桜桃
Lord, have mercy.
イコノグラフはこちらで買えます。
El mar del tiempo perdido
紹介
イコノグラフはこちらで買えます。
駆け込み訴へ(太宰治)
![]() |
| 銀貨30枚を落とすユダ |
はじめに
聖書の脚色
太宰とキリスト教
深みが無い哀しみ
死ぬ気で恋愛しないか・・・・・・「人間失格」「グッド・バイ」
「子は親よりも大事、と思いたい。
子供のために、などと古風な道学者みたいなことを殊勝らしく考えてみても、
何、子供よりも、その親のほうが弱いのだ」(桜桃より)
「人非人でもいいじゃないの。私たちは、
生きていさえすればいいのよ」(ヴィヨンの妻)
![]() |
| Н. Ге. Совесть. Иуда. 1891(ユダの良心) |
イコノグラフはこちらで買えます。
Ranpo Edogawa(3) the Caterpillar
「今いきますよ。おなかがすいたでしょう」
「そんなに癇癪起こすもんじゃないわ、何ですのよ。これ?」
「また妬いているのね。そうじゃない。そうじゃない」
江戸川乱歩・芋虫(1929年発表)―――時子
この作品を書いた江戸川乱歩の妻でさえこの作品は「いやらしい」と批判した。
第三者視点によって焦点が当てられるのは主に妻の内観だが、夫婦のフラストレーションの長期化、それによる両者のコンクリフト(葛藤)、愛着の対象が攻撃となること、アンビバレンス。妻の取った行動は、現代にとっては心理学の教科書のようであり、彼等の家はまるで心理学者の観察部屋のようだった。
「今、行きますよ。おなかがすいたでしょう」
「待ち遠しかったでしょう。すまなかったわね」
「今、ランプをつけますからね。もう少しよ、もう少しよ」
「オレガ イヤニナッタノカ」(俺が嫌になったのか?)
「あの廃人を三年の年月少しだって厭な顔を見せるではなく、
自分の欲をすっかり捨ててしまって、親切に世話している。
女房として当たり前のことだと云ってしまえばそれまでじゃが、
出来ないことだ。わしは、全く感心していますよ。今の世の美談だと思っています」
「どうか気を変えないで面倒見てあげてくださいよ」
「ユルシテ」
「彼は物を見ることが出来ない。音が聞くことが出来ない。一言も口が利けない。
----------果てしなき暗闇である-----------どんな薄明かりでも構わぬ、物の姿を見たいであろう。
どんな幽かな音でも構わぬ、物の響きを聞き度い(聞きたい)であろう」
Tears immediately welled in Tokiko's eyes, and she began to feel dizzy.
「夢を語る私の性格は現実世界からどのような扱いを受けても一向に痛痒を感じないのである」
(政治的意味について・wikipediaより)
許し、許された、夫婦愛、
![]() |
![]() |
| 今の世の美談だと思っています「どうか気を変えないで」 |
Ranpo Edogawa (2)
何故 、ハサミかというと
時子の夫は 戦争によって四肢を失い、まるで
芋虫のようになってしまったが、
以前は軍神とも言える活躍ぶりだった。
それで、そのときの活躍の新聞の記事を切り抜く
時に使ったものとして、ハサミをイメージしました。
カッターナイフは日本では1950年代に
登場しているので、芋虫は時代設定的に
それよりも前なのでハサミかもしくは別の切れるものと
なるのかなと思い、私は ハサミにした。
知人はこのデザインを見て、 十字架に見立てたかと思ったと言ったので 中々察しが良いなと思った。 真相は教えませんが。
時子の夫は四肢を失った後、 自分の活躍していた頃の新聞や勲章を眺めていたが、
そのうち飽きてくる。この飽きて夫と妻は情欲だけの時間を過ごしていくのが それも次第に気怠くなっていき、2人はどんどん身体が重たくなっていく・・・・・・
では詳細と 続きはまた今度。
Ranpo Edogawa (1)
「お前さんの貞節は、あの廃人を三年の年月少しだって
厭(嫌)な顔を見せるではなく、自分の慾をすっかり捨ててしまって、親切に世話をしている。女房として当たり前のことだと云ってしまえばそれまでじゃが、出来ないことだ。わしは、全く感心していますよ。————————
————–今の世の美談だと思っています。
だが、まだまだ先の長い話じゃ。
どうか気を変えないで面倒を見て上げて下さいよ」
————————————。
何も復活祭前後で「芋虫」の朗読の練習しなくてもという感じでしたけど、今年は違った春を過ごせて、色んな事を知れた気分です。次は「芋虫」について書きたいと思います。
