本当は見えているということなのか、
それは水底のように届くことのない真実だけれども、
ミレイのこの絵画について、ある人が面白いことを言った。
「どんなときでも、オフィーリアのように身投げした人間にも神の御言葉はついてくる、この絵の草花は聖書の言葉なんだ。人間劇を情熱とか人間の力だけだと思っているシェークスピアファンに言ってやりたい」
この言葉は過激なのかは分からない。プロテスタントだったこの人はもうこの世にいないけれども、あの頃の記憶は薄らいでいて、感覚もこの頃と変わってしまった。きっとその人に似たような話には二度は惹かれないのだろう。
それでも、確かにこの時に調べたイエスについては私の心に残った。 赤や青のケシの花、オフィーリアを囲む名前もよく分からない野の花と共に。
*God yield you!をお陰さまで、 GodやLordをイエスと訳することについて、他の翻訳について。持っている英訳版の解説書に添って訳しました。
(2017/04/02)
まとめ2018/03/23
![]() |
| 最近、香水、調香師のことについて勉強している。 |
アクセス数(週間)の多かった順に並べてみました。今回は10位までです。
ブログの端にあるランキングは(月間)のものです。
1位 心の中を流れる河
2位 諸行無常
4位 Icon o graph
5位 桜桃
7位 残酷な話を書くということ
8位 異邦人(PDF)
10位 ポーの一族
近況報告として言えることは、
最近、髪を今までに無いぐらい短く切りました。長かった頃と
短くなった頃と。
![]() |
| 長い頃 |
イコノグラフはこちらで買えます。
メタファーはなぜ殺される
私が学生のときに買って読んでいた本。「なぜ殺される」と言っている間はまだ生存が確認出来ていたからこそ言えたことであり、今となっては「文学」によるメタファーは既に死んでしまったように思えるし、長い月日を経て殺され方も見た気がする。メタファーとは本文に限らず、本文が組み立てた構造から脱構築し、本文の内容を汲み取ることでもある。現代日本では、ほぼ直喩とマスメディアのみで、脱構築をし、本文の旨味を引き出そうとする術は減ったし、皆無に等しい。残っているのは社会行動学に関する隠喩であるが、それだけだと面白みがない。とまで言ってみるが、この決定には曖昧性がある。けれども虚妄とも思えず、誰でも思い当たる節はあるだろう。これは「現実的」であるし、規範定義にもなり得る。但し、常に決定と曖昧は連れそうのである。
この決定が出来ないために、実は徐々にメタファーは死んでいるように
思える。本来なら必要がない決定なような気がするのだが。
この本を久しぶり開くと感じたのは「時代」だった。過ぎ去った抵抗。
そして受け入れてしまった死。
朗報④
先日、お世話になりました映画監督/松本准平様に私の出版作、「Icon o graph」の
感想を頂きました。DVD発売にもなった
「パーフェクトレボリューション」の監督です。リリー・フランキー、清野菜名が体当たりの演技で挑んだ実話を基に、障害がある「最強のふたり」の至極の物語。
監督から
「遅くなりましたが、イコノグラフ、読み終わりました。
はじめ、ギムナジウムの舞台を思い出すような少女漫画的な世界観で、次第に、キリスト教的主題を持った、より生な文学的重さを持っていくに連れて、一層物語に引っ張られていくのを感じました。
鏡月さんにしか書き得ない小説になっていて、非常に好感を覚えます。
キリスト教のモチーフや引用が少ない作品も読んでみたく思いました。より読ませる物語として純化させて行った時に、鏡月さんの持ってらっしゃるキリスト教的主題や、物語が、逆にもっとハッキリした形で、現れてくる気がしたのです。
この作品は、何作目ですか?
