Bruno Schulz, "Sanatorium pod Klepsydrą"
自分の心で見ているものをあらゆる表現によって外に曝け出すということもします。
残酷な最後でしたが、作品は彼という本体や時代考察という運命共同体的なものから離れて、純粋に残っています。
著者の隠れた心が見えてきます。偏愛のように見えるこの世界の裏には著者の戦争中の苦悩が詰まっていて、現実に愛着を持てなかったことが正直に表れていると思います。
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光音は死んだ真希の魂が知りたくて片思いの羽根に近づき、羽根は生死の境に行ってしまった恋人を繋ぎとめるドナーとして、逃げる光音の手を掴んだ。
魂、愛、神へと抱いた想いは重ならない平行現象のようで・・・・・・
「走れる靴と走れない靴、私たちは愛の裏で動いていた」
keyword: 魂、祈り、QOL、 (追加予定)
L’Enracinement
(マタイ7章、十六~十七)
「刻む」という意味もある。好機、機会とも。
der Vogel
空の鳥をよく見なさい
Sie säen nicht,
種も蒔かず
sei ernten nicht
借り入れもせず
sie sammeln nicht in die Sheunen;
倉におさめもしない
und euer himmlischer Vater nährt sie doch.
あなたがたの天の父は 鳥(彼等)を養ってくださる。
Seid ihr denn nicht viel mehr denn sie?
あなたがたは 鳥(彼等)よりも価値があるのではないのですか?
ある小鳥の剥製が欲しいと思った。
読んだほうが面白いなと思う。
ein Geschenk
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| 画像→http://www.sofeminine.co.uk/health/study-hard-sp518220.html |
私が対象として目を向けられることも知る。
それは私達は絶対者とか超越者を肯定したり否定したりと意識することが含まれるけれども、それらが私達を含めた現象を知るとしたらどうなんだろう。そういう視点からの出発に最高の客観主義があるのでは無いのだろうか。
超越者という出発点は、人間にとっての到達点である。
現象というのは自分が追うだけではなく、追われるということでもある。
けれどもそれは永遠に逆算不可能な事なのかもしれない。
それでも、試みてみることは無意味な事なのだろうか。
未完でも、それは楽しいことではないのだろうか。
私は 楽しい。
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facebookページは一時利用停止しています。
15日後、復旧しますのでよろしくお願いします。
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このブログを書き始めてから4年ぐらい経ちましたが、自分でも読み返す気がおきないほど価値観が変わったりもしてるので、最新の記事以外は全部消しました。今後、残してもいいなと思う記事を公開に戻しますし、このブログをどうしようか考え中です。フリッカーアカウントも削除しました。次回作発売まではwebではあまり活動しないことにしています。興味がある方はhomepageかfacebookへどうぞ。
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ホームページでこういうのを作ってみました。短いながらも出版作品の引用だったり、練ってるものだったりしています。批評は次回作を出版してから出しますし、色々バランスを見ながら増やしていきたいなと。「Murmure」呟きにしました。よくSNSを登録して辞めてるのですが、大体がシステムが合わないという理由です。文字フォントが調節出来ないとか、レイアウトが自分の作風とは合わないとか。自分が確立していないと人を選んだりすることも出来ませんからね。
http://chriskyogetu36.petit.cc/muscat1b/
あとFacebookでこういうのを書きました。会員なら見れると思います。タイトル通り
これはmemoなので、いつかまた原稿かブログかホームページに書き直すと思います。
バルザックのセラフィタについても追加で書いています。
https://www.facebook.com/notes/%E9%8F%A1%E6%9C%88-%E7%8E%96%E7%92%83%E5%AD%90/memo2015323/784355864963830
https://www.facebook.com/notes/%E9%8F%A1%E6%9C%88-%E7%8E%96%E7%92%83%E5%AD%90/memo/781186895280727
*web拍手いつも押してくれてありがとうございます。
music
Horowitz Scriabin Etude Op 8 No 12
Horowitz Scriabin Etude Op 8 No 12
Martha Argerich plays Schumann: Kreisleriana, Op. 16
Into Great Silence
見たいなと思う映画。 沈黙だからこそ見えるもの、聞こえるものというのはあるなと予告だけでも共感した。フェルメール風の
光がまたいいですね。
→感想・(2016年に更新)http://chriskyogetu.blogspot.jp/2016/11/die-grosse-stilleinto-great-silence.html
memo
Cendrillon
![]() |
| ゴダール:女は女である |
![]() |
| ポランスキー:ローズマリーの赤ちゃん |
Präparat
閉じ込めたプレパラートはケースにしまうときも出すときも慎重になる。
この息を少し止める感じが何となく好きですね。
プレパラートを重ねたときのガラスの音が特に好きで軽いのに
切れるような音がするのがゾクゾクする。
もう少し具合がよくなれば専用の液でアンティーク染めにしたいですね。
幻の生き物の皮膚のスライスを人工的に作ってみたいです。
空想プレパラート、幻想プレパラートでしょうか。
小さい切片に込められる細胞組織の構成は生態そのものをフィクションとして
例えば人魚、本当に人魚の下半身が魚であるなら痛みを感じる神経が無いかどうか、
皮膚の透過性が魚と同じであるのか、
もっとそれ以上に自分の想定する人魚の生態を作るわけです。
本当はミツバチに近くて羽音で毛虫から植物を守る効果があるとかね。
Чебурашка
http://journal.mycom.co.jp/news/2011/01/06/098/index.html