****
今回は江戸川乱歩先生を想って作った(笑)デザイン画から先に。何パターンか色々作ったのですけど、とりあえず今回は4枚まで。
江戸川乱歩・谷崎潤一郎は日本語のほうが綺麗なのですよね。
英訳だと状況を説明しているだけに過ぎない表現になってしまってるところがある気がしますが、それは彼等が望んだ日本の美のような気がするのですけどね。
綺麗な分、日本語でデザイン画にするとグロテスク感、強迫観念が増すので、それがかえって耽美というものから離れてしまう気がしたので、(私の場合は)イメージ画像に使う文字は英語にしました。人によっては物足りないと思うかもしれませんが・・・・・・。
使ってる引用箇所は本題に入れば分かるかと思います。
私はRanpo Edogawa にしましたが、
Rampo Edogawaというのもありますね。
Domine, quamdiu aspicies
****
バルザックのセラフィタで引用されていた箇所で、
意図的だったのか誤りなのか定かではないのですが、バルザックはこの箇所をラテン語で順番を逆にしていたようです。
In Deo sumus movemur vivimus.
(我らは神の中に在り、動き、また生きる)
何か一つ、これについて詩のような簡潔な台詞を添えようと思ったのだけれども、これだけでも完成されたような美しさがあるので、受け入れるばかりで何も閃きませんでした。
もう少し何か経験を積んだら私の言葉として動くのかしら。
Hamlet
見たものを説明している姿について、「まるでハムレットのように亡霊を見たようだ」「ハムレットのように混乱している」と第三の語り手が語るシーンがあったのですが、セラフィタ・セラフィトスという存在を恐らくこの『人の形として表れたのなら』と重ねたのだろうと思った。
画像元→ https://500px.com/dorotagorecka
photo: Dorota Gorecka
使用した書籍→The RSC Shakespeare: The Complete Works
*****
人間劇を装いながらも、揺るがない光と、影を生み出した。
サロメを見つけたこと、誠に羨ましい。
卍
谷崎潤一郎「卍」より
****
朗読の感想
どちらが素晴らしいのか、どちらが本当に美しいのかと優劣はつけられないが、人間の有限性というものが儚いとするのなら、その儚さを躊躇することなく表現出来たのは
綿貫に関する記載は、重要な人物でありながらもこの記事の全体のテーマ、ブログでの読みやすさを考えた上で省かせてもらいましたが、男性として機能しなかった綿貫の議論からも引用を。
Seraphim
(英訳紹介は少々内容を変えています)
作品を書いていて面白いのは、役作りなのか自分が設定した世界の中で思考を働かせていると、その通りに現実も動いていくことです。 この前もこの話しをある人にしたらアガペーに関して、天国に関して閃きを貰いました。イマージュが「現実」として実現化していくこと、それはとても素晴らしい収穫でした。作品が無事完成するように祈っていてください。
Salome
初めから投げる側と受ける側と役割が決まっています。ですので、特に目立つメリットもなくて影が薄い存在で、子どもの頃の私はあまり好きじゃありませんでした。
投げられるときも気を抜けず、倒れるときに、如何に綺麗に倒れられるのか、自分が倒れて床を叩くときに如何に良い音がなるかどうかというのを意識していきました。 倒れたときの起き上がり方、しまいには自分の横顔や髪の動き、袴を触って皴を整えるところまで気を張るようになります。
光(イエス)を知らずにして死んだサロメの死は現代となっても
「闇」なのではないのでしょうか。
The Childhood of a Leader①
映画に行った感想/ネタバレ含む)
「シークレットオブモンスター」
The Childhood of a Leader.2016年11月25日公開
「私」が認識している「私」と、他人から見られる「私」、主にこの「虚構世界」は他人の眼差しから構成された「私・少年」だった。大人達はよくこの少年を「お嬢さん」と間違える。
サルトルの基本を少しでも読めばこの構成にはすぐに気づくはずだ。でもこの気づきはきっと入門に過ぎない。
観客にとって少年の主観に関する情報は「ママがいなかった」という夢、時々現れる歪んで焦点の合っていない景色、女性家庭教師のドレスから透ける胸、と少ない情報である。元々、現代知識として分かっていたことは、独裁者(指導者)のような人間が形成される因果関係は完全にはまだ分からないということだ。