今後鏡月さんが作品を発表していって、でも実はここに全てがあった、というような作品だと思います。とても力作に思いましたし、傑作だと思います。
欲を言えば、人称やドラマの展開が、狙っているのでしょうが、僕的にはわかりにくい部分が多く、そこら辺を整理されてくれば、今後一層広く読まれる作品を残す方だろうと思いました。一方、ある意味でその荒さがこの小説の魅力のようにも思いました。
ラストでは、感動してウルっと来ました。
読ませていただき、ありがとうございました!」
松本准平様より(映画監督)
「パーフェクトレボリューションの試写会感想」
→http://chriskyogetu.blogspot.jp/2017/09/blog-post_14.html
**感謝**
イコノグラフの
感想をまとめてみました。(書評を除く)
(web掲載の場合、変更や消えてしまった投稿もあります)
これから、少しづつこういうページが増えていきます。
購入はこちらから(日本語です)
→https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-02-9781976279713
書評はこちらから
→http://chriskyogetu.blogspot.jp/2016/07/icon-o-gprah.html
◎心が洗われました。もっとこんな小説が増えてほしい (カトリック教会・Yシスター)
(amazon.co.jp amazonページの掲載は9・30日までの記載で終了)
◎Amazonで購入
●前作の頃からファンです。前作は病だったので主人公の独白メインでしたが、今回は三人称によって神の視点のような、誰とも言えない視点がメインで更に文が綺麗になって読み応えがありましたし、それぞれの登場人物の独白も引き込まれました。作者自身も真摯で綺麗な人なのでずっと憧れています。哲学や宗教を取り扱っているけれども映像を見ているかのような描写の細かさで読みやすく、恋愛小説としても感動しました。
●冒頭から謎の文章で始まるこの作品、
ぜひ試し読みでも公開されている第1章「黙祷」を熟読されてから読み進める事をお勧めします。
全てはここに集約されていると言っても過言ではないでしょう。
淡々と秒針が時を刻むように物語は展開されていくのですが、
伏線と種明かし、それから新たに生まれる謎の投下、タイミングが絶妙すぎて、
あっという間に物語の世界へ惹きつけられ、引き込まれてしまいます。
そして物語に彩りを添える数々のキーアイテム。
ゆっくりと廻すと異なる輝きを魅せる万華鏡さながらに、鮮やかさを増し、心躍らせてしまいます。
そして最後には巨大なジグソーパズルを完成させたような達成感。
久々に読み応えのある作品に出会いました。
●本当に美しいけど、それ以上に実はこの小説は普遍的な小説だと思います。
多くの神話、哲学、聖書を学び、何度も考えて、読みなおし、多くの悲しみとよろこびを取り込みながら、長い時間をかけて、出できたこの小説を、待ち望んでいました。
恋と愛、神話と哲学と信仰の境目がわかる小説は日本で久し振りに出たと思います。
色彩や風景の美しさは、はじめて読んでも堪能できますが
何回も読めば読むほど、多くのことが見える。他のヨーロッパの小説や哲学や神話が読めるようになると言う読者も少なからずいます。
学び自分の経験を以てまたこの小説に戻りまた出て行く、そのくり返していくと、本当の美しさと色彩が見える日がくるのでしよう。
場面転換に戸惑う人が多いかも知れません、それをかみしめて、感じたことを味わつてほしいです。対話と鍵が、天文時計の部屋への入口があるから。多くの人に読んでもらつて、幸せになつてほしいです。
●Chris Kyogetuさんの本 ICON O GRAPH 読み終わりました。物語の冒頭から引き込まれていきます!
時の物語 私達はその一部を少しずつかき集めて世界をつくる。誰かのために。それは神に繋がり私へと繋がる。宇宙を感じて運命を感じる。この物語はこれからも繋がっていくのだろう。この先も!
こんはんば。随分長い旅になりましたが戻って来ました。感謝しています。この作品に出会えた事を。小説というよりも自分には思想、哲学書であるし詩のようでもありました。ダンテやミルトン、ゲーテのような。何故、こんなに時間が必要だったのかというと少し読んでは、想いを巡らし、思索する、イメージは拡散していく。前に進みたくとも進めない、そんな状況でした。読みにくいのではなくその逆でヴァレリィの失われた美酒のように吸引力の強い文体にページをめくる誘惑、抑えがたし、でありました。(略)
でも最終章、泣いてしまいました。理由はわかりません。では善い夜を。
S・T様(画像掲載の許可は頂いております)
◎I want to invent you,
Her novel.
She can stand crosspoint grand and heven.
She can jamp and fly all world, univerce, , past 、now ,future.
Do you know silence? Susaku Eendo?
Her existance over come Susaku Eendo.
I convince so.
She understand crist and catholic in deep point.
She is true cosumopolitan.
Not from stat ,I feel.
Until now She must travel long long load.
When I read the novel,
I can understand and feel true meening, god and love .Plasee listen symphony in her novel.
You can feel body of god and happiness
God bless you.
ブログ
→http://d.hatena.ne.jp/yula355/20170218/p1
ブクログ
◎彼女はセルフパブリッシング の一握りの成功者。すっかりこの出版方法の評価は落ちてしまったが、この人は違う。色々と売り上げは勿論、著名人や専門家からの評価を手に入れている。日本でここまで博識で、色香のある文体、若さ、正統派文学で貫き通した人はいるのだろうか? 日本の出版社は長編小説の持ち込み不可。持っていけば原稿も見られず、あしらわれる現実。賞も無い。私はもう還暦の小説家志望だが彼女は希望。どうか成功してほしい。美しい文体に、人称が切り替わるという斬新さ、古典的であり、新しい世界を見せてくれた。
◎神の言葉は 何処で育つのか、いつ育つのか。それはいつ機は熟すのかということ。著者の経歴にキリスト者でありながら現象学を選択したのが見えた。哲学的に世界を整理する冷静さと神への情熱がこの世界を創り上げたに違いない。世界の一部を掻き集めた鳥の巣、これを見つけた著者の美しさに脱帽する。
La Barbe Bleue
Il était une fois un homme qui avait de belles maisons à la ville et à la Campagne, de la vaisselle d’or et d’argent, des meubles en broderie, et des carrosses tout dorés ; mais par malheur cet homme avait la Barbe bleue : cela le rendait si laid et si terrible, qu’il n’était ni femme ni fille qui ne s’enfuît de devant lui.
「昔々、町にも田舎にも美しい家を持ち、金や銀の食器、刺繍の家具や、金の四輪馬車を持つ男がいました。けれども、不幸なことに、この男には青髭がはえていました。そのため、とても醜く恐ろしく見え、どんな女も娘もその前から逃げ出させずにはいられませんでした」(訳:私)
シャルル・ペローとグリム童話と両方ある「青髭」という話。今回はペロー版についてですが、青髭の妻が再婚するた度に行方知れずになっていると知っていながらも、隣人の高い身分の婦人の妹娘は彼の内面を気に入り結婚します。若き妻となった妹娘に青髭は沢山の部屋の鍵を渡します。そして一つだけの鍵について、「この鍵の大廊下の下にある小部屋は絶対入ってはいけない、入ってしまえば怒って私はお前をどうするか分からない」と言って渡しました。
しかし、若き妻は夫が留守の間に、どんな豪華な部屋を自由に行き来するよりも、好奇心に負けて禁じられた部屋を見てしまいます。そこには、床一面が凝固した血でおおわれ、前の妻らしき女の身体が頭部を切断されて壁際にくくりつけられていたのです。
若き妻は思わず鍵をその血の床に落としてしまいます。急いで拾い上げますが血が全く落ちません。青髭が予定よりも早く帰ってきてしまい、その禁じられた部屋に入ったことがバレてしまいます。青髭が今までの妻のように首を切り落とそうとすると、若き妻は、
donnez-moi un peu de temps pour prier Dieu.(神様にお祈りする時間を少しください)
と言います。この時間稼ぎのようで、宗教的な意味を持つこの瞬間は素晴らしい。この後に若き妻の兄が助けにきてくれ、死なずに済みます。
*****
実写版は、この原作を読み上げる現代人の姉妹と、映画オリジナルの脚色のストーリーとなっています。原作では裕福な家庭の設定でしたが、実写版では、父親の死をきっかけに、私学のカトリック学校を退学させられた貧しい姉妹となっています。
原作者、シャルル・ペローは有名なルイ14世に仕えた作家で、貴族の読み物用に作られた民話と庶民への接点を作り上げたと言われています。そして青髭の青という意味、フランス革命以降、青は「自由」や宗教的意味でも神聖という意味がありますが、ペローは1628~1799年に生きていたので、フランス革命前の「青」の価値観で書かれていると思われます。例えば、フランス語の「青」はギリシャ語由来のκυανοειδης:暗青色、アッシリア語の瑠璃を意味することや、もともと青ざめる、恐怖に感じた、顔色が悪いなどに使われる「青」だということになります。映画では「一番信用出来るかもしれないこの少女まで秘密の部屋を開けてしまった」というような、