現代人はそんなことは既に分かっている。
それを虚構でもいいので突き止めたいという人にはこの映画は向かないのかもしれない。この話は何か特別な非情さや残酷さもなく、情念も愛欲の熱もない。時々、母親が母性を見せ、少年が笑顔を見せるがすぐにすれ違いが生まれ、噛み合わず、人の肌の温もりが長く続かない。
それは体温が無い映像ということのだろう。
少なくともこの映画は、体温が無いということに関しては成功しているのかもしれない。
****
外では戦争があるというのに、この家庭は古典絵画世界のような安定や均衡が保たれ、貧しさもなく、高価な家具や調度品に囲まれている。確かにあるのはこの美しい静物達である。
①その中で少年の味方だったお手伝いさんを母親が勝手にクビにした。
②少年は自分の部屋に閉じこもり、勉強する。
③少年は自分を叱った女性家庭教師をクビにした。
④少年は部屋の中で内面世界を維持しようとするが、
それでさえも、「叱るため」に父親はこじあけようとする。
それから、少年が大勢の食事の席で椅子の上(座)に立ち、
「もう祈りなんて信じない」と何度も叫んだシーンは
少年の居場所は他人達の視線、時代の思潮によって椅子のように狭くなっていたことを表しているようだった。
*
私はそこで「可哀想」だと思った。けれども私のこの「可哀想」という眼差しはその少年を説明するものでは無い。
私は視線ではその少年を追えるけれども、その少年を語れない。
「私」がこんな少年を見たのなら、それも正解だと言える。
恐らくこれも正解ではあるけれども「感想」というものが、いつまでも本質に近づかず、その本質を掴もうとすると、曖昧というのは拭い去れない。
「あそこのシーンで泣いたね」「少年はかわいそうだったね」なんて単純に語り合えない。
分かち合う、語り合うとそれだけで理解による熱が生まれる。そうすると、一瞬でこの話の冷たさという本質が変わってしまい、この話から離れていってしまうような気がしてならない。
可哀想だと思った少年は、結末として指導者になった。その可哀想という感情はすぐに虚構世界の終わりと共に消えなければならない。
追記
公開から時間が経ったので、
新しい感想を書きました。
http://chriskyogetu.blogspot.jp/2018/02/blog-post_5.html
****
感情を持つことによって、話の本質から離れてしまいそうな気になる。私のこの感情は話を読み解くための味方なのか、邪魔なものなのか、この「問い」。この感覚が駆け巡ることが非情に面白いと思った。
映画館で見てよかったなと思う。
◎サルトル著、指導者の幼年時代は読了済み。
◎映画館で一度見た感想なので、原作と比較して本当は色々気づいたことがあったけれども確かかどうか分からないのでこの程度で。
◎この映画は原作から着想を得たということなので、原作を匂わせる箇所は
ありつつも、違う話。(まず主人公の名前が違う)
◎不満を言うと、映画館の椅子が痛かった。
◎スコットウォーカー(Scott Walker)の音楽が良かった。
◎独裁者になる条件とか因果関係というのは私は答えは出ないと思っている。ジョハリの窓でいえば「未知の窓」(他人にも自分にも知られていないこと)がどのように表現されているかだと思う。登場人物、観客も含めて具体化出来ない闇の映像表現がよく出てて凄かった。
恐らく、原作共に自伝的な話なんだろう。
画像:https://www.google.co.jp/search?q=The+Childhood+of+a+Leader&espv=2&biw=1920&bih=1012&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0ahUKEwjHoPDtmdzQAhXLGpQKHSlIAB8Q_AUIBygC
Agape
* *但し、前半部分からアガペーはあります。小説として明確であるか無いかの違いです。
nest
惹かれるだろう。―――
愛であると疑いたくなかった繋がり、
そういったものもあった。
鳥の営みに例えることは確かに早計なのだ。
鳥の巣の成り立ちは神学と哲学、世界の内面を繋ぐとき、人間の感情や言葉では足りないものを上手く纏めてくれていると私は胸を時めかせた。
テーマを選びました。だからこそ、この鳥の巣の営みと人間の例え話を並べることが出来ないということに結びついたわけです。
造語までした「栄巣」ということです。
あんまり出したりすると壊れそうなので、もっとアイディアが纏まったときに新しく撮影するかもしれない。(巣:セキレイ)
Icon o graph
「走れる靴と、走れない靴
私たちは愛の裏で動いていた」
Icon o graph
発売しました。
amazon.comから順次発売
amazon.co.jpでも取り扱いになりました。
(旧バージョン)
https://www.amazon.co.jp/Icon-O-Graph/dp/153493037X/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1468776277&sr=8-1&keywords=153493037X
(新バージョン)
https://www.amazon.co.jp/Iconograph-Chris-Kyogetu/dp/1976468949/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1512298868&sr=1-1
紀伊国屋
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-02-9781534930377
barnesandnoble
http://www.barnesandnoble.com/w/icon-o-graph-chris-kyogetu/1124114276?ean=9781534930377
あらすじ(英語版のみ 後書きつき)
https://drive.google.com/file/d/0BxNLSoqVr3MzWTRoU1RCb0JtNEE/view (Japanese)
https://drive.google.com/file/d/0BxNLSoqVr3MzbXB6Y2hBZUF1X1U/view (English)
試し読み
https://drive.google.com/file/d/0BxNLSoqVr3MzNXB3QVRlcEQwbkk/view
(keyword) 走れる靴と走れない靴、時を知らされない部屋と、時に決められた部屋。生の飛躍、 自由な魂、ウンディーネ、青を知らない女の子、QOL、祈りのための茨の棘、自己犠牲、悪しき母たち、 赦し、生長、変容、白夜、落ちた巣、天文時計、シモーヌ・ヴェイユ、占星術師達、 魅惑に満ちた混乱、最高の現象、時が人格を持つ、神話の実現、最先端医療、 不在への期待、オーディンの渡鴉、ベツレヘムの星、修理士、選ばれた部品、ロザリオリング、 栄巣、営みへの期待、刺繍、サロメ、硝子盤、羅針盤、解放、詩情のようで現実
(順不同)
「生かされていることや生きていること、信じていること、私達それぞれ違うこと、それらが一致を夢見て、離れてはお互いに締め付けながら、茨のように締め付けあいながら巣を作る」
栄巣(p278)
栄巣とは造語です。
(2)→http://chriskyogetu.blogspot.jp/2018/03/icon-o-gaph2.html
オプス・デイ
酒井 俊弘神父様より
https://drive.google.com/file/d/1IWf3mKShI53901pN2mijLoOATJsu77CH/view
担当より(ネタバレ注意)
https://drive.google.com/open?id=1RpeFu9kzV4oSVVIAQmRiF_FpEH00NdcD
瀧本 往人様(哲学)
https://drive.google.com/file/d/1WzZ1Uuo1R5CAIi1hF8WX1xiCu-Pe7prI/view?usp=sharing
松本准平様(映画監督)
http://chriskyogetu.blogspot.jp/2018/03/blog-post_16.html
女子パウロ会
http://chriskyogetu.blogspot.com/2018/09/blog-post.html
瀬戸内寂聴様
保留+好評価
皆様の感想
→http://chriskyogetu.blogspot.jp/2018/03/blog-post_15.html
Bruno Schulz, "Sanatorium pod Klepsydrą"
自分の心で見ているものをあらゆる表現によって外に曝け出すということもします。
残酷な最後でしたが、作品は彼という本体や時代考察という運命共同体的なものから離れて、純粋に残っています。
著者の隠れた心が見えてきます。偏愛のように見えるこの世界の裏には著者の戦争中の苦悩が詰まっていて、現実に愛着を持てなかったことが正直に表れていると思います。








