人間の普遍的な何らかしら存在する欲求についての、
リアリズムに仕上がっています。
見ているだけでも美しい実写版なので是非。
画像の権利はDVD販売元のCCRE社にあります。
愛を識ること
残酷な話を書くということ
![]() |
| The Cement Garden(セメントガーデン)映画 |
![]() |
| 読んだのは英訳版 |
セメントガーデンとは、イアン・マキューアンの小説で、
父親が発作で死に、そして母親も病気で死んでしまうと、両親を失い養護施設に入れられると思った子ども達は、父親が趣味で買いだめしてあったセメントに目をつけ母親をコンクリート漬けにし、子ども達だけの楽園にした。隠された腐敗、遠ざけた社会、近親相姦、閉ざされた楽園・・・・・・
この作品に関しては、まだ大した分析は出来ていないし、今まではこれが上手いのかどうかも分からなかった。(2017年12月)
実際に最近、日本でセメントに母親が我が子を乳児期に埋めて何十年も共に暮らしてきて自首をしたニュースがあった。(あまりこういうのを書くことは好まないが)話を聞くだけで、ストーリー性で言ってしまえば、この事件はイアン・マキューアンを超えている。こういうことが起きるからこそ、フィクションは別の旨味を求められる。それはノンフィクションとは比較されないものを作り上げることだ。
それでも、この現実の事件を分析していく間に、マキューアンはやっぱり上手いのだなと気づくようになる。
現実の事件では、以下の点が気になった。
① 殺された乳児達には、生きている兄弟もいて、もう既に成人している。母親がお腹が膨らんで
無くなって戻ってきても、赤ちゃんが来なかったという現実をどう理解していたのだろうか。何を聞かされていたのだろうか。
②母親の収入源は何だったのだろうか。
などなど。
こういった現実での疑問が、マキューアンの小説の法則が少し読めるようにさせた。
小説の話に戻ろう。
姉が母親が死ぬ前から何処か狂気めいているということだ。イノセントと言えばそれまでだが。何故か、母親が病気だったことは姉のジュリーしか知らない。主人公の長男は14歳。それぐらいの年だというのに母親の病気に気づかなかったとうのも変な話だ。そして、兄弟に母は死んだと告げたのもジュリーだ。
姉のジュリーが今日は死体を見てはダメと指示をしたので、兄弟が母親の死体を見るまでにも空白はあるし、 コンクリート詰めするのもジュリーが指揮を取る。兄弟で揉めるのはセメントに混ぜる水を運ぶことだ。
残酷なものには他人から見れば、何故そんなの信じたのだろうというのがある。けれども当人達にはその世界が全てになる。
このバランスと緊張感が マキューアンは上手いということに漸く気づいた。
私は、人を殺したことも埋めたことがない。なので、やっぱり読んだだけじゃよく分からないこともある。単に狂気っぽく書いただけなのかなとか、批判的な見方もあった。
フィクションは現実と比較されない何かを作らなければならない。
それこそフィクションへの追求である。
例えばカミュの異邦人も、ストーリーだけなら
もっと残酷な現実がある。実際はゾディアック事件や、アイリーン・ウォーノスのほうがストーリーとして見れば、面白さが格別だろう。けれども決定的に文学としてたらしめたのは、
最後の死刑執行前に、赦しを与えようとした司祭への反発だ。
「僕は僕自身のためにやった!」
この瞬間を作ることだ。
主人公が人を殺した理由が
「太陽がそうさせたのだ」
というセリフが有名だが、私はそこだけではないと思う。
「俺は俺の意思でやった!」 と言う主人公に司祭は涙を流す。
これには司祭(イエス)は常に赦しを与えようとするという隠喩がある。
文学は、ただ残酷なものを書くのは好きではない。バッドエンドでも、人を何人殺そうとも小説世界の外での秩序の視線を予測しておくことであり、それを見つけておくことだ。それは神の視線を意識することと似ている。現実は役に立つのはFBIや心理捜査官、法廷かもしれない。 けれども作家は神を探さなければならない。
現代でも現実でどんな残酷なことがあっても、カミュの異邦人は色んな考察によって何度も読める旨味は、形骸化扱いされてしまった司祭が握っている。儀式を形骸化として捉えるのは、それは人々が理屈無き儀式への神秘を忘却しつつある証拠であり、本当に無意味かもしれないという現実が付き纏うことである。
現実との比較でしか読めない人はこの旨味を見つけられない。
セメントガーデンは何処に秩序が存在していたのか。 私は、幼い兄弟だったと思う。部屋に閉じこもり、終始日記を書き続けていた妹、女装が趣味となり、次第に乳児へと退行してしまった最も幼い弟。この2人の非力な存在がこの楽園を地獄へと認識させる、唯一の秩序だった。コンクリートの隙間に生える草、
上の兄弟は残酷な背景を隠してしまうのだから。
セメントガーデンとは、固められた子ども達ではなく、固められたセメントの隙間に咲く草花のことだ。その小さなガーデンを楽園と言えるか、狭いとするか。その筋を見つけるとこの話が読めた。
******
(私は イアン・マキューアンだったら「贖罪」が1番好きですね)
カミュの異邦人についての書評もあります。
それこそフィクションへの追求である。についてもこちら。
→http://chriskyogetu.blogspot.jp/2018/02/letranger.html
イコノグラフはこちらで買えます。
Alice
Jan Švankmajer:Alice
ルイス・キャロルの不思議の国のアリスを映像化したものは大体全部持ってるのではないかなと思う。
(輸入版が多い)中々、原作通りというものがなく脚色が入っていてもシュヴァンクマイエルのアリスが一番好きかもしれない。理由はよく分からないが、よく分からないからこそシュルレアリスムならでは何だと思う。
視覚効果、触感、触覚、感触を感じさせる映像美、グロテスク、全て文句無し。
それではDVD版の説明を一部抜き出してみる。
Q あなたの特有の解釈のため、何故アニメーションという手法を選んだのですか?
幼児期との対話、もしくは原風景の探索には、アニメーションのテクニックを通して初めて夢として必要なリアリティを与えられているのです。アニメーションは幼児期の心像に再び生命を吹き込むことが出来ます。それに
真実性を与えるのです。オブジェクト・アニメは我々の幼年期の真実を支えてくれます。
***
心像には二種類ある。一つは「知覚心像」、もう一つは「記憶心像」である。前者は、現在進行形で起こっていることを知覚しつづけることであり、後者は、すでに心に溜め込まれていることを言う。シュヴァンクマイエルが言っている心像とは幼年期の心像、両者ともさすだろう。純粋な幼少期の心ということになる。そういえば、私がこれを初めて見たのは大人になってからですが、実はこのジャムに画鋲が入っていた夢というのは子どもの頃に見たことがあった。だから惹きつけられたというのがあります。
まとめ
ジュニームーンのイベントとかにも出ていた作家さんです。苺家
使いました。
L’amant
度々、登場するイマージュという言葉、著者は少女時代の視線や記憶をすべてイマージュ(image)と表しました。フランス語ではイマージュとは「再現」という意味もあります。それは生き写しでもあり、忠実な似姿ということにもなります。これは少女にとって経験というイマージュと、著者にとっての再現のイマージュが展開されています。「彼」と言ったら必ず人を差したりしますが、例えば②のようにフランス語は il(彼)というものが、属性にもなるときがあり ます。「彼」と「それ」という意味が私から見ると、話の内容に沿って効果的に利用されているように見えました。「彼」と敬愛を込めて呼んでいるのは老いた著者であり、客観的に「それ」という出来事を見つめているのは少女の頃の著者かもしれません。誰もがこの二人の情事に注目し、彼との想い出を標本のようにしたかったと思うのかもしれませんが、私にとって、IL(彼)は物語にとって中心では無いと宣言しているかのようでした。―――この話の二人は本当に愛し合っていたかどうか、少女は本当に愛していたのかというところに焦点がよく当てられますが、私はこのように恋愛には行き場の無い感情というものはあると思います。行き場の無い想い、想いとは必ずしも常に何かを望み、何処かへ進みたいと具体性を持っているわけではありません。
彼との触れ合い、小説家への想い、母親や家族に対しての想い、彼の結婚、二度と会えないと漸く気付いたこと、物悲しいようで、老いた口調が安定を与える。
読者にはその愛の盲点を示すかのように、
そのイマージュ、その不安定なイマージュ、











































































